1. ケイ


 情報科学に革命が起き、情報処理技術が劇的に躍進したのが、おおよそ二十年前。


 そして生体科学が発展し、仮想現実、すなわちVR技術が実用化されたのが十年前。



 現在、世界には、VR技術を応用した様々なコンテンツが溢れかえっている。



 北欧系のデベロッパに開発されたVRMMORPG【DEMONDAL】も、そんなコンテンツのひとつだ。


 "中世ファンタジー風、リアル系MMORPG"――


 そう銘打たれたこのゲームは、世界最高峰の物理エンジンを実装しており、全フィールド対人戦無制限FreePvP、死亡時に全ての所持品(肉体を含む)をその場にドロップ、プレイヤーの挙動を自動化する類のアビリティの排除、プレイヤー名やHPバーなどほぼ全てのゲーム的要素の不可視化、などなど、なかなかに尖った仕様で知られている。



 開発会社いわく、『我々は極限にまで、ファンタジックなリアリティを追求した』。



【DEMONDAL】は、ゲーム的要素の強い他のVRゲームとは一線を画し、最早VR生活シミュレータといって差し支えないほどのリアルさを誇っている。


 ゲーム内でメニュー画面を開くと、【ログアウト】【GMコール】【現実世界の時刻】の三つしか表示されない、と聞けば、そのリアル志向ぶりがよくわかるだろう。


 が、そんなリアル系VRゲームの先鋭たる【DEMONDAL】だが、悲しいかな、『極限にまで追求されたリアリティは万人受けしない』という真理の、典型的な見本でもある。


 他のゲームとは違う、システムのシビアさ――特に、戦闘・生産を問わず、自動化されたアビリティの類が存在しないことが、一般人にとって大きな障害となっていた。


 ゲーム内での全ての行動が現実並みに地味、かつ、その難易度が高く、他のゲームに比べてハードルが突き抜けて高いのだ。



【DEMONDAL】のアクティブなプレイヤー人口は、多く見積もっても二万人強。



 他のVRネットゲームのタイトルが、最低でも五万人以上のアクティブ人口を持つことを考えると、その少なさがよく分かるだろう。


 しかしその分、シビアでリアルな『世界』を求める猛者、変人、廃人が、高い敷居などものともせずに世界中から集まっている。


 世界で最も濃い・・VRMMO。


 それが、【DEMONDAL】だ。




 乃川圭一のがわけいいち――【DEMONDAL】の世界では主に『ケイ』の名前で知られる彼も、そんなクソッタレな世界を愛する廃ゲーマーの一人だ。


「……それにしても、さっきの連中。かなり気合の入った追剥・・だったな」


 弓を片手に馬を走らせながら、ケイは後ろに追随するアンドレイに声をかける。


 追剥たちを撃退してから、既に十分が経過しようとしていた。周囲の景色は、短草の茂る丘陵地帯から、木々が散見される疎林地帯へと変わってきている。


 ケイたちの本拠地、"ウルヴァーン"の村が近づいてきた証拠だ。


 あと二十分も走れば着くだろう。




「そうだな……。ありゃ多分、追剥RPロールプレイ用の別キャラだろうな」


 まだPOTポーション大量喪失の衝撃が抜けきれないのか、やや沈んだ口調で首肯するアンドレイ。


 そんな彼とは対照的に、矢傷をPOTで完治させた彼の乗騎は、大量のお荷物から解放されて足取りも軽やかだ。


 ため息をひとつついたアンドレイは、陰鬱な気分を振り払うように頭を振り、言葉を続ける。


「少なくともあの連携は、新規ニュービーじゃあねえ。かなり訓練しないと、ああはいかないぜ」

「ああ、なかなかいいチームワークだった。アレでアーチャーの腕が良かったら、危なかっただろうな」

「ま、リーダーが死んだあとは、ただの烏合の衆だったけどよ」


 そこまで言ったアンドレイは、マフラーの下、ふと怪訝な顔で首を傾げた。


「……でも、オレのことは知ってたのに、お前のことは知らなかったな? 別ゲーの連中か?」


 "NINJA"スタイルの第一人者、かつ【DEMONDAL】有数のサーベル使いとして抜群の知名度を誇るアンドレイ。


 彼ほどではないが、実はケイも、ゲーム内ではそこそこ有名なプレイヤーだ。


 もはやゲームの中に住んでるんじゃないか、と言われるほどにぶっ通しでログインし続ける廃人っぷりもさることながら、歴戦の戦闘狂をして一目を置かせる騎射の達人であり、また【DEMONDAL】で数少ない日本人プレイヤーとしても知られている。


「いや、多分、"コイツ"のせいだろう」


 ひょい、とケイは左手の弓――見事な朱色の複合弓を掲げて見せた。


 死亡時に所持品の全てをその場にドロップする【DEMONDAL】の世界において、死亡による装備の紛失や、それを狙う強盗・追剥プレイヤーの出現は日常茶飯事。


 そのため、プレイヤーの大多数は、その装備をローコストで代替可能な量産品で固めており、高級品あるいは一点ものの装備を普段から使う者は非常に少ない。


 ケイもその例に漏れず、武具も防具も、普段は最高性能からは少し劣る程度の量産品でまかなっている。


 特に弓は、取り回しが悪く馬上では扱いづらい代わりに、高威力で長い射程を持つ大型の複合弓を愛用しており、弓騎兵としては異様な大弓は、『ケイ』のトレードマークとして知られていた。



 が、しかし。今日に限っては勝手が違う。



 朱色の複合弓。


 "飛竜ワイバーン"の翼の腱と、"古の樹巨人エルダートレント"の腕木。


 二つの極めて貴重な素材を用いて作成された、おそらく【DEMONDAL】の世界に二つと存在しない、最高の威力を誇る弓だ。


 腕利きの弓職人に作成を依頼していたのだが、今日、遂に完成し、先ほど海辺の町"キテネ"で受け取ったばかりの逸品だった。


 その銘を、"竜鱗通しドラゴンスティンガー"という。


 サイズは馬上で扱うには少々大きめだが、普段ケイが扱う大弓に比べるとコンパクトで、取り回しはそれだけ楽になっている。


 が、その張力は、ただの大弓と比較にならぬほど強い。


 もちろん、威力と射程も段違いだ。


 演習場で試射した結果、"竜鱗通し"から放たれた矢は、二百メートル先の板金鎧を完全に貫通し、反対側へと突き抜けた。


 これは理論上、二百メートル圏内であれば、ゲーム内で最高の強靭性を誇る"竜の鱗"を打ち抜く威力だ。


 故に、ついた銘が"竜鱗通し"。


 現状、ゲーム内で一点ものな上に、破格の威力を持つこの美しい朱塗の弓は、間違いなく大弓に代わって『ケイ』の新たなトレードマークになることだろう。


 ちなみに、まだ余分な素材はあるので、ケイはその気になればあと二つ、この弓を作成することができる。


 他のプレイヤーに奪われる可能性を鑑みても、割と気軽に持ち出せるのだ。その点においても、"竜鱗通し"はポイントが高かった。




「ショボい木の盾だったけど、叩き割って鎧まで貫通したのには笑ったな。やっぱすげえわ、その弓」

「そうだろう、そうだろう」


 自分で作成したわけではないが、アンドレイに手放しに誉められ、ご満悦なケイ。


「流石は"死神日本人ジャップ・ザ・リーパー"……死神様には相応しい武器、だな?」

「…………」


 が、アンドレイのからかいに一転、渋面を作る。


 "死神日本人ジャップ・ザ・リーパー"。


 幾つかあるケイの渾名の中で、おそらく最も広まっているものだ。


 かの有名な殺人鬼、"切り裂きJACKジャック・ザ・リッパー"をもじったこの渾名は、ケイと交戦した者のあまりの死亡率の高さから名付けられた。


 元々、威力の高い大弓を馬上でも難なく使いこなすケイは、弓騎兵として他のプレイヤーから頭抜けた実力を持つ。


 その狙いは正確無比、風を読むセンスは天性のもので、大弓から放たれる矢は生半可な防具では防げず、獲物を確実に死に至らしめる。


 故に、死神。


 ついでに日本人なので、つなげて死神日本人。


 誰が呼び始めたのかは定かでないが、その分かりやすさからあっという間に広がり、当初付けられていた"鎧通しスティンガー"、"大弓使いラージアーチャー"などの渾名を駆逐。


 現在ではさらに縮まり、"ザ・ジャップ"とさえ呼ばれる始末だ。


 呼んでいる者たちには悪意はないのだろうが、いち日本人として、「ジャップジャップ」と呼ばれるのは、あまり良い気持ちはしない。




「……早く別の渾名が欲しいな」


 遠い目で、素朴な願望を呟くケイ。


「そうだなー。新しい渾名がつくといいなー」


 その背後、頭の後ろで腕を組んだアンドレイは、どこか投げやりな調子で同意する。


 正直なところ。


 "竜鱗通し"を得たことにより、ケイと交戦する者の死亡率はさらに上がったわけで。


 しかも、この弓を常時持ち歩くとなれば、それを狙う強盗も増えることだろう。つまりその犠牲者は増える一方。


 ("死神"の名がもっと広がるだけじゃないか?)


 口には出さなかったが、密かにそう思うアンドレイであった。




          †††




 馬で駆けること、さらに十分。


 疎林地帯を抜けたケイたちは小さな川に沿って、上流の方へと進んでいた。


 目の前には、岩が剥き出しの高い崖に挟まれた、峡谷の入り口。


 この峡谷、その名も"ウルヴァーン・ヴァレー"という。

 

 プレイヤーメイドの要塞村"ウルヴァーン"へと続く、最も便利な道として活用されている。


 この谷を抜け、崖道を登って行けば、数分とせずに村へと着くはずなのだが――


「……霧?」


 訝しげに眉をひそめたケイは、手綱を引いて馬の足を止めた。



 霧。



 進行方向、峡谷の入り口から向こう側は、全て乳白色の霧に覆い尽くされていた。まるでミルクが空気中に溶け込んで漂っているかのように、先が見通せない、濃い霧。


「……妙だな」

「ああ。天気は良いぜ」


 ケイの呟きに、快晴の空を見上げたアンドレイが答える。



 リアル志向の【DEMONDAL】では、当然のように天候も再現されており、『霧』という現象そのものは珍しくもなんともない。


 だが、リアル志向、晴れ渡った昼下がりに、唐突に霧が立ち込めている理由が分からない。


「……"幻覚の霧"?」


 アンドレイがケイの方を向いて、ゲーム内で最もメジャーな幻覚系の魔術を挙げる。


 しかし、ケイは頭を振ってそれを否定した。


「いや、それはないだろう。俺たちの魔術耐性を考えてみろ」

「……こんなに濃くは見えないな」

「ああ、少なくともプレイヤーには無理だ。それに、俺の第六感シックスセンスに反応がない」


 注意深く周囲に視線をやりながら、ケイは言った。


 "第六感シックスセンス"。


 リアル志向の【DEMONDAL】の中でも数少ない、ゲーム的な要素の一つだ。


 日本人からすると、『殺気』と聞けば、馴染み深い概念かもしれない。


 さっくり言ってしまえば、自分を害する『攻撃』が放たれた際、それに対して背筋がゾクゾクするような『悪寒』が発生するシステムだ。そしてその『攻撃』には、一般的に、実害のない幻覚系の魔術も含まれる。


「ケイの第六感に反応なし、か。となると魔術師の仕業じゃないな」


 アンドレイが顎に手を当てて、ふむむ、と唸り声を上げる。


 "第六感"――聴覚と触覚を融合し、新たに創られた、文字通り第六の感覚。


 実際のところ、どうしてもこのシステムに馴染むことが出来ず、機能をオフにしてしまうプレイヤーも少なくない。


 だが、ひとたび順応さえすれば、これほど頼りになる感覚はない、とケイは思う。


 弓を扱い、遠距離からの射撃戦に主眼を置くケイは、殺気を感知する技能と、攻撃時に精神を平静に保ち、逆に殺気を隠す技能に長けている。公式で設定されているわけではないが、プレイヤーたちは前者を"受動感気パッシブセンス"、後者を"隠密殺気ステルスセンス"と呼ぶ。


 ケイの場合、特に"受動パッシブ"が神がかった領域にあり、ほんの僅かな殺気であっても感知が可能だ。例え背後からの不意打ちであっても、大概の攻撃は事前に対処できる。その代わり殺気に敏感すぎるため、刺激的な混戦は苦手としているが――


 兎も角、そんなケイであっても、この霧からは『殺気』が感じられない。


「……まあ、"妖精"以外の契約精霊で、幻覚系の魔術があるなら話は別だ。仮に、脅威度も敵性意思もゼロ設定の魔術があったら、俺でも感知は出来ないぞ」


 矢筒から矢を抜き取りながら、ケイ。


「お前は何か感じないか? アンドレイ」

Nopeなんにも. 知ってるだろ、オレは"受動パッシブ"は苦手なんだよ。第一お前に分からないモンが、オレに分かるわけがない」


 しゃらりと、背の鞘からサーベルを抜き放ち、アンドレイが肩をすくめる。


 サーベルによる白兵戦のほか、撹乱や奇襲なども得意とする"NINJA"ことアンドレイは、意図的に強烈な殺気を放ち相手を威圧する"能動発気アクティブセンス"と、殺気を抑える"隠密殺気ステルスセンス"、その両方を極めた近接格闘の達人だ。


 対極に位置する二つの技能、"能動(アクティブ)"と"隠密(ステルス)"が変幻自在に入り乱れ、そこに軽業(アクロバット)のような変態機動が加わるのがアンドレイの戦闘スタイル。


 敵を翻弄し、リズムを切り崩し、場の空気を支配する。


 が、自らイニシアティブを握っていくこの戦闘スタイルゆえ、アンドレイは"受動パッシブ"を使う機会がほとんどない。その殺気を感知する能力は、お粗末なレベルに留まっていた。


 あくまで"上級プレイヤーにしては"という但し書きはつくが、少なくとも、ケイと比べられるレベルではない。


「けど、この霧があからさまに怪しいのは分かるぜ、流石にな」

「全くだ。どうしたものか」


 少なくともケイの知る限り、ウルヴァーンヴァレーに霧が立ち込める、という現象はこれまで起きた試しがない。天気が悪かった日も含めてだ。


 しかし【DEMONDAL】は、イベントやアイテム、モンスターの追加など小ネタ的なアップデートが予告なしで行われることがある。


 この霧も、おそらく新たに追加された『何か』であると考えられた。


「……迂回するのが、一番リスクは少ないな」

「でもココ通らなかったら三十分は食うぜ?」


 アンドレイがわざとらしく、素っ頓狂な声を上げる。


 ウルヴァーンヴァレーを通れないとなると、ここからは崖を迂回し、険しい山道を登る以外に村へアクセスする方法はない。


「んじゃ突っ込むか?」

「ケイ……なんでお前、そう極端なんだ」

「冒険してなんぼだろ? それに、そういうお前も乗り気じゃないか?」

「ふっ、まあな。殆どのポーションを失ったオレに、もはや怖いものなどない!」


 えっへん、と自虐的に胸を張るアンドレイ、しかし小首を傾げて、


「でもいいのか? 万が一があったら、その弓……」

「勿論、失くしたくはないが、予備の素材はあるしな。それに何かヤバいことがあったら、次はお前を置いて逃げるさ」

「この野郎っ」


 アンドレイがおどけてサーベルを振り上げた。笑みを浮かべたケイは、それから逃れるように馬を走らせる。


「さて、ちょっくら行ってみようか相棒」

「おうよ」


 笑いながら、二人はそのまま霧の中へと入っていった。


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