第16話 変身


「ちょっと待ってください、これだとどこに珊瑚を隠したらいいんですか、とてもじゃないけど隠す場所がないじゃないですかっっ!」


 六華の叫びがむなしく更衣室に響き渡る。

 だが対する飛鳥は冷静だった。


「18時以降の夜会は、肩を出すイブニングドレスが正式なの。っていうか、どんなドレスを着たって、60センチ以上の長物を隠せる場所なんてあるわけないでしょ! あきらめていい加減に出てきなさーいっ!」


 更衣室のカーテンに腕を入れ、かたくなに出てこようとしない六華の腕をつかみ、フロアへと引っ張り出した。


「ひゃっ!」


 飛鳥に無理やり引きずり出された六華は、両手で珊瑚をつかんだまま、よろめきながら飛鳥の前に立つ。だが顔を上げることができず、うつむいたままだ。


「――やっぱり似合うわね。さすが私の見立て」


 飛鳥はイブニングドレスを身にまとった六華を見て、安心したように笑顔を浮かべる。


「ほら、鏡を見てごらんなさいよ」

「いや……その……」


 一方六華は頬をこわばらせたまま、部屋の真ん中に用意されていた姿見に、ちらっと映った自分を見つめることができない。


 かれこれ小一時間以上。六華はありとあらゆるタイプのドレスに袖を通していた。

 最初はとりあえず自分が気に入ったものを選べと言われて、布地が多いものを選び、早々に却下された。

 今度は飛鳥が選んだものからチョイスしろと言われたが、色が派手だとか、胸元が開きすぎているとか六華が文句ばかり言うので、最終的に六華に選択権はなくなり、飛鳥の着せ替え人形と化してしまった。


 そして飛鳥が最終的に選んだのは、秋にぴったりのボルドーカラーのイブニングドレスだった。

 袖のないベアトップで、腕どころか背中も胸元も大きく開いている。裾は長く、靴のつま先まで完全に隠れる長さで、ウエストのあたりから同系色のオーガンジーが重ねられ、動くたびに上品に、ひらひらと揺れた。


「そのドレス気に入らない?」


 飛鳥が優しく問いかける。


「い、いえ! とっても素敵ですよ!」


 六華はぶんぶんと首を振ってそう答える。


 ドレスは素敵だ。本当に素敵だ。だからこそ思う。


(こんなの、女らしすぎて私には絶対に似合わないし……)


 そしてぼそぼそとつぶやいた。


「私にはもったいなさすぎて……」


 そう、あまりにもドレスが美しくて、六華は完全に気後れしてしまったのだ。


(私の馬鹿……久我大河をぎゃふんと言わせたいですなんて、無理に決まってるのに……!)


 六華お得意の『後悔先に立たず』である。

 すでにこのまま消え入りたいくらい、気落ちしていた。


「もーっ、どうしてそんなこと言うの? ほら、現実逃避してないで、しゃんと背筋を伸ばして!」


 飛鳥は六華の横に立ち、背中をばしんと手のひらで叩く。


「わっ……!」


 飛鳥の思った以上の力に六華はよろめきながら、言われた通り仕方なく背筋を伸ばしたのだが――視界に赤い何かが移ったと思った瞬間、直角に視線を逸らしていた。


(無理……!)


 意地でも自分の姿を確認しないぞ!という六華の強い意志を感じて、飛鳥は苦笑するしかない。

 なので作戦を変更することにしたようだ。


「じゃあとりあえず髪とメイクもしてしまいましょうよ。今のままじゃすっぴんだし、いくらあたしが似合うって言っても、トータルで見ないと、やっぱりピンと来ないだろうしね!」

「トータル……?」


 飛鳥の言葉に、六華は複雑な気持ちになる。

 自分が化粧をしても、そんなに変わるとはとても思えない。


「そう、トータルコーディネートよ。よし、そうとなれば善は急げだわ」


 だが飛鳥は六華が目をそらし続けていた姿見をひょいと抱えて壁ぎわに置くと、代わりにヘアメイクの道具が入ったキャスター付きワゴンと椅子を持ってきた。


「えっ、飛鳥さんがするんですか?」


 彼女にはドレスを選んでもらうだけではないのか。六華は目を丸くする。


「まぁ、これはめったにやらない特別サービスよ。はい、じゃあここに座ってね」


 そして六華の背後に回り、両肩に手を置いてじゃっかん無理やり椅子に座らせた。


「ん、もしかして自分でやりたかった?」


 飛鳥が首をかしげて、後ろから顔を覗き込んでくる。

 彼女のたおやかなたたずまいに、六華はごくりと息をのんだ。


「えっ!? いえいえ、私はその、見ての通り普段メイクをしないので、おまかせできるのならぜひ……!」


 メイクの良しあしは分からないが、飛鳥は美しい女性だ。

 今どきの小学生よりおしゃれを知らない六華より、間違いなくうまくやってくれるだろう。


(少し落ち着かなきゃ……)


 六華は膝に珊瑚をのせ、深呼吸をして肩越しに飛鳥を振り返った。


「ごめんなさい、私、どうにも緊張してしまって……」


 失礼な態度をとり続けて気を悪くしていないか、六華は申し訳なくなり、ぺこりと頭を下げる。

 すると飛鳥はふっと笑って、腰に両手を乗せて胸を張った。


「大丈夫。あたしはプロよ。女性本来の美しさを引き出すこの技術で、ごはんを食べてるの。だから今は信じられないかもしれないけれど、プロの仕事を信じてほしい。緊張するなら、ずっと目を閉じていていいから、リラックスして。あたしに身を任せてほしいわ」


 プロの仕事――。

 飛鳥の言葉に六華ははっとした。


 そうだ。たとえ自分が美しくなれると思えなくても、彼女の腕を信じることはできる。

 久我大河だって飛鳥を信じているから、六華を連れてきたはずだ。


(彼が信じる、彼女を信じる……そう思おう)


「――はい」


 大げさでもなくまるで戦場に赴く戦士のように、六華は重々しくうなずいたのだった。


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