第5話 無視できない


 ふすまが取り払われ大広間と化した三番隊詰所の和室は、湧き合いとした空気で満ちていた。


「久我さん、あんた強いんだねぇ!」

「矢野目とあんだけやれるのはすごいよ」

「さぁさぁ、一献!」


 声を挙げているのは、三番隊の隊員たちだ。

 上座に座らせられた久我大河は周囲を男たちに囲まれ、ビールの入ったグラスに、どこか恐縮した様子で口をつけていた。


 身を引いた大河は、そのまま山尾と一緒に竜宮の事務方へと出かけてしまい、戻ってきたのはついさっきだ。戻って来るや否や、「新隊長さんの歓迎会をしよう」ということになり、簡単な宴が催されたと言うわけだ。

 隣にきちんと正座している玲の横で、六華も大豆をポリポリと口に運びながら大河を見つめる。

 大河は相変わらず眉間のしわが深く、端整な顔立ちのせいもあってひどく仏頂面に見えた。


(なれなれしい空気が気に入らない? それとも、緊張しているのかな……)


 ぼうっとしているだけで『なにニヤついてるんだ』と言われる六華と彼は、正反対かもしれない。

 この一年、隊長職は空白のままだった。そのためOBの山尾が相談役として三番隊についていたのだ。新しい隊長の赴任は純粋に歓迎されることである。


 六華だってそうだ。

 竜宮を護る後宮警備隊の武力担当として、隊長不在はまずい。一刻も早く、竜宮を護るにふさわしい、強い人が来てくれればいいと思っていた。

 姉を侮辱されて頭に来たが、それはそれだ。久我大河の強さは本物だろう。


(でも……あの時彼に感じた感情……どこかで……)


 六華はがりがりと大豆を奥歯でかみ砕く。


 敵意だけではない。打ち合った時の高揚感や全身を貫く快感――そう、あれは快感だった。

 美しく装い、黙って立っていればモテるのにと冷やかされながらも、六華は現状、誰とも付き合わず生きてきたのだが、久我大河と打ち合ったときに、自分の中に眠る女の部分を思い出したのだ。


(なぜだろう……)


 自分の事なのに、この気持ち、感覚がうまく説明できないし、モヤモヤする。


「変なの……」


 ぽつりとつぶやくと、隣の玲が「あ」と声を挙げた。


「りっちゃん、もう六時だよ」

「えっ、ほんとだ」


 時計の針が六時を指していた。終業時間だ。

 六華は悩むのをやめて、すっぱりと思考を切り替える。

 口の中に残る大豆をお茶で流し込み、立ち上がって大きく声を張り上げた。


「すみません、時間なのでお先に失礼しまーす!」


 六華の挨拶に、みんながいっせいに顔を上げた。


「おう、矢野目お疲れ!」

「気を付けて帰れよ!」

「はい、ではまた明日!」


 六華はにっこりと笑ってペコッと頭を下げた。

 大河は足早に和室を出る六華の背中を見送りながら、ビールが注がれたコップにほんの少しだけ唇をつける。

 六華に注がれる大河の視線に気が付いたのか、隣に座っていた男が、ニヤッと笑った。


「あいつはこういう席でもすぐ帰るんですよ。黙ってりゃ結構な美人だから、狙ってる男は多いんですけどね。どうも家に待ってる男がいるらしいんです」

「そう、か……」


 大河はぽつりとつぶやくと、そのままグラスをテーブルに置き、苦虫を噛み潰したように唇をかみしめた。





 玄関に出てもまだ座敷の喧騒が聞こえる。この調子だとお開きは相当先になりそうだ。


(明日、みんな大丈夫かな。まぁいつものことだし、夜勤組もそろそろ出勤だし、大丈夫だとは思うけど……)


 六華が玄関で座ってブーツを履いていると、


「待ってくれ」


 背後から低い声で呼び止められた。振り返るとひとりの長身の男が立っている。


「あ……」


 久我大河だ。

 ブーツを履き終えた六華は立ち上がり、彼に向き合った。

 問いかけながらも、全身の血がざわついているのがわかる。


 彼の黒い目にじっと見つめられていると、身の置き所がないような、不安な気持ちになる。


(この男はどこか危険だ……)


 六華はわざと唇をへの字にして、大河を見あげた。


「何でしょうか。まだなにか言い足りないことでも?」


 我ながら素直じゃないなと思うが、この男の放つどこかアンバランスな色気は自分には危険すぎる。

 それにいくら上司といっても、姉への侮辱は許せなかった。今さら媚びるつもりもなかった。


「あの……その……なんだ……」


 六華のまっすぐな視線を受けて、久我大河はどこか気まずそうに黙り込んでしまった。


(なんなんだ、この人は……)


 六華の姉を侮辱したとき、剣を合わせた時、そして今、この時。

 久我大河という男からは、どこかちぐはぐな印象を受ける。

 見目麗しくたくましい男でありながら、どこかあやうい。

 六華は怪訝な表情になりながらも、上司になる男を見つめた。


 さらさらとした黒髪の隙間から覗く切れ長の目。彫刻刀で切り込んだような美しい瞳だ。

 相変わらずみけんのしわは深いが、それも彼の魅力に見えなくもない。

 一方で、耳の端がうっすらと赤く染まっているのは、飲まされたからだろうか。


 隊の面々は皆酒豪で、なにかあればすぐに打ち上げだと称してのんでばかりの連中だ。もしかしたら彼はアルコールに弱いのかもしれない。


(だとしたら気の毒だな……うちはなにかと飲むのが好きだし。気が利く玲さんあたりに、こっそり伝えておいたほうがいいかもしれない)


 そう思いながら、六華は大河に向かって軽く頭を下げた。


「用がないなら帰ります。急いでいるので」


 クルっと踵を返した瞬間、


「待ってくれ!」


 突然腕をつかまれた。


「きゃっ……」


 そのまま強い力で引き寄せられバランスを失った六華だが、なぜか同じように大河もよろめいた。


「うわっ……」


 足を滑らせて、そのまま前へ倒れ込んでくる。


「あぶないっ……!」


 六華は慌てて両腕を伸ばし、両足に力を入れて、正面から大河を抱き留める。

 普通の二十代女性ならそのまま仰向けに倒れ込んでいただろうが、六華は隊士である。体の鍛え方が違う。なんとかふんばって大河を受け止めた。


「大丈夫ですか?」

「あっ……ああ、すまない……」


 耳もとで大河の声が響く。


 その瞬間、六華の全身を激しい衝撃が貫いた。


 甘くしびれるような稲妻。指の先から爪の先、髪の一本一本まで、すべてに流れる快感。

 まるで運命の相手に出会ったような、そんな不思議な空気。


 胸の奥で心臓が早鐘のように響いている。

 剣を合わせた時と同じ、不思議な感覚に、六華は息が止まりそうになる。

 だがそこでようやく六華は気が付いた。


(私は、彼を、知ってる……!)


 六華は恐ろしく魅力的なこの男――久我大河を、知っているのだ。

 脳裏に突然、あの夜のことがよくできた舞台の一幕のように浮かんでくる。


(どうして私、忘れていたの……!)


 熱い吐息。冷たいシーツの感触。汗で濡れた体の重み。

 首筋に張り付いた黒髪――。


『お前みたいな女、大嫌いだ……殺してやりたいよ……』


 呪いのような告白のような、怨嗟えんさの言葉も、なにもかも。

 六華の心と体にしっかりと刻み込まれていた。



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