こんな曲、この世から抹消されてしまえ。

 木々の立ち並ぶなかの舗装された道をたどる。


 藤路ふじじ市ではそこそこ有名な大きめの公園で、そのなかほどに噴水のある広場がある。そのいくつか円状に並ぶベンチのひとつに、魔薙まなが座っていた。


 薄茶のコートに紺のデニム、焦げ茶の編み上げブーツといった格好。黒のショルダーバッグを横に置いて、片手をポケットに突っ込み、右手でスマホをいじっている。


 私がその方へ近づくと、彼女もこちらをちらと見た。


「おっ、やっと来た」


「ごめん。ちょっと手間取っちゃって……」


「それはいいけど――ダサ……」言いかけてわざとらしく咳き込み、「ごめん、なんでもない」


「……いやまあ、慣れてるから」


 一応ごまかしてはいるが、もはやそれは言ったも同然だ。


 白いパーカーの前プリントを見る。小銃を持った迷彩柄のシュウマイが隊列を組み、その下に『Shuumai Army』と書かれている。


 自分で選んで買った服は普通に可愛いと思って買っているものだが、そういう服に限って何故かいつも家族やれいの失笑を買っている。その理由が、いまだに分からない。


 魔薙がパーカーのプリントをちらちらと見つつもスマホを下ろし、


「そういや、菊乃きくの。来る途中になにか気づかなかったか?」


「……うん」


 今日はやけに騒がしかった。


 出る前に聴いた曲が方々で流れている。だれもかもがイヤホンを着けずスマホで垂れ流したり、車の中で大音量で流したりしているのだ。正直、私にはただ耳障りでしかなかった。


 あの曲に内包された、洗脳させるかのような思念は、一体なんなんだろう。


「外に出た途端、霊魂絶滅祈祷隊の曲ばっかやけに耳にする」


「そうだ。昨日、あの『Pine』って曲がネットで無料配布されてから、ずっとこんな感じだ」


「無料配布? ……やっぱりあれ、商用目的じゃないの?」


「ああ。最初はインチキマーケティングの一環だと疑ったが、聴いててだんだん胡散臭く感じて、落とした曲を音楽ソフトで解析してみた。そんで、色々曲いじっているうちに、曲の中に変な声が浮かび上がってきた」


「変な声……?」


 彼女が手に持ったスマホを操作して、やがて私の前に突きつける。


『カクサンシテ……スミズミマデ……ケイモウシテ……コノネイロヲ……』


 再生されたのは、ノイズ混じりの人工音声。


 少し考えて、それが『Pine』のサビのメロディと重なることに気づいた。


「なにそれ。なんで、そんなもの――」


「アイツら言ってたろ。サブリミナル的に心経や呪術を織り込んだって。おそらく、そのなかのひとつに洗脳用の呪術も織り込んでやがったんだ。確実に広範囲の除霊テロを行うために」


「じゃあ、このままじゃ令は……」


「ヤツの言う通り、浄化されるかもしれねえ。もしそれらに確かな効果があればだが、そこに賭けるのもリスキーだろ。正直なところ、専門外の呪術が使われてるから、ウチもどうなるかまったく読めない」


 ため息をついて、魔薙がスマホを尻ポケットに入れて立ち上がる。


「それで、テメエはどうやって令を探すつもりだ?」


「え……」


「まさか、策もなしに出てきたのか?」


 言葉が詰まる。


 勢いで飛び出してきたから、そんなものはまったくない。しかし、そうも言えなくて、黙っていることしかできない。


「……まあ、だろーな。ウチも改めて考えたが、アイツが幽霊である以上、人探しと同じ手段が使えない。かといって、チンタラ歩いて探してると、ほぼ確実にゲームオーバーを迎える。となると、まずはあのクソ忌々しい曲の方をどうにかする必要がある」


「でも、もう全国で落とされてるはずじゃ……」


「一応、そっちにいては、ひとつ手がある」


 魔薙は悪巧みを思いついたように、にやりと笑みを浮かべた。


「あのサブリミナルを用いたクソッタレ洗脳に匹敵する影響力を持った、いわば『都市伝説』――御前おんまえキルを使う」


 ピンと人差し指を上に立てて、身体をのけぞらせる。自分を信頼しろとばかりの、生意気で傲慢な態度。


 前の私だったら、絶対に信じられずに拒んでいただろう。だけど、今は彼女が私にとってとてもたくましい存在で、むしろ安心するところがあった。


 これもすべて令が繋ぎ止めてくれた関係だから。なおさら、私は令とまた会えるようにしないといけない。


 令の行いが無駄じゃなかったことを、私が絶対に証明する。口に出さず、そう決意した。




 魔薙とベンチに隣り合って座り、デニムの尻ポケットからスマホを取り出す。


 私にとってはただの不協和音のようにしか思えない『Pine』の音が、四方八方から聞こえてくる。このままいけば、全国支配も夢ではないような、そんなおぞましさがあった。


 かつて『不滅殺戮Gtuber』と呼ばれていた御前キル。しかし、私たちの心霊調査の一件を期に衆目を集めるための呪殺もやめて、今では『不滅アイドルGtuber』と改めて名乗っている。


 その後、カルト化した一部のファンが引き起こした集団自殺による批判や誹謗中傷を浴びながらも、日々の精力的な活動により「アイドル」としての人気を改めて獲得した。


 そんな彼女へ、LINKで「令が行方不明になったこと」と「令を助けるため、霊魂絶滅祈祷隊の企みを潰すために協力してほしいということ」を連絡する。彼女はすぐに二つ返事で承諾してくれた。


「まさか都市伝説とLINK交換してたなんてな」


「私じゃなくて、令がやってたんだよ」


「アイツ、本当に物好きだな」


「……それだと、多分あんたも『モノ』に含まれてると思うんだけど」


 魔薙を苦笑するのをよそに、届いたメッセージを確認する。


〈それで、具体的には何をすればいいの?〉


〈今から送る音源を組み込んだ新曲を即興で作って、すぐに生放送と無料配布してほしい〉


〈無料配布はいつものことだし、別に構わないけど……〉


〈えっ……即興?〉


〈とりあえず、『Pine』の洗脳呪術に対抗できればいいから、最悪既存の曲に混ぜる感じでもいいけど……〉


〈まあ、ようはわたしの影響力を借りたいって話でしょ?〉


〈わたし、自分の作った曲は全部気に入ってるからなるべく後から手を加えたくないし、それなら新たに曲を作るよ〉


〈その方が色々衆目集めそうだしね!〉


 デフォルメされた御前キルが「OK!」と言っているスタンプが送られる。


 私はすぐに魔薙のスマホから受け取った音源を御前キルにへと流す。魔薙いわく、「この音源には呪術を妨害させる即席の呪術を織り込んでいる」らしい。


 少し経ち、〈一時間ほど待ってて〉と返ってきた。


 スマホを切ってから、不意に不安に襲われる。


「令、大丈夫かな……」


「まあ、一時間くらいならどうにかなるだろ。アイツ、可愛い見た目の割にしぶとそうだし」


「……令のこと、なんだと思ってんの?」


「肝っ玉の据わった物好き」


「まあ……分からなくもない」


 呆れながら、スマホをぎゅっと握りしめて胸に抱く。外気にさらされた冷たさが、かじかんだ手にじんとみる。


 心に隙間が空いて、塞いだ口の隙間から冷たい風が入り込むようだった。彼女が消えて生まれたこれは、いつかどうにかなるのだろうか。


 ……私がそれをどうにもできなかったから、令はああしたんだろう。だとしたら、令のためにそれをどうにかしないと。


「令に謝らなきゃ……私はもう大丈夫だって、安心させなきゃ……」


「なにがあったかよく知らねえけど……アイツのことだし、なんだかんだテメエのこと許してくれるだろ。どうにかなるまで、気長に待てよ」


「うん……」


 そのまま、ただ静かに目を閉じる。相変わらず、人の思考を侵そうする不協和音のサビが、方々で聞こえてくる。


 元から、流行りの曲が嫌いだった。やたらしつこく耳につくリフレインのサビも、流行りの曲だからと傍若無人ぼうじゃくぶじんに垂れ流そうとする輩も許せなかった。曲そのものが「受け入れられないお前は枠外の人間だ」という、そんな不文律を振りまいてるみたいで息苦しかった。


 そして、そんな私を救い上げてくれたのが令だった。彼女がもし転校してこなかったら、今ごろ私はどうなっていたかとぞっとするほどに。


 だから、もしその流行りの曲が彼女をまた殺すというならば。


「こんな曲、この世から抹消されてしまえ」


「分かる。耳に障るし、カルトみたいで嫌気がさすよな」


 幾重にも混ざった不協和音のなか、隣同士でぽつりと呟きが交わされる。


 一時間は、一体いつ来るのだろう。固定された時の概念がいねんを越えて、すぐにでも来てくれればいいのに。


 そんな無いものねだりを反芻はんすうし続け、気休めにしてただ待った。

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