第15話 大河の戸惑い

「はぁ……」


 飛鳥の店『NO NAME』のドアを閉めた瞬間、大河の唇から重いため息が漏れた。


 六華と離れてひとりになると、とたんに心が静かになるのはなぜだろう。

 我ながら情けないが、矢野目六華という女性を前にするとどうも調子が狂う。離れてようやく息がつける気がした。

 絶対に誰にも言えないことだが、本当は彼女と組めることを、大河は少しだけ楽しみにしていたのだ。


 矢野目六華。

 彼女は大河が知る中ではトップクラスの剣士だった。

 もちろん技術的に粗削りな面はあるが、もって生まれた天性の勘というものは、努力ではなかなか補えない才能の一つである。

 鍛えればもっと強くなるだろう。六華にはその可能性がある。


 苛立ちから彼女の姉を侮辱してしまい、決闘を申し込まれたときはどうなることかと思ったが、打ち合った瞬間から、大河は六華のまっすぐな剣筋を好ましく感じていた。

 その後、大河の謝罪の言葉を六華は受け入れてくれたが――。


『待ってください、なぜ久我隊長なんですか? 男性なら玲さんでもいいのでは! っていうか、私とあの人でうまくいくとは思えないんですけど……!』


 相談役にくってかかる六華の必死な声が大河の脳裏によみがえり、胸の奥がざらついた。


(やはり本心では俺を嫌っているんだな)


 自分でまいた種だとわかっていたが、少し残念だった。


 愛車に乗り込み、ふとバックミラーに映る自分の眉間のしわを見て、さらに険しい表情になった。


 自分でいうのもなんだが本当に不愛想な面構えだ。

 昔から自分は人に好かれるタイプではない。

 だから六華が自分を避けるのも、嫌うのも、当然だ。

 だが仕事上、連携がうまくいかないのは困る。彼女の上司として職務はまっとうしたかった。

 だからつい厳しい言葉を吐いてしまうのだ。もう少し優しく、愛想よくふるまえればいいのだが、こればかりは性格なので仕方ない。


(せめて出会い方が違っていればな……)


 大河は唇の端を皮肉っぽく持ち上げる。



 ほんの数週間前――。

 久我大河はやんごとない御方から、『竜宮警備隊』の三番隊隊長の任を命じられた。

 それは大河にとって、人生を大きく変える選択だった。


『複雑だろう。お前がいやなら断ってもいい。この国を出たいのなら……もう二度とこの地を踏みたくないというのなら、そのように取り計らおう』


 大河は尊い方のその提案を残酷だと思う一方、最大限の『優しさ』だったのかもしれない。そう思った。


(あの方の気持ちは俺には決してわからないが……)


 結局、大河は断らなかった。

 竜宮警備隊・三番隊隊長の役目をありがたく拝命しますと、頭を下げた。


 大河にとって『竜宮』は複雑な場所だ。あたたかくもあり、同時に苦い思い出がつまった場所でもある。

 六年前は辛いばかりで、大河は成人してすぐに海外へ逃げた。

 最初は米国アメリカ、それから仏蘭西フランス独逸ドイツなど、欧羅巴ヨーロッパの国々を回り、最後は英国イギリスでひとり剣の修業をした。

 このまま一生、故郷には帰らないのかもしれないと思っていたところで、帰国命令が出た。そして『竜宮』で働けと言われたのだ。


 当然大河の心は揺れた。

 竜宮は決して自分を受け入れない。

 これから先も、ずっと。

 わかっているから、六年前は逃げた。

 だがいつまでも逃げ続けたくないというのも本心なのだ。

 どこかで自分に区切りをつけなければならない。


 そして十日ほど前。

 三番隊の皆への挨拶前に気持ちを切り替えていこうと、緊張で震える手を必死で押さえながら一服していたところで、空から降ってきた六華に下敷きにされたのだ。

 大河の二十六年の人生で、あんなに驚いたことはなかった。

 衝撃で、その時に抱えていた感傷めいた気持ちは吹っ飛んでしまった。


(遅刻しそうだからって塀を飛び越えるなんてな……本当にめちゃくちゃなやつだ……)


 慌てふためく六華の顔を見て、大河は当然ものすごく腹が立ったのだが、同時に少しだけ、肩の荷が下りたような気がした。

 あんなおかしな女がいるところだ、退屈はしないだろう。いちいち傷つくこともないかもしれない……と。

 万華鏡のようにくるくると変化する、六華の顔を思い出す。


『久我隊長』


 涼やかな声で呼びかけられると、落ち着かなくなる。

 まっすぐに、彼女のはしばみ色の目に見つめられると、心の裏まで見られているような気分になる。

 だからつい心にもないことを言って気をそらしたくなる。

 ついさっきだって、大河が失礼にも『まともな女にしてもらえ』と言った時、彼女は子供のようにふくれていた。


「あの顔……」


 大河は思わずくすっと笑う。

 今まで大河が通り過ぎてきた人間関係にはいないタイプというのもあるが、なぜか彼女を見ると、少し懐かしい気分になる。しがらみを忘れそうになる。


(女なんか、どれも一緒だろうに……)


 経験上そう思うのに、思いきれない。

 六華には大河にそう思わせる力があるのかもしれない。

 そしてふと、過去に似たようなことを感じた夜が、あったような気がしたのだが――。


「いや、まさかな……」


 バックミラーに映る自分の顔が緩んでいるのを見て、誰が見ているわけでもないのに、慌てて表情を引き締めた。


 今の自分に女のことなど、考えている余裕はない。

 何者でもなかった自分が与えられた名前、そして職務。

 それが久我大河であり、竜宮警備隊三番隊隊長という場所なのだ。


「俺が生まれ育った竜宮だ……守ってみせるさ」


 大河はつぶやき、ゆっくりと車を発進させた。



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