第20話 皇太子夫妻登場
「思ったより堅苦しくないんだね」
待合室から晩さん会の部屋へと移動し、フロアの天井に輝く美しいシャンデリアを見上げながら、六華は大河にささやく。
「竜王主催の国賓を招く会ではないからな。貴族は三分の一……あとは学者や政財界からの出席者が多いようだ。国の新しい世代を担う若者が招待されているんだろう。懇親会の延長だと思えばいい」
「なるほど……」
なんとなくずらっと並んだ長テーブルに男女が交互に並んで座る、そういった会をイメージしていた六華は拍子抜けだったが、これならそれほど緊張しなくてもよさそうである。
フロアの端では、オーケストラがいてゆったりした音楽を奏でていた。
軽食やドリンクをトレイにのせたウェイターが、歓談する人々の間を縫うように移動していた。ぜいたくな空間だ。
この中に双葉を害そうという者がいる――?
六華は注意深く、ひとりひとりの顔を見つめる。
出席者は二百人弱といったところか。和やかに歓談している集団がほとんどだが、あやしいと思えばみんなあやしく思えてしまう。要するになにもわからないということだ。
六華と大河はフロア全体が見渡せる入り口付近の隅へと移動した。
そして手に抱えていた珊瑚を、こっそりとショールに巻いたままテーブルの下に隠す。
長いテーブルクロスがかかっているので、誰にも気づかれる心配はない。
(いつでも珊瑚を抜けるようにしていないと……)
六華はそう思いながら、ふと大河の顔を見上げた。
(っていうか、もしかしてこの人、剣を携帯していない?)
六華はショールに珊瑚を包んで携帯しているが、どこからどう見ても、大河は手ぶらだ。剣を隠しているようには見えない。
(ということは、暗器を隠してるのかな)
暗器というのは、一見して武器に見えなかったり、洋服の下などに隠しておける武器のことだ。杖の中に刃を隠した、仕込み杖などが有名だろう。
さすがに警備にきて手ぶらということはないはずだ。
六華の目をしてどこになにを隠しているのかわからないというのは、さすがとしかいいようがない。
(あとで見せてもらおうっと)
そんなのんきなことを考えていると、フロアの奥の、大きな扉付近がざわついた。
「あっ……」
思わず六華は息をあげた。
この国でもっとも尊い竜の皇太子とその妻――六華の姉の双葉がようやく姿を現したのだ。
途端に、会場が割れんばかりの拍手に包まれる。
六華も慌てて両手を叩く。
(お姉ちゃんだー! 私はここにいるよ、言えないけど……!)
皇太子にエスコートされた姉を見て、六華は一瞬仕事を忘れ、ほうっと見とれてしまった。
くせ毛の六華とはまるで違う、美しく長い黒髪を複雑な形で結い上げた姉は、淡い藤色の、胸の下で切り替えが入ったオーガンジーのドレスを身にまとい、ほっそりと長い首に真珠のネックレスをつけている。
伏目がちの長いまつ毛に囲まれた瞳は澄んでいて、唇は小さいが、ぽってりとして色っぽい。
彼女は昔からお人形のようだと言われ続けていたが、確かにここまで尊い身分になれば、生きているお雛様といってもいいような気がする。そんな稀有な美しさだった。
(お姉ちゃん、きれい……!)
六華はほわんとしたまま、姉の背中に手を当て、隣に立つ皇太子に目を向ける。
皇太子は名を『
ただそれはあくまでも世に出す名前で、真の名は別にあるらしい。
人の言葉では到底発音できないとか、その名前にはまじないがかかっているので、おいそれと口に出せないとも言われているが、本当の理由は竜の一族しかしらないことだ。
彼らは二千年前からこの国の中心に君臨しているが、普段は竜宮の奥深くにいて、めったに人の前に姿を見せることはない。
写真やニュースがせいぜいである。
(すごい……迫力……!)
皇太子妃の妹という立場でありながら、六華も皇太子を自分の目で見るのは、初めてだった。
次の竜王はさすがとしかいいようがない、覇気オーラのようなものを放っていた。
タキシードに包んだ体は、190近いのではないだろうか。
ハーフアップにした黒髪は長く腰に届くほど。透き通るように色が白く、目鼻立ちははっきりとしていて、彫りが深い。
そしてなにより特出すべきなのが、頭部にある『角』である。
こめかみの上あたりから、片手で握ることができないくらい太く大きな角が、斜め上に向かって伸びているのだ。根本は濃い瑠璃色で、上に伸びていくほど薄くなり、先端は象牙色に輝いている。
人の基準で美しいとか美しくないとか、そんなことを論じる必要がないような、神様や仏様の造形美に近いかもしれない。
(あれが竜の一族の証……!)
このままでは警備どころではない。六華は謎の感動に包まれながら、なんとか平静を保とうと息を整えた。
実際、彼らが登場して衝撃を受けた六華が意識を保とうとするまで、ほんの30秒くらいの時間だったはずだ。
これも訓練のたまもので、その場にいたほとんどが、同じ目線で現れた皇太子に一瞬で魅入られて、息をするのも忘れているようだった。
(久我大河は大丈夫かな?)
ふと、隣に立つ彼を見上げる。
生意気かもしれないが、彼が呆けた顔をしていたら、からかって緊張をほぐしてやろうと思ったのだ。
だが久我大河の顔を見て、六華は雷に打たれたような衝撃を受けた。
彼は呆けてもおらず、見とれているわけでもなく、かといって任務に対して厳しい表情をするわけでもない。
ただ驚くほど、無表情だった。
(どうしてそんな顔……するの?)
視界には入っているはずなのに、まるで『そこには誰もいない』というような、白い壁でも見ているような雰囲気だ。
大河のみけんに常駐している、深いしわすらないとなると、かえって不気味でしかない。
これが目の前にいる、守るべき存在の皇太子夫妻に向ける目だろうか。
六華は「隊長」と、呼びかけようとして、はっとした。
(そうだ、そう呼ばないように決めたんだった)
六華はそっと手を伸ばして、驚かせないように彼の腕に触れる。
「――リン」
呼びかけると同時に大河はビクッと、ほんの少しだけ体を震わせた。
そしておそるおそる、声の主である六華を確かめるように見下ろす。
視線が絡み合って数秒、
「――ああ」
かすれた声で大河は返事をし、目にいつもの力が戻ってきた。
「どうしたの。なにか飲み物でも貰ってこようか」
「いや、いい。すまない……その……少し緊張したようだ。情けないな」
大河はふっと笑って、腕時計に目を落とした。
「会が始まるな。気を引き締めていこう」
「――うん」
大河はなにかを隠している。
そもそも彼は六年前から謎だらけだった。
なにかにいら立って、深く傷ついていて。
女は嫌いだと言いながら、与えられるかりそめの優しさに縋り付いてくるような、アンバランスな男。
確証があるわけではないが、その傷は今も彼の中に存在し続けているのだ。
おそらく自分という存在の、根本にかかわるような問題なのだろう。
だから惹かれて、そして今も目を離せない。
(力になりたいと言ったら、笑われるだろうか)
一瞬そんなあまっちょろいことを考えてしまった。
私に何ができる?
そもそも自分だって彼に重大なことを隠している。お互い様だ。
(今の目の前の仕事に集中しなくっちゃ……)
六華は鳴りやみそうにない拍手の中で、ひとり唇をきつく引き結んだのだった。
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