第12話 反省とお誘い
久我大河の顔にはデカデカと「不機嫌」と書いてある。
非常に整った顔をしているので、怒っていると普通の人の三割増しで怖かった。
「いえ、その……あの……そういうわけではなくて……」
聞かれてはいけない言葉を彼の耳に入れてしまったのは自分だ。
六華はなんとか言い訳をひねり出そうとしたが、言葉は出てこなかった。
(なにがそういうわけではない、だ……。私ったら白々しい……)
彼と組むのを嫌がったのは事実だ。
申し訳ないと思う気持ちと、けれどそれを説明できないもどかしさで、六華は唇をかみしめる。
こうなると大河の顔を見るのも恐ろしい。
(どうしよう……)
謝らなければと思うが、なんと言っていいかわからない。六華は自然と、助けを求めて山尾へと視線を向けSOSを送った。
(山尾先生助けてください! 弟子の危機ですよ!)
だが山尾はうかつな六華をフォローするつもりはこれっぽっちもないようだ。
「では頼むよ、久我君。六華君。ふたりで協力して無事任務を全うしてくれたまえ」
デスクに両肘をつき、組んだ指先の上に顎先を乗せた相談役は、にこやかにふたりの顔を見比べたのだった。
執務室を出て、六華は先に歩き始めた大河を慌てて追いかける。
竜宮ではむやみに走ることは禁止されている。よってこれは精いっぱいの速足なのだが、なかなか大河に追いつけない。
(足、速い……やはり足の長さが圧倒的に違うせい?)
六華は先を歩く大河の広い背中を見つめる。
剣士らしく背筋はぴんと伸びて体が揺れない。滑るように歩を進める。
(いや、違うな……怒ってる。だから私なんかいない扱いで、先にどんどん歩いてるんだ……)
大河は自分を部下として認めていないのかもしれない。
(私が三番隊にふさわしくないと言われたら……)
隊長がそう上に進言すれば、隊士の自分は本当に辞めさせられるかもしれない。
こうなると姉を護るどころではない。想像しただけで冷や汗が出てくる。六華は思い切って大河に声をかけた。
「あ、あの……さっきは、失礼なことを言ってすみませんでしたっ!」
六華の謝罪の言葉が届いたらしい。突然、大河は立ち止まった。広い背中にぶつかりそうになって、六華も慌てて足を止めた。
「――お前が」
「えっ?」
頭上から中低音の声が響く。
顔を上げると、ゆっくりと肩越しに振り返った大河と目が合った。
美しい黒。
樹と同じ黒だ。胸が苦しい。
「お前が俺を嫌いなのはよくわかった」
六年前よりもさらに冷めた目線。低い声。
自分が彼にどう思われているか、いやでも突きつけられる。
「だが、これは仕事だ。職務に好き嫌いを持ち込むな」
「……はい」
一瞬、胸の真ん中を鋭い杭でうがたれた気がして、六華はぐっとこぶしを握った。
いろいろ反論したいと思うが、大河の言うことは正しい。
そもそも、『樹のことを知られたくないから久我大河と極力関わらないようにしたい』というのは、六華の一方的な都合なのだ。
久我大河は竜宮警備隊三番隊の隊長で六華の上司である。彼と本気で無関係でいたいというのなら、やはり六華が仕事を辞めるしかない。
(お姉ちゃんを護ると言いながら、結局自分のことばっかりだった……情けない)
六華の胸に、今更後悔の念がよぎる。
自分の印象はずっと右肩下がりかもしれないが、それとこれは別問題だ。
彼は双葉を守ってくれる、味方なのだ。
六華はまっすぐに大河を見つめた後、深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
頭を下げて数秒、微妙な間が開く。
ほんの数秒だ。だが六華にとっては何倍も長く感じた。
じんわりと全身が汗ばんできた。緊張して息もうまく吸えない。
めまいすらしてきて、もう倒れそうだと思った瞬間――。
「――行くぞ」
頭上からはっきりとした呼びかけがあった。
顔を上げると、もう大河は歩き始めていた。
(今のは……私に……だよね)
許されたのだろうか。
正直言ってよくわからないが、もうついてくるなと言われないだけで十分だった。
「はいっ!」
六華は大きな声で返事をし、それから大河の後を追いかけたのだが、今度はすぐに追いついた。
しかも隣だ。大河が歩調を合わせてくれている。
驚いて大河を見上げたが、彼はまっすぐに正面を見て六華に見向きもしない。
(気のせいかもしれないけど……そうじゃないかもしれないけれど、これでいい。仕事は仕事としてがんばろう)
とりあえずホッと胸をなでおろしたのだった。
ふたりが向かった先は、職員専用の地下駐車場だった。
六華はバス通勤だが、ある程度の身分の者は、自家用車での通勤も認められている。
「俺の私用車だ。乗れ」
ずらりと並ぶ高級車のなかでも、ひときわ美しく輝く黒いスポーツカーが、どうやら大河のものらしい。
「なぜ公用車を使わないんですか?」
「公用車を使うと、竜宮の関係者だとばれる」
「あ、そうか……」
潜入捜査に公用車は確かにまずい。
助手席のドアを開けて赤いしっとりとした手触りのシートに身を預けると、全身を包み込むような安定感があって、高級車だとわかった。
「うわぁ……マッサージチェアみたい……」
感動のあまり思わずそんなことを口走ると、運転席に乗り込んだ大河があきれたように鼻で笑う。
(笑われた……)
一瞬、複雑な気持ちになった六華だが、怒らせるよりはましだろう。
(深い眉間のしわなんて、そんな何度も見たくないし)
六華はそんなことを考えながらシートベルトを締めようとしたのだが、ベルトを差し込むバックルを見つけられず、もたついてしまった。
そこで突然、
「矢野目」
大河が身を乗り出して、六華の耳元でささやいた。
「バックルはそこだ」
「えっ、あ、はいっ……」
六華は慌ててバックルを引っ張り出し、シートベルトの金具を差し込む。
(声が、近い……!)
吐息が触れる距離だった。そんなことをされたらあれこれを思い出して緊張してしまう。
ずっと忘れていた甘い記憶がうずいて、六華は苦しくなる。
(いやいや、私が意識しちゃダメでしょ!)
ぶんぶんと首を振っていると、
「寝違えたか?」
大河が目の端でちらりと六華を見て、あきれたように目を細める。
「いえ……」
六華は途端に恥ずかしくなって、うつむいた。
焦っているのは自分だけ。久我大河はなにも知らない。覚えていないのだ。
(だから平常心、平常心……)
六華は念仏のように唱え、仕切り直しのつもりで運転席の大河の横顔に声をかけた。
「これからどこへ行くんですか?」
「お前のドレスを買いに行く」
「――え?」
「ドレスだ。必要だろう」
大河の返答はいたってシンプルだった。だが六華はそれどころではない。
(ど、ドドドドド、ドレス~!?)
動揺、硬直する六華を乗せて、車はゆっくりと動き出した――。
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