生霊 月島惑

 昼休みに机をくっつけて昼食を取りながら、菊乃きくのちゃんは冴恵さえちゃんたちになにげなく質問をしてみました。


 この学年で、特に隣のクラスで、なにか事件か事故がなかったかと。


「あー……なんかあったっけか……」


「そういえば、七月くらいだっけ。隣のクラスの子が交通事故に遭ったって話があった気がする……」


「隣のクラス?」


「うん。その子、いじめやってたグループのリーダーだったらしくて、いじめてた相手に思い切り車道に突き飛ばされたとかなんとか」


「……それで、どうなったの?」


「さいわい、死ぬことはなかったけど、どうにも意識が戻んなかったらしくてね。それきり話が流れてこないから、多分まだ目覚めてないんじゃないかなー……」


 死んではいないけど、意識不明……


 もしその子があの霊の正体なのだとしたら、あれは生霊だったということになるのでしょうか。この世に幽霊が存在している以上、意識不明の人間から生霊が分離する怪奇現象もありえなくはありません。


 しかし、そのいじめられていた相手が依織ちゃんということはまだ確かめてなく、まだ調べる必要はありそうです。


「それにしても、なんでいきなりそんなこと?」


「ああ、いや……前にもなんか事故あった気がするなぁって、ずっと引っかかってて……」


「あっ……」


 騒がしい空間のなか、そこだけ静まって重苦しい空気が広がりました。


 死んだ当事者の前で葬式ムードをされるのは、なんとも不思議な気分です。わたしが生きていたら確実にいじめですが、そうではないのでどうにも言えないところ。


 冴恵ちゃんが一瞬ためらいながら言いました。


「……れいのこと、あんま引っ張んなよ」


「いや、そんなつもりじゃ……」


「まあ、気持ちは分かるけどさ……いきなりだったもんな……」


 ここで、三人の会話が途切れました。三人とも、それぞれ気まずそうにまた弁当を黙々と食べはじめます。


 菊乃ちゃんが申し訳なさそうにこちらを見てきて、わたしはとりあえず気にしてないといったふうに、黙って首を横に振りました。


 死んだ者と、残された者。


 残された者の呪いを目の当たりにして、「わたしはここにいる」と叫びたくなりながらも、ぐっとこらえてそっと目をそらしました。




 午後の授業中、わたしは隣のクラスを覗いてみました。見た限りで、ふたつの席が空いています。


 教室に入って調べてみると、ひとつの机には落書きがされていました。卑猥な言葉や絵、誹謗中傷が書かれていて、どうもそれが依織ちゃんの席のようです。


 書かれた跡は新しめで、今日書かれたものなのだと推測できました。


 わたしはどうにも放っておけず、居眠りをしている生徒の消しゴムを拝借はいしゃくして、机の落書きを消し始めました。


 近くから、声が聞こえてきました。


「おい……なんだあれ……」


「消しゴムが、勝手に……」


「お、お化けか?」


「なわけあるか。この世にお化けなんかいてたまるか」


「じゃああれはなんだってんだよ――」


 無駄口を叩いていた生徒の一人が先生に指されて、「ふざけんなよ……」とぶつぶつ文句を言いながら席を立ちました。


 そんなことにかまわず、消せるところは消し終えてから、わたしはもうひとつの机に向かいました。


 ネームプレートを見ると、月島惑つきじままどいと書かれています。おそらく、ここが例の事故に遭った子のものなのでしょう。


「またポルターガイスト……?」


「でも、おかしくない? だって、前のあれが惑のだったら、今あいつの席の落書きを消すはずが……」


「いやでも惑、元からヤバいやつだったし……能代のしろをいじめてた理由だって――」


 またも、噂していた生徒が教師に指されて、渋々話を止めて立ち上がりました。


 とりあえず、月島惑という子になにかがあったことと、彼女が依織ちゃんをなにかしらの理由でいじめていたことは確かなようです。


 しかし、いまいち確信が持てません。人の命がかかることですから、わたしはひとつ大きく出ることにしました。


 教室を平気で縦断して教壇に立ち、赤いチョークを手に持ちました。そして、教師がだらだら解説している横で、太文字で大胆に一文字書きました。


『呪』


 途端、教室じゅうでどよめきが広がりました。教師が何事かと遅れて黒板を見て、「ヒッ……」と小さく悲鳴を上げます。


「やっぱり惑が……」


「殺される……」


「な、なんで……あたしら、あいつに恨まれた覚えなんか……」


 チョークを戻しながら、思わず口元がにやけてしまいました。勘違いとはいえここまでうろたえられると、申し訳なさより爽快感の方が湧き上がってきます。


 そうして慎重に話を聞いていくうちに、ひとつ気になることが聞こえました。


「あいつ、能代が好きでいじめてたんだよな? なんで俺らが呪われなきゃなんねえんだよ! 能代にずっと取り憑いてろよ!」


 好きでいじめていた……?


『わたしからおもちゃを奪わないで!』


 取り憑かれていた時の依織ちゃんの言葉。もし言ったとおりなら、相当に歪んでいます。


 やはり、今回の霊は話を聞いたくらいでどうにかなるもんではないのではないか。改めて、そんなことを考えました。


 殺せないにしても、強引な対処をしなければ……


 いまだ騒がしい教室を抜けたちょうどその時、休み時間のチャイムが鳴りました。




 職員室で依織ちゃんの住所を調べ(ちょっとだけ騒ぎになりました)、わたしは菊乃ちゃんとその家に向かいました。


 二階建ての綺麗な一軒家の前に立ってみたものの、停学中の生徒をそのまま呼び出すわけにもいかず、一度わたしが家に侵入することに決まりました。


 扉をすり抜けて、リビングを見回していないことを確かめてから、階段で二階へと上がります。


 二階の閉じた扉をひとつずつすり抜けて、三つ目。


 カーテンが閉まりきった部屋で、ベッドの奥でうずくまった依織ちゃんを見つけました。


「なんで……なんでわたしばっか……」


 彼女の背後に灰色のもや。奇怪な金切り音を立てて、ただそこにぼうっと立っていました。


「いくら恨んでるからって、もとはといえば月島さんがいじめてたからじゃん……」


 わたしは全身を部屋に入れてから、そのまま様子を見ることにします。


 ふたたび金切り音を上がると、依織ちゃんは突然背後をうろたえて振り返りました。


「……や、やだ! やりたくない! もも、もうあんなこと――」


 言葉の途中でベッドのシーツに吐き出して、すすり泣く声が聞こえて。


 その時、一瞬ふと目が合いました。彼女は気づいて這うようにそこへと進み、はだけた寝間着姿のままにわたしへとすがりつきました。


「た、たたた、助けて! こ、このままじゃあいつに憑き殺される!」


 ブレザーへとしがみつかれるなか、向かいから灰色のもやが迫ってきます。


 わたしは急いで扉を開けて、そのまま彼女を引きずっていきました。しかし、「痛い」と何度も叫ぶのを聞いて、一度足を止めます。


 しかし、このままではあの霊に追いつかれてしまいます。せめて依織ちゃんが走ってくれればいいのですが……


 そこでひとつ、ひらめくものがありました。もしかしたら、わたしも取り憑けるのではないかと。


 思い立って、すぐに彼女の背中にぴたりと身体を重ねてみます。


 すると、身体が吸い込まれる感覚とともに一瞬暗闇が広がり、ふたたび視界が広がって。しかし、どこか少しぼやけ気味で、周囲に硬い膜が張られているような、そんな感覚。


 それが眼鏡で、自分の着ているものが緑の寝間着だと分かると、無事依織ちゃんに取り憑けたことが分かりました。


「は?」


 突如、たしかな人の声がしました。


 声の先には、入院着をまとったショートヘアの少女。憎々しげに睨みつけながら、つかつかと歩み寄ってきました。


「ねえ、なに勝手に依織の身体に入ってるの?」


 捕まったら、また身体を乗っ取られる。


 そう察して、わたしはすぐに階段を駆け下りて、玄関で手近な突っかけを履き、家へと飛び出しました。


 家の外に出ると、わたしは菊乃ちゃんの手を取りました。


「能代さん……?」


「いまは令です! 幽月令!」


「え、令? え、えと……なんで――」


「そんなのいいですから! それより、あいつから引き離さないと!」


 背後を振り返って、指をさしました。


「返せこのやろぉぉォォォォ!」


 月島惑はなおも怒りをあらわにして、叫びながら追いかけてきています。まるでこれから取って食うような、そんな獣のような鋭い目つきをしていました。


「本当に、視えるの?」


「はい。取り憑いたらはっきりと……」


「……とりあえず行こう。まずは距離を稼がないと」


 お互いに、手を離さないよう走りだしました。


 元の身体はあまり運動慣れしてないのか、すぐに身体が息切れしてきます。それでも、このまま月島惑に身体を乗っ取られたら、依織ちゃんは無事ではすまない気がするから。


 必死に走りながら、今回のことをやり過ごした後のことを考えてみました。


 依織ちゃんの友達になって、あわよくばトモコに一矢報いる方法を一緒に考えて、そして菊乃ちゃんの復讐を果たす。それからわたしは幽霊として、菊乃ちゃんとこれからもずっと平穏な日々を過ごし続ける……


『でもいつか、あなたがあの女の首に手をかける日が来る』


 いつかの言葉が、一瞬だけ頭によぎって。


 それでも、わたしはそれを振り切るように、首を振って。すがるように、握られた手を強く握り直しました。

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