5日目・《念仏鐘》
「トンスケ。お前との付き合いも、今日で最後だと思うと感慨深いものがあるな」
「何でもう失敗前提なんですか。やめてくださいよ!」
犯罪奴隷落ちまで5日間の執行猶予、その最終日。
冒険者ギルド登録試験前の短い時間、僕はギルド併設の酒場にて、特許庁のおじさんにコーヒーを奢ってもらっていた。
この酒場、午前中から昼までは喫茶店にもなっているのだ。
アルコールを出さない喫茶店のことを“純喫茶”と称するので、ここは“不純喫茶”になるのだろうか?
いや、カフェバーだな。
「そうは言っても、最後の武器がこれではな」
テーブルの脇に据えたその武器をおじさんが小突くと、ぐわぉん、と腹に響く音が鳴った。
まばらにいる客がこちらを向き、ああ、と何かに納得したような顔で視線を戻す。
僕達は試験前には大体ここで武器の最終確認をしている。
たった5日の間だったけど、周囲もそれに慣れてくれたのだろうか、また何かおかしな物を持ってきたな、くらいの軽い反応だ。
初日に《鎖鎌オブナインテイル》を持って来た時には、やべえ奴を見るような視線が突き刺さっていたものな。
実際僕だって、鎖束と大量の鎌をジャラジャラ言わせてる奴が喫茶店に入って来たら、二度見三度見程度じゃ済まないだろう。退席するまである。
「この《念仏鐘》は僕の最高傑作ですよ。時間さえあれば、ゴブリン程度は確実に殺せます」
「……理屈は申請書を読んだからわかるが、迂遠に過ぎないか?」
「卑近な武器って大体既出ですからね」
そういえば、まだこの人の名前も知らないんだよな。
最初に会った日に聞いたのかも知れないけど、あの時は混乱してたから、聞き流してしまったのかも知れない。
短い間だったけど、随分とお世話になったように思う。
「僕みたいな人って、結構いるんですか? その、自分で武器を作る冒険者って」
「まあ、滅多にいないな。普通は冒険者になろうなんて奴らは、武器なり魔法なり、最低限の戦闘能力は持っている。親や親戚から使い古しの武器を譲り受ける場合もあるし、金も身寄りも無ければ、素手か魔法でゴブリンを殴り殺せる連中しか冒険者にはならない」
「冒険者怖い」
「あとはそうだな、そこそこ腕のある連中が野良鍛冶師にオーダーメイドした武器を持ってきて、特許登録の確認をするくらいのことは、たまにある」
「はぁ」
すごい閑職。特許庁さんは本当に暇だったんだな。
おまけに、完全に出世コースを外されてる感がある。
「ヤマモトさん、特許庁さん、お待たせしましたウサ」
僕(※無職)が憐憫を込めた視線を送っていた所に、受付嬢の人がウサ耳を揺らしながら現れた。
受付嬢の人も「特許庁さん」って呼んでるけど、この人もやっぱり、名前知らないんじゃなかろうか。
僕、受付嬢の人の名前も知らないけど……。
「今日も宜しくお願いします」
泣いても哂っても、これが最後の挑戦になる。
僕は《念仏鐘》のブレーキを解除して車輪を出し、地下試験場に向けて、総鉄製のその武器を押し転がした。
《念仏鐘》は、その名の通り釣鐘の形をしている。本体の大きさは高さ
総鉄製で全面に経文が彫り込んであり、車輪や支柱などが側部に格納されている。
武器区分としては
油圧ジャッキで本体を持ち上げ、中に敵を閉じ込めて、
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経ォォォォォォ……」
上部付近に刺さった筒から、般若心経を唱えるのだッ!!
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是」
お経は基本的に抑揚を付けずに読む。
宗派によるのか個人の癖なのか、息継ぎの時に若干アクセントがつく読み方もあり、僕は法事の時にそちらを聴いて覚えたので、自分で読む時もそのようになる。
「舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道」
息継ぎは句読点とか単語の意味とかで切れる部分を敢えて避けることで、複数人での読経における息継ぎのタイミングをずらす場合もある。今回は独りで読むので、特に意味はないが。
精神攻撃武器《念仏鐘》。
この武器に捕えられた相手は、光の差さぬ暗闇の中で、反響する般若心経だけを延々と聞き続ける。
相手は狂って死ぬ。
あるいは、狂って死ぬまで続ける。
人間並みの精神攻撃耐性しか持たないゴブリンなら、時間さえあれば確実に殺せる。
と思ってたんだけど。
「観自在菩薩行深般若波羅」
「おい、トンスケ・ヤマモトはいるか?」
「蜜多時照見五蘊皆?」
何十周か、百周以上かの般若心経を唱えていた所に、僕を呼ばわる声がかかった。
この5日間、僕、特許庁の人、受付嬢の人の3人しか使っていなかったこの試験場に、知らない声が響く。
振り返ると、それはどうやら衛兵さんのようだった。
「トンスケ・ヤマモトだな。あと30分で貴様の執行猶予期間が終了するが、身分証の提出は可能か?」
「空度一切苦厄……!?」
嘘、だろ。
時間切れ?
ゴブリンは……駄目だ、ゴフゴフ言ってる。まだ生きている。
もう駄目だ、と思った途端に、心が折れた。
僕は読経を止め、その場に頽れた。
「ヤマモトさん!」
「トンスケ!」
受付嬢の人と特許庁の人が駆け寄ってくる。
衛兵さんは溜息と共に僕に宣告する。
「その様子だと、駄目だったようだな。まだ少し時間は残っているが、このまま屯所に連行し、犯罪奴隷指定の手続きを行う」
僕は、自分の足で立つこともできなかった。
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