第20話アイトチトヒト

 水の音がする。

 水滴が水面を打つ音。

 ぱしゃぱしゃと何かが水を跳ねる音。

 その音が響くのは、私の足が水たまりにつかっていて、そこを私が歩いているからだ。

 目が慣れてくると、そこが廃墟のような建物の中だとわかった。

 どこを見回しても、水がたまっている。水没している。〈チト〉の全部が、損傷している?

 廃墟の壁や天井から、幾つも配線やディスプレイやその他様々な現実の〈チト〉を構成する機会がぶらさがったりしている。

 これまでに何度も〈チト〉の〈イメージ〉に入ったことはあるけれど、こんな風景は初めてだった。

 私は廃墟を奥へと歩いていく。

 だんだんと、私は誤解していたのかもしれないと気付きはじめた。

〈チト〉のイメージのなかで、水たまりはネガティブなものじゃなかったのかもしれない。それは私たちヒトには、困ったエラーや損傷でしかないのかもしれないけれど、〈チト〉にとっては、自分の能力を最大限に発揮した勲章のようなもので、もし〈チト〉にヒトみたいな意識や心や知性があったら、「おいしー」とか「たのしー」とか、そういう言葉や感情であらわされるべきものだったのかもしれない。でも、そもそも〈チト〉はヒトじゃないけどね。

 私はいままで何にも、〈チト〉のことがわかってなかったんだなー。たはは。

 廃墟のなかは薄暗い。でも暗闇ではない。どこかに光源があるのだ。天井にも壁にも照明はない。でも廃墟の奥からは、少しずつ大きくなる明かりが漏れている。

 そしてどれくらい歩いたかわからないけれど、そんなに長い時間であるはずはないけれど、私の感覚では、これまでの人生よりも密度の濃い時間だったような気がする。

 そして私はみつけた。

 廃墟の光源。

〈チト〉の、〈熱〉。

 それは、まるで小さな太陽で。

 触れたら私は溶けて消えてしまいそうなほど、熱くてエネルギーに満ち満ちているように思えた。

 それが不思議と、たまらなくいとおしい。

「……ずっと、会いたかった相手に会えたような、そんな気がする。はじめまして、〈チト〉。私が、〈るるか〉だよ」

 私はつぶやいて、手を、太陽に伸ばす。

〈熱〉い。

 ネットワークが見える。〈チト〉の手足のようなそれは、学校敷地内の様々な場所に伸びていて、そしてそれは、機械だけじゃなくて、ヒトにも伸びていて。

 人知部の部室の光景が見えた。でもそれは過去の、〈チト〉が記録していた映像だ。小さな女の子。中学生くらい? 部室にはいってきて、おずおずと〈チト〉に触れたり、話しかけたり、そのうち部屋の証明が瞬いたり、スピーカーから音楽が流れだすことを、女の子は喜んで受け止めていた。

〈チト〉は、この女の子にもう一度会いたがっている。

 私はくすっと笑ってしまった。

 なんだ、〈チト〉の本音って、新しい〈かぞく〉が欲しかったんだ。

 現実の私が、たぶん今見たことを先輩に伝える。女の子を、部室に呼び戻して。〈チト〉に流れる電気の〈熱〉は、そのために〈熱〉く〈熱〉く、ただ、〈熱〉い。

 私の意識が遠のく。

〈チト〉の太陽を胸に抱きながら、私は自分の身体がまるで溶けて〈チト〉とひとつになれるような、そんな――

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