第3話 守るために
どこの世界に新任の上司に勝負を挑む部下がいるだろうか。
六華は「はぁ……」とため息をつく。
場の勢いで勝負を申し込んでしまった六華に対して、大河は六華が叩きつけたグローブを冷静に手に取るやいなや、すっと立ち上がって、
「了解した」
と、先に三番隊詰所を出て行った。
彼からは戸惑う気配すら感じなかった。
(また勢いだけで突っ走ってしまった……!)
六華はごくりと息をのむ。
大河の物言いに腹が立ったのは事実なので、それはいい。
だがほかにやりようはなかったのだろうかと、少し情けなくなる。
「――六華君」
ふたりきりになった座敷で、山尾が心配したように声をかけてくる。
六華は顔を上げて、「すみません……」とつぶやいた。
余計な厄介ごとを引き起こしてしまった。せめて山尾がいないところで、ふたりで話をつければよかったと思うが後の祭りだ。
「いや、わたしこそ久我君を止められなくて、悪かったね。彼も悪い人ではないのだが……その……いろいろあってね」
山尾がどこか言いにくそうに言葉を選びながら眉根を下げる。
「いいえ、山尾先生が謝ることなんかないです。ただ私も姉のことを言われると、黙っていられなくて……頭に来て……すみません」
山尾が眉をひそめる。
「いまだにあれこれ言われるのかね」
「まぁ、たまにですけど」
六華は苦笑しうなずいた。
これ以上悩んでも仕方ない。勝負を挑んだのは自分なのだ。
だったら自分で始末をつけるしかない。
「行きましょう。あまり待たせるのも悪いですし」
山尾と一緒に立ち上がり詰所を出る。
詰所の前は学校のグラウンドのような広場がひろがっている。その中央に上着を脱いでベスト姿になった久我大河が立っていた。
バランスの取れた長身に逞しい体。
鍛え上げているのは立ち姿を一目見ればわかる。
(あの男が全力で剣を振りぬいたらどうなるだろう……)
想像しただけで、六華の背中が興奮で泡立った。
こういう時、本当に自分は馬鹿だなと思うが仕方ない。
剣士とはこういう生き物なのだ。
「りっちゃん、聞いたよ。上司を尻で敷いたあげくの土下座からの決闘って、その展開忙しすぎない?」
同じ隊の
彼は手に久我のスーツの上着を持っていた。預かったらしい。
朝礼前なので、ほかにも隊士や職員が、わらわらと集まってきた。六華の事件を聞きつけてきたようだ。憂い顔の者はおらず、全員どこか楽しそうでもある。
「玲さん……」
六華ははぁ、とため息をつきニコニコ顔の玲に向かい合った。
「今更だけど私、これでクビになったりします?」
玲は六華の二つ年上の二十六歳で、半年前に入隊した六華の指導役でもある。
茶色い髪と同じ色の目を持った気持ちの優しい青年だ。黒を基調にした隊服を着ており、腰には六華同様、剣を帯びている。
「いや、それはないんじゃない? 僕たちはなんでもありの三番隊だよ」
玲はくすりと笑うと、耳もとに顔を寄せて囁いた。
「りっちゃん、思いっきりやっておいで。実際、ここにいるみんなは新しい隊長がどれほどできるか、見てみたいと思ってるからね」
「了解です」
六華はしっかりとうなずいて、それからくるりを踵を返し、久我のもとに向かって歩いていく。
(よし、後のことは後で考えよう! とにかくお姉ちゃんを侮辱したことだけは、絶対に許さないからな!)
六華の実家である矢野目家は、妃を輩出した『
だが六華の実家は、もともとは貧乏士族だった。国から支給される俸禄だけでは食べて行けず、町の道場で子供たちに剣を教えて生活をしていた。決して暮らし向きは裕福ではない。
商家出身の母は六華が物心ついた時に亡くなってしまったが、暢気で楽天家の父の「三度の飯が食えればよし!」という教えのもと、六華と四つ年上の姉の双葉は、のんびりたくましく育った。
ちなみに六華は中学生になっても近所の子供を集めて、学校帰りにザリガニを取りに行く少女だったが、双葉は違った。賢い少女だった。
いつまでもガキ大将で勉強はさっぱりだった六華とは違い、暇があればいつも本を読んでいた。高等学校を卒業後、周囲には大学に進学するように勧められたのにもかかわらず、就職することを選んだ。
勤め先はこの国で一番身分の高い尊き人、竜の帝がおわす宮、
最初は事務員として採用された双葉だが、日々真面目に職務に取り組んでいたところ上司から推薦を得て、より給料の高い竜宮の奥向き――後宮で竜の一族に仕える女官になった。
双葉はそこで働いているうちに皇太子に見染められ、お手が付き、しかも子を宿したのだ。
これが矢野目家の大きな転機となった。
竜の血をひく竜人たちは、みな頭に立派な角を有しており、人とは違う力を持つ。
寿命も人より長い。神に連なる異能の力だ。ただその貴重な力ゆえか、竜族にはなかなか子供ができない。
子ができるのはその昔から、大げさではない数字で万にひとりと言われている。
『日本国』では、竜は絶対だ。竜の血筋によってこの国は何千年も平和な日々を送っている。竜の血筋を維持することは国家事業でもある。
たちまち双葉は妃として後宮に迎えられ、六華の家は、お妃を出した『
(だから世間は、私たち一家を、宝くじでも当てたかのように言うけれど……とんでもない。現実はもっとシビアだ)
六華はふっくらとした唇を、ぎりりと噛みしめる。
身分に釣り合わない寵愛を得た妃はどんな目にあってきたか。古くは源氏物語から、知らぬ者はいないはずだ。しかも皇太子の子を宿したともなれば、後宮および竜宮での権力争いは双葉を中心に激化する。
(お姉ちゃんは……ちっとも安全じゃない)
脳裏に姉の笑顔が浮かぶ。
姉は悲しい顔など六華には見せない。後宮でどんな意地悪や嫌がらせをされても、いつだってどんな状況にあっても「大丈夫よ」と、微笑むのだ。
たとえ自分を犠牲にしても、家族に迷惑はかけまいとする。
だから六華は“ここ”に来た。
日々剣の研鑽を重ね、その力を頼りに竜宮へと来た。
自分の力で姉を護るために。
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