第4話 引力


(お姉ちゃんは、私が護ってみせる……!)


 左手で腰に帯びていた二尺二寸の愛刀・珊瑚さんごさやを握り、親指でつばを押し上げた。鯉口からはばきが外れカチッと音が鳴る。


 六華はそのまま右手で柄を握り、一気に鞘から刀身を引き抜いた。


 久しぶりの出番に喜んでいるのか、珊瑚の刃紋があやしく、ぬらりと輝く。


 竜人の刀鍛冶が鍛えた刀だ。

 切れない物などおおよそこの世に存在しないと言われている。

 山尾がすうっと息を吸う気配がした。


「はじめっ!」


 合図とともに、


「やあああっ!」


 六華はその持ち前のスピードで走り出すと、上段から珊瑚を振り下ろしていた。


 ガキンッ!


 だが久我大河は目にもとまらぬ速さで鞘から刀を抜き、六華の一撃を受け止めていた。


「――重いな」


 大河が驚いたように目を見開いたが、それは六華も同じだった。


(抜刀が、速い……!)


 長身で鋼をより合わせたような逞しい体をしているのに、スピードもあるとは驚きだ。


 だがいつまでも感心してはいられない。

 六華はすぐに身を引き、体を低くして踏み込む。


「はっ!」「やっ!」


 撃ち合い、切り合い、つばぜり合い、六華と大河はどんどんその速さを極めていく。


 打ち合うたび、六華の全身がざわめく。

 それは恐怖ではない。下手をすれば大けがをするかもしれないのに、心と体が喜んでいる。

 アドレナリンが全身を駆け巡り、六華をさらなる高みへと運んで行こうとする。


(困った……どうしよう、大変だ、この男強い、早い、強い! こんなこと……ほんと、楽しい……!)


 指先、髪の先まで、力が高まっていく。


 大河も同じ感覚を抱いたようだ。気難しそうな表情から険がとれ、眉間のしわが緩み、どこか弾んだような表情になる。

 こうなれば武人というものは単純なのかもしれない。命のやり取りの延長に、喜びを見出してしまう。

 そんなふたりを見ながら玲と山尾は顔を見合わせた。


「こういっては失礼ですが、新しい隊長は相当な腕前ですね。正直、“久我大河”なんて名前、今まで聞いたこともなかったので、彼こそコネ枠かと思ってましたよ」


 優しい顔をして意外に毒を吐き微笑む玲に「まがりなりにも隊長ですからね」と、山尾はふっと笑って表情を緩める。


「そうですね……」


 玲はかるくうなずきながら、六華と大河を見つめた。


 竜宮内ではみだりに走ってはいけないなどという罰則もありつつ、六華たち竜宮警備隊は、いつでもどこでも抜刀が許される。竜宮警備隊に入隊した以降、怪我をしようが死のうが、なにが起こってもそれはすべて自己責任だ。


 第一の優先は竜宮とそこに住む竜族を護ること。


 竜宮に住む皇族の生活を護るために竜宮警備隊は存在するので、さまざまな超法規的措置が許されている。

 実際、玲のように誰もが新しい隊長の練度を知りたいと思っているので、六華の一方的な決闘申し込みによるこの試合も最終的には“訓練”で通るだろう。

 そのうち、三番隊だけではなく、噂を聞き付けたらしい事務方の職員も、どれどれと見学に集まって、六華と大河の打ち合いを眺めていた。


「六華、そろそろスタミナが切れるんじゃないか!?」

「剣先が下がって来てるぞ!」


 もはや完全に観客と化した隊士たちの声援に、六華は「うるさいっ!」と叫び返しつつ、さらに強く、強く、踏み込んでいく。


 確かに物心ついた時から道場で己を鍛えてきた六華は、そんじょそこらの男なら決して引けを取らない。

 それに今は、入隊時に竜宮から貸与された神刀『珊瑚』をふるっているのだ。


 竜宮で鍛えられた日本刀を模した武器には、神通力が備わっていて、普通の武器では文字通り太刀打ちできないはずだった。


(久我大河……この男、まだ正式に隊長になっていないはずなのに……なぜ?)


 彼が持つ刀は、この時点では《普通の日本刀》であるはずだ。

 だが六華は彼の持つ刀から、確かに力の波動を感じていた。


 つばぜり合いで最大限にふたりの顔が近づく。


 お互いの瞳を覗き込むほど近く――。


 本来であれば、この時間は、六華はいつだって次に自分が繰り出す技、そして相手がどう動くか、それを考えているはずなのだが。

 不思議とそんな気にはなれなかった。


(触れたい……この男に)


 それどころか、甘いときめきに似た感覚が、六華を包む。


(深く、もっと深い所に……近づきたい……)


 黒い瞳に射抜かれるように見つめられるたび、息が止まりそうになる。


 恐怖ではない感覚が、六華の体を包む。

 自分でも意味が分からない。

 なぜこの男に惹かれるのだろう。

 久我大河と向き合っていると、間違いなく剣でもって命のやり取りをしているはずなのに、まるで彼と体を寄せ合い、ダンスでも踊っているような気持ちになる。


(久我大河……あなたいったい、なんなの……?)


 ふと剣士としての本能が、六華に違和感を伝えてきた。


 撃ち合うたびに“懐かしさ”を感じるのは、他に理由があるのではないかと。

 浮かれた気分を沈め、呼吸を整え、神経を集中させ力の流れをたどる。

 そしてやはり、さきほどの違和感の原因である、久我大河の刀に視線が向いた。


「――久我大河、その刀……なに?」


 つばぜり合いで顔が近づいた瞬間、六華は思わず問いかけていた。


 その瞬間、大河は大きく目を見開いて、バッと体を引く。そして刀を腰に帯びていた鞘にすらりと収めてしまっていた。


「えっ!」


 そう叫んだのは六華だけではない。突然に武器をおさめた大河に、山尾をのぞき、その場にいた誰もが目を丸くした。


「遊び過ぎた」

「……」


 彼の低い声に、六華は押し黙る。いや、言葉が見つからなかった。


(久我大河……なぜ?)


 なぜ途中で勝負を放棄したのだろう。悔しいがあのまま打ち合っていたら、主にスタミナの面でおそらく六華が押し負けていたはずだ。


(女だからなめられた……? いや、そうじゃない)


 剣を交わしている間は、確かに六華と大河はひとつになっていたはずだ。そこには侮蔑も差別もなかった。


「久我大河……」


 六華は遠ざかる大河の背中を見送ることしかできなかった。

 その広い背中を追いかけたいと願う自分の感情に、揺れながら――。


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