特別編・菊乃ちゃん、見てて面白いんですもん。

 梅雨が明けて、少しじめっとしてきた七月上旬ごろ、わたしは遠くからここに越してきました。


 担任の先生に連れられて教室へと歩き、見知らぬ人の前に立って。


 先生がかつかつとチョークで名前を書き終えたところで、わたしは一度深呼吸して言いました。


幽月令ゆづきれいです。父の転勤でこちらに越してくることになりました。これからよろしくお願いします」


 なにか期待を込めて拍手するのを見ながらも、何度も見たようなこの光景に特段感慨かんがいも浮かばず。


 わたしはその後も流れ作業のように質問に答えていきました。


「好きな食べ物はシチュー、嫌いな食べ物は特にありません。常識の範囲内でならだいたいのものは食べられます」


「好きなアニメ……すみません。あまりアニメは見てないので、ドラマだったら――」


「このなかで好みな人……出会って間もないですし、やっぱり第一印象だけでは難しいので、これから色々皆さんのことを知れたらなと思います」


 おべっかがよく働くと、われながら心のなかで苦笑していました。


 正直、誰を好きだとか、そんなのはどうでもいいのです。また転校してしまえば、人間関係は簡単に漂白されてしまうのですから。


 梨のつぶてに変わっていった転校前のクラスメートのSNSアカウントは数しれず。インターネットで人の距離が近くなったと言われる昨今でも、物理的に近い間柄が物理的に距離を取った途端、だいたいは無いも同然と化すものです。


 内心うんざりしながらも、なんとなく周囲を見回していると、ひとりの生徒に目がつきました。


 教室の窓側から一番目の真ん中ほどの席。長い黒髪で切れ長の目つきをした、頬杖をついた女の子。彼女はずっと、わたしのことにはまるで興味もなくぼーっと窓の外を見ていました。


 しかし、ああいうのも別に珍しくありません。複雑な年頃の集まる場所ですから、いろんな学校でああいう「スレた生徒」は何度も見たことがあります。そしてそのほとんどが、結局わたしとはまるで関わりなく終わるのです。


 先生に自分の席を教えられ、わたしはその方へと歩いていきました。それは、偶然にも先ほどの女の子の隣でした。


 わたしはいつもの愛想笑いで、隣の彼女に小さく頭を下げました。


「これから、よろしくお願いしますね」


 そんなわたしに、彼女はあいかわらず頬杖をついたままめんどくさそうにこちらを見て、


「……!」


 ガタリと椅子の音を立てて、小さく跳ね上がりました。顔には困惑を浮かんでいます。


 それから、すぐに背筋を不自然にピンと正して、前に向き直りました。


 ひどい人見知り、といったところでしょうか? それにしては、先ほどまで態度がやたら大きかったように見えましたが……


 なんだ、この子は。


 顔を前に戻してから、思わず口を押さえてくすくす笑ってしまいました。


 もしかしたら笑っちゃいけない事情があるのかもと考えながら、それでも笑いをこらえるのに必死になっていました。




 休み時間、クラスメートの質問責めから抜けてトイレに向かいました。引っ越してからの肩こりがひどく、それをどうにかしようとしていたのもあります。


 トイレの出入り口の扉を開けようとして、先ほどの黒髪の子と鉢合わせしました。


「あっ……」


 彼女はわたしの姿を認めると露骨に視線をそらし、大げさに避けるように小走りしていきました。


 もしかしたら、先ほどくすくす笑っていたのを気づかれたのかもしれません。わたしもどうしてあれほど大笑いしていたのか分からず、もしそうなのだとしたら謝らなければならないと思いました。


「待ってください!」


 彼女の手首をぎゅっと掴んで、踏みとどまらせて。


 どこかぎこちない首の動きで目の端でこちらを見つめる彼女に向けて、わたしはばっと頭を下げて謝りました。


「さっきは、すみませんでした。なんか急に可笑しくなってきただけで、別にあなたをバカにしたわけじゃ――」


「え、なんのこと?」


 彼女はいまだに怖がった様子を見せながらも、わけが分からないといった風にこちらを見ていました。


「……へ?」


「てか、笑ってたの?」


「はい、まあ……って、あれ? このことで避けてたんじゃないんですか?」


「ごめん。そんなつもりはなかったんだけど……」


 まるでなにか隠し事でもあるように、空いてる手でつやだったきれいな黒髪をくしゃくしゃにして言いよどんでいます。


 わたしは彼女の隠し事を推理してみよう。ふと、少し頭をひねってから、ぴしっと彼女の方へ人差し指をさしました。


「あっ、もしかして昔会ってます?」


「いや、全然初対面だけど……」


「髪にヤバいものでもついてるとか?」


「髪にはついてないかな……」


「『には』って……まさか、顔?」


「顔にもついてないよ。てか、そんなわかりやすいものじゃ……あっ」


「じゃあ、なんなんですか! 分からないまま避けられると、気持ち悪いんですけど」


 掴んでいた彼女の手首が少し湿ってきて、それでもわたしはぎゅっと彼女を見つめたまま離すことなく顔を寄せました。それから、わたしより少し高い視線を見上げて、まっすぐ彼女の瞳を認めました。


 自分でも、何故ここまで執着しているのか分かりません。久々に心の底から笑った相手だったからか、わたしを避ける彼女のことが気になったからか。もしかしたら、その両方かもしれません。


 じっとそのまま続けていると、彼女はいきなり恥ずかしそうに視線をそらして言いました。


「……に来て」


「はい?」


「屋上前に来て。昼休み」


 彼女は無理やりぶんぶん腕を振って、わたしの手を離して教室に帰っていきました。


 わたし、今日転校してきたばっかなんですけど……


 苦笑いに可笑しさが混ざって変な笑いになりながら、その背中を見送っているうちに予鈴が鳴りました。




 昼休みになり、すぐさま鞄から昼食を入れたコンビニ袋を出して、隣の彼女を裾を掴みました。


「お昼に行きましょう」


 そう、柔和な調子で言ってみました。


 彼女はまたもビクリと身体を震わせて、こちらにぐるりと振り返ります。ちょうど、彼女も鞄からおずおずとお弁当の包みと水筒を出しているところでした。


「ちょっ……と――」


「いいから! ついでに学校案内してください!」


 わたしは立ち上がって、彼女を教室の外へと引っ張っていきました。わたしたちの背後では、昼食に誘おうとしていたクラスメートたちが、その様子にざわめいています。


 当然でしょう。転校初日の転校生が、わざわざクラスで浮いている子だけ引っ張って昼食に誘うだなんて。人間関係を築く上では悪手もいいとこです。


 それでも、わたしは彼女に関するもやもやを今すぐにでも解消したくてしょうがなかったのでした。


 廊下に出てからある程度進んだところで振り返ると、彼女が眉をしかめてこちらを見ていました。


「悪目立ちするから、別々に行こうって話だったのに……」


「転校したばっかの人間に行ったことないとこ行けとか、無理言わないでくださいよ。あれでも自然にしたつもりです」


「あっ……」


「とりあえず、ほら。言ってたところに案内してください」


 そうして、屋上前へと歩いていって。


「立ち入り禁止」の張り紙がかかったバリケードの奥、わたしたちはどこかほこりっぽい屋上扉の前の階段に隣り合って座りました。


「それで、なんですか? わたしになにがついてるって言うんですか?」


「それなんだけど……」


「もし恥ずかしいものだったら怒りますからね。約半日分、知らない間に恥かいたことになるので」


「いや、恥ずかしいとかじゃ、なくて……」


「それならなおさら言えばいいじゃないですか」


「…………」


 うつむいて少し悩んでから、彼女は包みと水筒を横に置いて立ち上がり、わたしの後ろに回りました。


「まさか、背中ですか?」


「まあ、うん……」


 後ろをこっそりと振り返ると、彼女はポケットからスマホを取り出しています。


 それから何度か操作して、動画を流しはじめました。


「は……?」


 なぜ突然、動画を……


 スマホからにゃあにゃあと猫の鳴き声が聞こえはじめて、その直後。


 凝っていた肩が、突然軽くなりました。わたしはいぶかしく、彼女の方を見ます。


「えっ、なんですかそれ。猫セラピーとか……」


「普通にネットで探した猫動画だけど。これでどうにかなるかなって」


「なにかついてるって話じゃ……」


「でも、直接は触れないから。音でならどうにかなるかなと」


「……何の話してます?」


「…………ごめん。でも、とにかく取れたから。それは約束する」


 彼女はせわしそうにスマホをポケットに入れて隣に座り直し、何事もなかったようにお弁当の包みを開いて中の蓋を開きました。わたしもビニール袋の中から、メロンパンとコーヒー牛乳を出していきます。


 結局、わたしは彼女の隠し事を知ることができず、無駄に気苦労をかけただけ。せめて意趣返いしゅがえしにと、わたしは吐き出すように投げかけました。


「せめて、名前くらい教えてくださいよ」


「なんで……」


「友達になりたいから、とかはダメですか?」


 まだ秘密を言ってませんしね。秘密を言うまで、逃がす気はありません。


 そんなわたしに彼女は目を丸くしながら、


「……真咲菊乃まさききくの


 ぎこちない動きでうつむいて顔を赤くして、お弁当を食べ始めました。


 わたしはその様子にふふっとふき出しながら、彼女の顔を覗き込んで訊きました。


「こういう距離感、慣れてないんですか? 菊乃ちゃん?」


「……そういうのやめて」


「だって菊乃ちゃん、見てて面白いんですもん」


 彼女がついに無視してお弁当を食べ始めたため、わたしも片側だけ開けたコーヒー牛乳のパックにストローを刺して、メロンパンの袋を開けて食べ始めました。


 いつもと変わらないメロンパンが、どこか美味しいと。なぜだかそう思えました。



 令と初めて会ったあの時、私は思わずびっくりしてしまった。


 彼女の両肩に、あわせて三匹ほどのネズミが乗っていたからだ。クラスメートが誰ひとりとして気づいていた様子もなかったから、それが幽霊だというのはすぐに分かった。


 令が幽霊になってから、十一月のある日。私はふと思い出して、ベッドに座って足をぶらぶらさせていた令にその話をした。


「ネズミの霊、ですか……?」


「言うべきか言わないべきか正直悩んだんだよ。肩に乗ってるだけだったし、特になにかする様子でもなかったけど……」


「それは言ってくださいよ……ばっちいなぁ……」


 令は嫌そうに両肩を手でぱんぱんはたきながら続けた。


「もしかしたら、あれで肩凝ってたのかもしれませんね。突然肩軽くなりましたし」


「もとは凝ってなかったの?」


「……それはどういう意味ですか?」


 怪訝けげんな目で、こちらを射止めるように見られる。


 彼女の張った胸元を見てから、怒られたくないのでやめた。彼女いわく、そこらへんの話はコンプレックスも触れるらしく、あまり好きじゃないらしい。


 彼女はおほんと仕切り直し、逆向きの椅子にまたがった私に笑いかける。


「でも……あの件があったから、わたしたちも話すきっかけができたようなもんですよね」


「……正直、めっちゃしつこいと思ってたけどね」


「そこはまあ、反省してますけど……」


 彼女はしょげてこうべを垂れる。


 実を言えば、私は令に感謝していた。たとえ彼女にとってのきっかけが、「見てて面白いから」という理由だったとしても。いつも独りだった私と今の今まで仲良くしてくれたのが嬉しかった。


 だから――


「好きだよ」


 口元をほころばせて、ふとそんなことを言ってみる。


 一瞬、こうべを垂れたままに目がこちらを見る。それから、彼女はだしぬけに三角座りの膝で顔を隠し始め、しばらくそこにうずめていた。

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