第21話 手に手をとって
晩さん会という名の懇親会は、おだやかに時間が過ぎていく。
皇太子夫妻は招待客ひとりひとりに声をかけ、会話を終えると、それからまた次の客へと移動しているようだ。
招待客のほとんどは皇太子夫妻に話しかけていただくのを心待ちにしているようだが、自分たちは違う。
つかずはなれずの距離を保ちながら、なおかつ会場で浮かないようにほかの客と話をすることにした。
オレンジジュースをなめながら、六華は隣で投資家と話をしている大河を見つめる。
「我が国はやはり中央集権国家ですから、仮想通貨に関しては、信頼の点ではまだまだと言えるのでは?」
投資家の問いかけに大河はやんわりとほほえむ。
「そうですね。ですが関連法律が来年の春に施行されれば、市場もまた活気づくでしょう。そういえば施行にはあちらの西田様のお父様が関わっておられるとか。せっかくですからお話を聞いてはいかがですか?」
「ああ、たしかにそうですね。行ってみますよ」
投資家はうんうんとうなずいて、その場を離れていった。
(久我大河って普通にそれっぽいこと話せるんだ……)
六華は仮想通貨がなにかもしらない。
常にニコニコ現金払いである。
「リンって、物知りだね」
六華が微笑みかけると、大河は切れ長の目を細める。
「新聞くらい読め。ニュースも見ないのか」
「しんぶん……にゅーす……」
新聞などここ何年も読んだ覚えがないし、テレビは樹が見るものしか見ない。主に国内外の動物ドキュメンタリーである。
口先でごにょごにょとごまかす六華を見て、大河はあきれたようにため息をついた。
「よくそれで竜宮警備隊の試験に受かったな」
国家公務員なのだから当然なのだが、警備隊の試験は、実技以外にも筆記試験がある。
「ああ、それね。私ものすごく勘がいいの。マークシートなら半分は絶対に取れる」
「なにっ?」
あっけらかんと答える六華に、大河は目をむいた。
「あとくじ運も強いし、じゃんけんも負け知らずよ」
「なんだそれは。野生の勘がすごいのか……いやでもお前ならありうる気がするな。ふふっ……」
ふざけたことを言うなと叱られるかと思ったが、大河は怒らなかった。むしろ楽しそうに笑っている。
彼のその柔らかい雰囲気に、六華の胸はほわっと暖かくなった。
(やっぱりこの人が笑ってくれると嬉しいな)
樹のことを話すつもりもないが、その気持ちは本物だった。
「――音楽が変わったな。ワルツの時間だ」
大河がフロアの中をぐるりと見まわす。
「ワルツ……?」
「ああ」
大河がフロアの真ん中に視線を向ける。
そこには皇太子の璃緋斗りひとと双葉が向き合い、お互いに一礼して手をとりあった。
璃緋斗はあくまでも双葉が踊りやすいようにリードに徹しているようだ。
くるくる、くるくると回るたび、ドレスの裾が花のように広がる。
「わぁ……」
六華は目を輝かせてふたりのワルツを見守った。
皇太子夫妻のワルツが始まると、一組、また一組と貴族のカップルがワルツの輪の中へと入っていった。あっという間にフロアが踊る者たちでいっぱいになった。
「皇太子夫妻が見えなくなったね……」
璃緋斗の背が高いので、「あのあたりにいるな」ということはわかるが、双葉は完全に視界から消えてしまった。
六華はその場で背伸びをしたが、よく見えない。
「皆動いてるからな……視界が遮られてしまう」
大河の少しいら立った声を聞いて、六華はすぐに大河の腕をつかんで引き寄せた。
「私たちもあそこに行こう!」
相変わらず制服姿の警備員が立っているが、さすがにワルツを踊る夫妻の近くには近づけないようだった。輪の外で仁王様のように立ち、微動だにしない。だったらこちらが近づくしかない。
「――踊れるのか?」
「一般教養の授業でちょっとだけ習ったよ」
「――」
六華の返事を聞いて大河は少し迷ったようだが、すぐに思考を切り替えたようだ。
「よし。行くぞ」
慣れた手つきで六華の手を取ると、フロアの中央に向かって歩き始めた。
六華が通っていた高校では、貴族社会のための一般常識という科目もいくつかあったのだ。ワルツを習うのも一般教養というわけである。
最低限のステップくらいは頭に入っている。
(要は音に合わせて体重を移動させればいいわけで……)
あとは堂々と、私は踊れますよ、という顔をしていれば問題ないだろう。
六華は久我大河の肩に手を乗せて、彼をまっすぐに見上げた。
「そういうあなたこそ踊れるの?」
ダンスは男性側のリードあってこそだ。
「朝飯前だ」
彼は唇の端を軽く持ち上げて笑うと、六華の体を軽く胸で押しながら、ワルツの中へと入っていった。
(う……うまい……!)
さすが朝飯前だと豪語しただけのことはある。
大河の足や体のさばき方は見事で、彼に呼吸を合わせるだけで、自動的に自分の体や足が、向かうべき方向へと動いていく。
最初は少しだけ緊張した六華だが、すぐに肩の力が抜けた。
時折、彼と胸がぶつかる。
そのうちに視線が絡み合って、そのうち離れなくなった。
澄んだ黒い目が、シャンデリアの光を反射して美しい。
まぶしいのか少しうるんで見えて、六華の胸はドキドキした。
こんなに見つめていいのかと思ったが、これはワルツだ。ダンス相手の顔を見て悪いということはないだろうと、自分に言い聞かせる。
久我大河は端整な男だ。多少皮肉っぽくて口が悪いところもあるが、なんだかんだいって育ちがいいのだろう。上流の教育を受けてきた匂いがする。
(もしかしたら貴族の出身なのかもって、昔も思ったんだっけ……)
六年前、竜宮近くのBARで彼と過ごした時、彼は銀のかんざしでぞんざいに髪をまとめていた。着ているものはシンプルだったがシックで上品だった。
(もしかして貴族ですかと、聞いてみたら……怒るかな)
貴族の子弟が竜宮警備隊にいるものかと問われると、正直心当たりはない。なぜなら警備隊はかなりのハードワークで、収入は多いが同時にあれこれと規制も多いのだ。
それなりの貴族なら働かずしても楽に生きていける収入を持っているものなので、わざわざ危険な職場に身を置く必要もない。
(いや、彼が貴族かどうかなんて、プライベートの問題だし、任務に関係ないもんな……聞かないほうがいいか……)
そう、自分の中で決着をつけかけた瞬間――。
「――なんでだろう。お前とこういうことをするの、初めてじゃない気がする」
大河がかすれた声でささやき、六華の胸の奥がドキッと跳ねた。
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