第17話 触らないでもらいたい
『NO NAME』の一階にある時計の針は、まもなく17時30分を過ぎようとしていた。
晩さん会は18時開始だ。
(まだ来ない……このままでは間に合わないのでは……?)
そう、迎えに来ると言ったのに久我大河は姿を現さない。
つい十五分ほど前、しびれを切らした六華は三番隊の詰め所に電話をかけた。けれど事務所の電話は鳴らせども誰も出ず、大河の行方は分からないままだった。
(どうしたんだろう……なにか問題でもあったのかな)
六華は珊瑚を左手で持ったまま、焦りを紛らわせるように、ドレスと同系色のボルドーに塗られた自分の右手の爪先に目を落とす。
実はマニキュアを塗ってもらったのは生まれて初めてだった。
整えられた爪はブドウみたいでおいしそうだ。
女らしいことはすべて自分には似合わないと思っているが、きれいに切りそろえられた短い爪が、かわいらしく見えて少し嬉しくなる。
だがそんな楽しい気分も、大河が姿を見せない焦りで、すぐに不安にすり替わる。
「――ねぇ、遅刻はまずいんじゃないの?」
六華と一緒に大河を待っている飛鳥が、カウンターに肘をつきため息をついた。
「そうなんですよね……」
飛鳥の言うとおりだ。
久我大河は仕事を片付けてから迎えに来ると言っていた。
六華の任務は竜宮で行われる晩さん会に参加し、双葉を護ること。それが目的の第一である。晩さん会に遅刻することだけは避けたい。
「やっぱり先に行っちゃおうかな……」
口に出すとそれしかない気がした。
運良く竜宮はここからそれほど遠くない。今から行けば十分間に合うはずだ。
「そうねぇ……」
飛鳥はそう言って、あ、と顔を上げる。
「っていうか、スマホは? 大河に直接連絡できないの?」
もっともな問いだが、六華はとたんに渋い顔になった。
「――それが知らなくて」
「えっ、どういうこと?」
飛鳥が六華の返事を聞いて不思議そうに目を丸くする。彼女の疑問ももっともだ。
「隊長の番号なんか知らなくても、困らないだろうって思ってたんですよね……ミスでした」
彼が着任してからまだ日が浅い。彼と連携をとるのも今日が初めてだった。
責められたわけでもないのに、思わず言い訳めいた言葉を口にする。
「あら、そうだったの。実はあたしも大河の番号なんか知らないのよね。いつもいきなりやってきて、一方的なヤツなのよ……。今日みたいにね」
飛鳥は困ったように言って肩をすくめた。
六華はふうっと息を吐き、覚悟を決めた。
「とりあえず先に行きます」
招待状は持っている。大河の目的地だって同じなのだから、とりあえず向こうで彼が来るのを待てばいい。
「そうね。ここまで待っても来ないんだもの。なにかトラブルがあったのかもしれないし。あいつから連絡があったら伝えておくわ」
飛鳥もうんうんとうなずく。それから、善は急げとばかりに高級車のリムジンを呼んでくれた。商売柄、懇意にしている業者とすぐに連絡が取れるのだという。
本当に飛鳥がいてくれて助かった。彼女がいなかったらどうなっていたことか。
最初はこんなに美しい人が大河の友人なのかとおののいた六華だが、今は感謝の気持ちしかない。
「なにからなにまでありがとうございます。お礼はまた改めて伺わせてください」
「あら、いいのよ。あたしも楽しかったわぁ! 請求書は三番隊に送っておくから、あなたはお仕事がんばって♪」
「はいっ」
六華はパチンとウインクをした飛鳥に深々と頭を下げ、『NO NAME』をあとにしたのだった。
リムジンの後部座席で、六華は目を閉じ意識を集中させていた。
今から自分は竜宮に行く。
表向きはただの一般客として、双葉を陰ながら護るためにだ。
脅迫状が来たからと言って、それが即実行に移されるかというと、はなはだ疑問でもある。
脅迫状の詳しい内容までは知らされていないが、本当に双葉を傷つける気があるのなら、わざわざ脅迫状を送って脅すことはしないだろう。警備が厳重になってしまえば何もできるはずがない。
おそらく脅迫状の送り主の目的は、双葉をただ困らせ心痛を与えたいだけなのだ。
(卑怯者め……)
想像しただけではらわたが煮えくり返りそうになるが、頭に血を上らせてはいけない。自分は短気な人間だ。だからこそ人よりもずっと慎重であらねばならない。
奥歯をかんで、怒りを抑える。
(まずは任務遂行のため、ごく普通のどこにでもいる令嬢のふりをしなくちゃ……)
一応六華も士族の娘である。通っていた女子高は貴族の娘たちが多く通っていたので、そのうちの誰かをイメージしてふるまえばいいだろう。
(うんうん、隣のクラスだった
その昔、深窓のご令嬢として有名だった級友を脳内に描き、六華は身を引き締める。
六華がリムジンからひとり降りたとき。
招待状を受付の係に渡し、優雅にドレスの裾を指先で持ち上げたとき。
竜宮の中、豊明殿と呼ばれる部屋の手前にある待合室兼ロビーを歩きながら、誰かを探している六華のどこか不安そうな瞳を見たとき。
その場にいた貴族階級の男たちは、老いも若きも呆けたように六華に見とれ、ごくりと息をのんだ。
「あれはどちらのご令嬢かな」
「さぁ……見覚えがないな。誰かを探しているようだが……」
連れの女性にムッとされながらも、タキシード姿の男たちは、顔見知り同士でそうささやきあう。
引き締まった体にシックなボルドーカラーのドレスがよく似合っている。背筋はぴんと伸びていて、不安そうな目とは別に堂々として見える。
長い髪はゆるくアップにされて、束になったおくれ毛が、優雅な首のラインのあたりにひと房落ちて波打っていた。
印象的なハシバミ色の目を囲うまつげは濃く長く、唇はドレスの色と似た色で、はっとするように色っぽい。
アクセサリーはベルベット素材のチョーカーだけで、それがまた健康的な美を持つ六華を蠱惑的に演出していた。
幼いころから『恋は貴族のたしなみ』と平気で口にする貴族たちでも、一瞬ためらってしまうような、手の届かない空気をまとっている。
あの美しい彼女の幸運なパートナーはどんなやつだろうと、誰もかれもが、興味津々だ。
一方六華は、ここまで来ても大河に会えないことに、不安が増すばかりである。
(いない……もしかして、私が変すぎて、声がかけづらいとか……?)
想像の斜め上のことを考えていた。
彼は着飾った自分を見て、どう思うだろうか。
結局六華は、今自分がどうなっているか、しっかりと確認していないのだ。
髪も、メイクも、爪先だって飛鳥がきれいにしてくれたはずだが、照れくさくて自分の目で確認する勇気がわいてこなかった。
(意気地なしと笑いたければ笑えばいいわ)
ここまでくると「すっごくきれいよ!」と言ってくれた飛鳥の言葉を信じればいいと、開き直っている。
それにしてもなぜこうも彼とはすれ違ってばかりなのだろう。
(やっぱりご縁がないのかもね)
六年前からそうだ。いつも自分が彼を求めてばかり。
あの男は自分が複雑な気持ちを抱えているなど、考えたこともないだろう。
自嘲しながら、六華は珊瑚を中に隠し持ったショールを胸に抱き、もう一度大河の姿を探す。
そうやってうろうろしていると、突然ひとりの男が声をかけてきた。
「どなたかお探しですか?」
「えっ?」
驚いて立ち止まると、とたんに周囲を数人の男性陣に囲まれた。
「お手伝いしましょう」
「いえ、お困りなら私が力になります。私は綾川家の一門で、顔も広いんですよ」
「あなたのお名前を聞かせてはいただけませんか。わたしは――」
やたら興奮した男たちに、六華は息をのむ。
敵に囲まれたのなら、スキをついて攻撃、退路を作るが相手は全員貴族である。
(さすがに
隠密行動どころか、逆に悪目立ちしそうで六華は焦ってしまった。
「いえ、結構ですっ……」
うつむきささやいて、後ずさろうとしたのだが、勇気を振り絞って六華に声をかけた男たちも、簡単にはあきらめきれないようだ。最初に声をかけてきた男が、「ですがおひとりではなにかと不便でしょう」と、六華の肩に手を伸ばそうとした。その次の瞬間。
「失礼。俺の妻に触らないでもらいたい」
突如現れた手が、男のぶしつけな手をバシッと豪快に叩き落とし、流れるように六華の肩をつかみ、引き寄せる。
(つっ、つまーーーーーーーー!?)
よろめきながら顔を上げると、タキシード姿の久我大河が、まるで虎のような厳しい目線で、男たちを見下ろし、威嚇していたのだった。
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