幸せになるなら、令と一緒がいい。
暗転して景色が広がり、どこかから
跳んで着いた場所は、公園の噴水広場。向かいの噴水が夕焼けによってオレンジ色に輝いていて、いまが夕方なのに気づきました。
すぐ目の前のベンチで、
「おい、菊乃」
視線を外さず、彼女は声をかけました。菊乃ちゃんは胸元にスマホを抱いて目を閉じていたところをこわごわと目を開き、すぐにこちらに向けて反応しました。
「
「……よかった。変なもんでも出られたら、こっちは判別つかねえしな」
魔薙ちゃんが除霊ガンを下ろし、すぐにホルスターに銃を戻しました。
わたしはホッと息をついてトモコの手を離しました。一方の彼女は鼻を鳴らしながら、後ろへ一歩、二歩と歩いていきます。
「約束通り、連れてきたわ」
投げられた言葉をよそにうろたえた様子の菊乃ちゃんを、わたしはすぐに抱きしめました。それは、ほとんど無意識に。
手元にたしかな感触が伝わり、しだいに温もりも感じられてきました。それは奇跡なのかなんなのか。
それでも、いまはどうでもいいことでした。
「ごめんなさい、菊乃ちゃん……」
「えっ……」
「わたし、ちゃんと言えてませんでした! わたしも菊乃ちゃんが好きだったんだって、やっと気づいたんです! 菊乃ちゃんしかなかったんです! 出会ったあの日から今の今まで、ずっと!」
叫びとともに、つうっと涙が自分の頬をつたりました。生きていないはずなのに、生きていると錯覚しそうになりそうでした。
それでも、わたしはたしかにそこにいるのだと、わたしは彼女を抱きしめる力を強くしました。
それから、口調は穏やかに、わたしの言葉を伝えていこうと力を抜いて、
「わたし、菊乃ちゃんと出会うまで、なにもなかったんですよ。絵を描いてても何してもどこまでも空っぽで、きっとこのままつまらない人生を送るのだと諦めていました。だから、菊乃ちゃんのことを面白いって感じられた時、救われたんです。初めてなにかを、ずっと見ていたい、描きたいって思ったんです」
「……うん」
「重いかもしれないですけど、気持ち悪いかもしれないですけど、いつか言ったみたいに、いまだって菊乃ちゃんしかいないんです。だから本当は、わたし以外の場所を見つけないでほしくて、わたし以外の誰かと幸せになんてならないでほしくて、どこにも行かないでほしいんです」
「…………うん」
「それでもわたしは、菊乃ちゃん自身の幸せを大事にしてほしいとも思ってます。だからせめて……わたしのために死なないで」
「……そうだね。そこまで言われて死ぬ気になれないかな。それに、幸せになるなら、令と一緒がいい」
彼女のくすりと微笑んだ声が聞こえました。
不意に、彼女がわたしの身体に手を回す感触が伝わってきて、ありもしない心臓が高鳴るような感覚を覚えはじめます。
「いまのわたし、どんな感触ですか?」
「柔らかくて……ひんやりする」
「ごめんなさい。こんな時期に……」
「平気だよ。いまの私には、ちょうどいいから」
そう言っている身体は、ひどく震えていました。きっと、なにか感動的な理由でもなんでもなく、ただ寒いからなのでしょう。彼女は、とても優しい子ですから。
「私も、ごめん。令を置いて、人生をやめようとしてて。復讐も上手くいかなくて、なにひとつ償えない自分が嫌で……」
「もう、償わなくていいですよ。そんなの、自分から死ににいくようなものじゃないですか。だから、いままで通りに一緒にいてくれれば、それで。わたしはもう、死ぬ心配がないんですから」
「ずっと一緒にいると思ってたから、消えたときは不安だった……正直、もう会えないかもって不安だった」
「簡単に消えてやりませんよ。わたし、まだ菊乃ちゃんとやりたいこといっぱいあるんですから」
「私も、いっぱいあるよ。令が受け入れてくれるか、分からないけど」
「どんなことですか……でもまあ、できる限りならいいですよ」
彼女の香りを、ひとつ吸い込みました。
少しお高めのシャンプーの香り。どうして服にはこだわらないくせにシャンプーにはこだわるのだろうと思っていたけど、きっとそれが彼女なりの小さな変化だったのかもしれません。
わたしが自分の中の感情を自覚したせいか、たったこれだけでどこか意識がくらくらしてきました。
彼女の顔が見えるよう、頭を動かしてから言葉を交わします。
「いいですか?」
「……うん」
それから、お互いの手を肩や腰へと回して、ゆっくりと唇を重ねました。
菊乃ちゃんが微笑むのを見て、わたしは勢いのままに彼女の唇の間へと舌を入れてみました。彼女は一瞬戸惑いながらも、入り込んだわたしの舌を、口の中へと受け入れました。
舌と舌が絡みつき、唾液が互いの口のなかで目まぐるしく波を打っていきました。この身体になってからこんなことをするなんて、正直いまでも信じられずにいます。
彼女が白い息を漏らしながらわたしを受け止め、わたしも精一杯によがっていきました。初めて出会った頃のように、なにかに突き動かされるように。
わたしたちは衝動のまま、しばらくそれを続けていました。
激しい衝動も終わり、お互いに口元の
「痴話喧嘩、終わった?」
彼女は退屈そうにベンチの端でなかばあぐらをかき、スマホをいじっています。
「痴話喧嘩ではな……いや、そうだったかもしれないですけど」
「それ、魔薙には聞こえてないと思うよ」
「……あっ、そうでした」
恥ずかしくなり、思わず口元を隠しました。これも視えてないから、意味がないのですが。
そうしている間に、菊乃ちゃんが代わりに魔薙ちゃんへと答えます。
「うん。終わったよ」
「そうか。……それで、聞きたかったことがあるんだが」
おもむろに、視界の端をいぶかしげに見て訊きました。
「ありゃなんだ? めっちゃ禍々しいもやが視えるんだが……」
わたしたちも追って見てみると、トモコがぼーっと立ったまま、開いた黒い日傘をくるくると回していました。
なにを見たのか、なんとも気まずそうな様子です。
「公衆の面前でなんてことしてんのよ……」
「……ごめん」
「それは別にいいんだけど……それで、わたしとの約束覚えてる?」
「うん、ちゃんと覚えてるよ」
菊乃ちゃんが立ち上がって、トモコへと歩んでいきました。ついていくべきか悩んでいると、「令も」と声をかけられて、わたしもそこへと続きます。
トモコの前に立ち、
「ちゃんと話がしたいんだったよね。私もちょうど、トモコと話がしたかった」
彼女の顔をまっすぐ見つめながら、そう言いました。
一方、トモコはうつむいて、地面をせわしく蹴りながら小さくつぶやきました。
「結局、菊乃は令を選ぶの?」
「選ぶって……」
「令と『恋人』になるから、わたしはいらないの? わたしとは、これからもずっと『お友達』になれないの?」
「……どうして?」
「どうしてって……菊乃にはもう令がいるから、わたしのことはいらないんじゃ――」
「最初からそのつもりはないよ」
呆れた様子で答える菊乃ちゃんに、トモコが目を丸くして言葉を詰まらせました。
「私がトモコを避けたのは、単に気まずかっただけ。四年前くらいに、お母さんが霊能者に除霊の依頼しちゃって、それで突き放すような形になっちゃったでしょ?」
四年前……
なにかデジャヴが引っかかり、わたしは菊乃ちゃんへ耳打ちして
「あの、四年前に依頼した霊能者って――」
「ああ、魔薙のお父さんだよ。トモコと部屋で遊んでたのを、霊に憑かれたのと勘違いされちゃって」
「まじですか……」
小声でそんなことを交わしながら、魔薙ちゃんの方を見ました。相変わらずスマホを黙々といじりながら、ちょうど小さなクシャミをひとつして、鼻をすすりながらこちらを見ます。
「なにやってんだか知らねえけど、やっぱ先に帰るわ。クソ寒ィし、スマホの充電もヤバいから」
ベンチから立ち上がり、鞄を持ってだるそうに手を振りながら公園の小道へと歩いていきました。菊乃ちゃんは苦笑いを浮かべて、その背中に小さく手を振って見送ります。
「それで、わたしはこれからどうすればいいの? 目の前からいなくなれって言うならそうするけど」
脇道にそれているうちに、トモコが落ち着かなげに柄を握る手をいじりながら言いました。
少し考えて、菊乃ちゃんが思いついたように言いました。
「まずは令に謝って。トモコのしたこと、けっして謝って済むものでもないけど、それすらしないのは最悪だから」
二人の視線がこちらへと向きました。矛先が向けられて、思わずびくりと跳ね上がってしまいました。
まあ実際、憑き殺されたようですし、怒って正当なものとは思います。しかし、先ほどの余韻がふわふわとしていて、いまはすぐに見合う感情が出せそうにありません。
どういう顔をしようかと悩んでいると、いきなりトモコの頭がペコリと下がりました。
「殺してしまって、ごめんなさい!」
勢いに圧され、一歩後ずさる。
彼女に素直に謝られて、このまま許さないわけにもいかず、しかしこれ自体は別にどうでもよく。わたし自身も人喰い学校の先生をナイフで刺したから、どのみち人のことも言えませんし。
わたしはなにか言わなきゃと、穏やかに言葉をつむいでいきました。
「いやまあ、でも、結局死んでも死んでないようなものでしたから。もうそっちから喧嘩売ってこないなら、わたしはそれで――」
「喧嘩?」
「ああ、いえ! こっちの話です! 菊乃ちゃんは別に、気にしないでください」
「……そう? じゃあ、次は――」
なにごともなくそう続けて、彼女はトモコの方へ手を伸ばしました。
いったい何をするつもりなのでしょうか。眺めていると、日傘を持った手をそのまま握――れませんでした。彼女の手が透けました。
「あれっ? 触れない……さっきは令に触れたのに……」
トモコは少し嫌な顔をしながら一歩身を引いて、
「あれは、あなたたちの魂が共鳴しあえたから触れただけ。わたしは違うみたいだから、触覚に霊感のないやつがいくら触っても無駄よ」
「じゃあ、わたしが代わりに触りますね」
先ほどは触れたので、もしかしたらいけるかもしれない。そう思って手へと伸ばすと、そこにはたしかな触感がありました。
そしてそのまま細い手首を掴んで、両手で小さな手を包み込みました。
トモコが眉根を寄せてすごく嫌そうにこちらを見ています。
元々やきもちの対象で、わたし自身もいくらかひどいこと言ったとはいえ、なんともすごく嫌われているようです。
「どうして、よりによってあなたなの……」
「いいじゃないですか。仲直りだってしましたし、掴めちゃったものはしょうがないです。……それで菊乃ちゃん、ここからどうするつもりですか?」
「うん。ちょっと、復讐をね」
「え……」
まさか、ここでまた「復讐」という言葉が出てくるとは思ってませんでした。口調も穏やかなままで、ここからなにをするのかまったく読めません。
しばらく菊乃ちゃんの方を気づかわしげに見ていると、わたしの手の甲の上にそっと手を添えて言いました。
「わたしとまた、友達になってほしい。今度は令も魔薙もいて多分気まずいだろうし、それならあんまり嬉しくないでしょ?」
にこりと、柔らかな笑顔を浮かべました。
トモコは驚きを隠さないまま菊乃ちゃんの方を見て、それからうなずくように頭を垂れました。
「……分かったわ」
「うん。それで、あとはもういいよ」
菊乃ちゃんの手が離れて、わたしももういいかとトモコの手を離しました。
やっぱり、菊乃ちゃんは優しいのです。それは誰もかもに対してではないかもしれないですが、少なくともウザかったわたしを「親友」と認めて好きになってくれたくらいには人が良いのを知っています。
彼女がくるりと背を向けて、日傘で上半身を覆い隠しながら、
「…………ありがとう」
そうつぶやくとともに、黒い影のような身体がまたたく間に消えてしまいました。
先ほどまで、トモコのいた場所に余韻を感じて。
親友――もとい恋人――の復讐が終わった後の未来のことを想像して、わたしは笑みを浮かべていました。
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