第2話 勝負


「六華君。紹介しよう。君が下敷きにした彼が、来週から竜宮警備隊の三番隊隊長に任ぜられる予定の、久我大河くがたいが君だ」


 上司の軽やかな紹介に、


「――すっ……すみませんでしたぁっ……!」


 六華は詰所の畳に額をこすりつける勢いで深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。




 三番隊隊長――すなわち彼は六華の直属の上司ということになる。

 よりにもよって上司を下敷きにしてしまったらしい。


(最悪だ……)


 六華は完全に落ち込んでいた。


 これなら廊下を走って始末書の方がずっとマシだった。後悔先に立たずとはよく言ったものである。言い訳などできるはずもない。六華は額を畳に押し付けて、ひたすら頭を下げる。


「山尾先生……本当に彼女が、三番隊初の女性隊士なんですか? なにかの冗談では?」


 三番隊は竜宮を護るため存在する武力部隊だが、長い歴史の中で女性隊士はひとりもいない。

 信じられないと言わんばかりに、大河がうめくようにしてつぶやく。

 遅刻しかけた自分が悪いのだが、まさか他人を巻き込むことになるとは思ってもみなかった。


(挨拶に着て来るくらいだから、一張羅だよね……ああ~。最悪だ……)


 彼の黒いスーツは泥で汚れている。クリーニング代は給料から天引きしてもらおうと思いつつ、さらに六華は無言で頭を下げた。


「冗談じゃないよ、久我君」


 大河から投げられたまっとうな疑問を受けて、山尾は茶をすすりながらおだやかに微笑む。


「彼女は初めての女性隊士だよ」


 山尾は三番隊の元隊長で、現在は相談役を務めている。


 年は六十代前後、見た目はとても剣をふるいそうにない文系のおっとりしたおじさまだが、剣の達人で、町道場を経営している六華の父の兄弟子にあたる人だ。


「では、俺がこの暴れ猿……いえ、失礼しました。女ゴリラの面倒をみるということですか?」


(言い直しても女ゴリラ……!)


 大河の中低音の美声は、罵声をさらに迫力のあるものにしている。

 六華の胸の奥がざわついたが、言い返せるはずもないので唇を噛みしめるしかない。


「上司は部下の責任をとるものだからねぇ。あはは」


 それを聞いて大河はカッと目を見開く。


「笑い事じゃないですよ! 遅刻しそうだからって、塀を飛び越えて来るなんて、非常識にもほどがあります!」


 大河の呆れかえった声が、刃に形を変えてグサグサと六華に刺さる。

 山尾のことを『先生』と呼んでいることから、六華と同じように道場繋がりの知り合いなのかもしれない。


(とりあえず嵐が過ぎ去るのを待つしかない……)


 畳に手をついたまま、ちらりと隣の久我大河を見あげた。


(それにしても大きいな……久我大河……)


 おそらく百八十五はあるだろう。自分より三十センチは高い。肩幅は広く胸板は厚い、恵まれた体躯だ。

 少し長めの前髪からキラキラと輝く漆黒の瞳が美しい。

 眉は凛々しくまっすぐで鼻筋は通っており、きりっと結んだ唇からは意志が強そうな雰囲気が伝わってくる。


 他人の容姿に基本的に興味がない六華だが、絵巻物のような美丈夫に、好意云々は置いておいて、純粋に見とれてしまった。


(指輪はしていない。独身かな。きっと後宮の女官たちに、騒がれるだろうなぁ……)


 竜宮警備隊の隊長で、見目麗しいとくればモテないはずがない。


(でも、どこかで見たような……気がするんだけど……うーん……)


 大河を見ていると、なぜか慕わしいと思う気持ちがふんわりと沸き起こってくる。

 年頃の若い娘のくせして、現状恋愛に興味がない六華は、突如自分の胸の中に芽生えた感情に戸惑いが隠せない。


(どうして私、この男のことが気になるんだろう?)


 そろそろいいだろうかと、六華はゆっくりと体を起こし、山尾に小言を言い続ける大河の横顔を見つめた。


(顔だけじゃない。肌もきれいだな……。首がすらっと長くて、顔が小さくて……)


 一流の芸術家が手掛けた、彫刻のような美しい横顔だ。

 だがよっぽど腹に据えかねたらしい。興奮して頭に血が上っているらしく、耳や首のあたりがうっすらと赤く染まっていた。

 そんな上気した肌すら、どこかなまめかしく見えるのだが、眺めていて、ふと気が付いた。


 大河の耳の下、首元にある、星座のように三つに並んだほくろに。


 それを見た瞬間、六華の体の奥の何かがざわめいた。


 ドクン、ドクン、と体全体が鼓動を刻む。


(あれは……え……えっ?)


 六華の胸の奥から、何かが蓋をこじ開け顔をのぞかせようとした瞬間――。


「ああ、この常識知らずはコネ枠ですか」


 勢いあまっての事なのか、久我大河は六華の前で、そのようなことを口にした。


「皇太子妃の妹であれば話題性には事欠かない。美談でもありますしね」


 大河の言葉に、六華の胸の奥が、不快感でぞわりと泡立つ。


(皇太子妃のコネ……美談……)


 それは六華が今まで何度と言われ続けてきた言葉だった。

 慣れた。陰口などたいしたことはない。

 そう何度も自分に言い聞かせてきたけれど――。


 久我大河の発言は、なぜか六華に刺さる。


「待ちなさい、久我君。そういう決めつけはよくないよ」


 山尾がやんわりとたしなめるが、未だに怒りが収まらない大河は、隣で自分を凝視している六華の存在を一瞬忘れてしまったらしい。吐き捨てるように言葉を続ける。


「皇太子殿下以降、竜宮に竜人りゅうじんがうまれなかったのは事実。なので皇太子殿下は懐妊した貧乏士族出身の妻を、ことさら大事にしているとか。彼女の頼みであれば、妹を誉れ高き隊士の一員にねじ込むこともあるでしょうね。里が知れるというものかと」


 その瞬間、六華の目が大きく見開かれた。


 彼の首筋のほくろを見て、何かを思い出しそうだったが、そんなことはどうでもよくなった。

 代わりに六華の中に生まれたのは、純粋な怒りだった。


「おい貴様、私はいい。三番隊のゴリラ女って言われ慣れてる。だが姉をっ……お姉ちゃんを愚弄するのは許さない。私のお姉ちゃんは、天使みたいに優しくてきれいなんだぞ!」

「なっ……?」


 大河が、ハッとしたように息を飲み、隣で自分を凝視している六華に気が付いた。


「六華君」


 山尾が一瞬、まずいという表情になったが遅かった。

 六華はいきなりその場に立ち上がると、嵌めていたグローブを外して、力いっぱい畳の上に投げつけ叫ぶ。


「勝負だ、久我大河! 表へ出ろ!」



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