あの霊の正体を追いましょう。

 依織いおりと名乗る少女の姿を見失って、やむなく家に帰る途中のこと。家の前に着いたところで、背後から声をかけられました。


「今日は、あの女と一緒に帰ってないの?」


 いやに意地の悪そうな声の主はすぐにわかりました。わたしは振り向きざまににらみつけて、その影の中の漆黒しっこくのゴスロリ姿をとらえました。


菊乃きくのちゃんには、菊乃ちゃんの人生がありますから」


「ふーん……そうやってこれからもあの女のためにと、みずからを犠牲ぎせいにしていくのね」


「なにか、問題でもあるんですか」


 言いながら、思わず目をそらしてしまいました。


 なにを迷っているのでしょう。自分のなかでちゃんと決意したはずで、わたしはそれを言えばいいのに。


 視界の端で、彼女が鼻で嗤うのが聞こえました。


「やっぱり、怖いわよね? 自分と親しかったはずの人間が、遠く離れていくのは」


「あなたに、なにが分かるんですか」


「分かるわよ。だって……」


 合間に自嘲じちょうのようなものが入り交じり、


「あの女、真咲菊乃まさききくのは……わたしの『お友達』だったんだもの」


 はっとして彼女を見ると、彼女の姿はすでにそこにありませんでした。


 トモコと菊乃ちゃんが、友達……。


 今の言葉の意味は……。


 考えていたところで、菊乃ちゃんが家の前に駆けるように現れました。菊乃ちゃんは息を切らしながら、わたしの方へ詰め寄ります。


れい!」


「菊乃ちゃん……」


「どこ行ってたの? 場所は知ってたはずだよね?」


「それ、は……」


 大声で詰め寄ってから、菊乃ちゃんが気づいたように近隣を見回します。それから、神経質に頭を掻いて、わたしの横を通り抜け玄関扉へと歩いていきました。


「家に帰って話そう」


 鍵を開けて家に入るのを、遅れてわたしも追っていきました。




 カーテンをめくって窓から外を見ると、空は闇色に染まっていました。


 菊乃ちゃんの部屋のベッドに座りなおして、じっと待ちました。しばらくして足音が近づくのを感じて、扉がギィと開きます。


「おまたせ」


 制服の上に、白いドクロ柄の黒いエプロン。長い髪はヘアゴムで後ろにまとめています。彼女は家事をある程度のところで切り上げて、こちらに来たようです。


 さっきまで張り詰めていたものが嘘のように、思わずふき出してしまいました。


「なんですか、その柄」


「結構お気になんだけど……」


「それは、分かるんですけど……いやなんか、ごめんなさい……」


「まあでも、よかった。正直、愛想尽かしたのかと思ってびっくりしちゃったけど、そういうわけではなさそうで」


 彼女はベッドの横に座って、わたしの手に手を重ねます。もちろん、手が透けて、お互いにその感触はありません。


 彼女は低くうなだれて、前髪をいじりながら言いました。


「まあ、嫌だったよね。死んだらなにも食べられないのに、あんなとこ行って。ああいうの、これからはなるべく避けるから」


 彼女の苦笑いとともに、掴んだシーツにしわが深くなっていきました。


 彼女に逆に心配されるのはどうにもむずがゆいもので、わたしはたまらず首を振りました。


「……さっき、わたしが視えてた子に接触してきました」


「え……?」


「あの子、変なものに取り憑かれてます。わたしじゃその正体が分からなかったんですけど、きっとなにかろくなものではない気がします」


「……もしかして、それを調べてただけ?」


「まあ、そんな感じです」


 うろたえる菊乃ちゃんに向けて、わたしはにこりと微笑みます。


 もしあの時抱いた感情のことを話せば、彼女はすぐにわたしの望む通りのことをしてくれるのでしょう。だけど、それをわたしが良しとすると、彼女はこれからもわたしとだけの世界になってしまう気がするのです。


 だったら、このまま気づかれないままでいい。


 菊乃ちゃんがふと思い出したように訊きました。


「それで、取り憑いてたのってどんなやつ?」


「それはわからないですけど……いつもの悪霊とも少し違う感じがありました。ただ、同時にどこか暴力的で……」


「霊が視えるのも気になるし、話は聞いてみるかな……」


 彼女は立ち上がり、鞄からメモ帳とボールペンを取って、さらさらと書きはじめました。


 わたしはふと、彼女のエプロンを引いて訊きました。


「まだ復讐したいって、思ってますか?」


「……当たり前だよ。なんで?」


「いえ……」


 菊乃ちゃんとトモコは友達だったと、トモコは言いました。


 しかし、わたしはその事実を今日まで知らなかったし、教えてももらえていません。


 二人の間でなにがあったのか、わたしはなぜ殺されたのか。なぜ菊乃ちゃんはいまもずっとひた隠しにしているのか。


 いつか、菊乃ちゃんの口から聞ける日がくるのでしょうか。




 次の日の放課後、菊乃ちゃんとともに、廊下で例の女の子を見つけました。


 彼女はどこか怯えた様子で、菊乃ちゃんの横に立つわたしの方をちらと見てから言いました。


「な、なに……?」


「昨日、取り憑かれてるとかどうとか言ってたでしょ。それが気になって……」


「それ聞いて、どうするん、ですか……?」


「……後ろの子、視えるでしょ?」


 菊乃ちゃんが親指でわたしを指すと、彼女があきらかにうろたえはじめました。


「あなたも、視えてたんですか……?」


「私も多分、あなたと同じ体質だから。だからちょっと、情報交換とかしない?」




 彼女の名前は、能代依織のしろいおり。わたしと菊乃ちゃんが一年のA組で、彼女が同学年のB組。つまり、わたしたちの隣のクラスということになります。


 さすがに校内で話すのはどうかという話で、少し学校から離れた公園のベンチに座って、菊乃ちゃんと依織ちゃんはスチール缶のココアを飲みはじめました。


 公園はところどころびたりちたりして、他には誰もいません。


 それにしても、わたしひとりだけなにも飲まないのも、なんだか座りが悪いものです。しかし、飲めないし飲んでもしょうがないので、心の奥にとどめました。


「その、隣の……幽月令ゆづきれいさん? 本当に、大丈夫なの?」


「別に憑いたりはしないよ。元々、私の親友だったんだから」


「この前、隣のクラスで亡くなった子がいたって聞いたけど……」


「……その時に死んだんだ。それから何日か経って、たまたま私の家に来て、以来ずっと一緒にいる」


 気まずい空気が流れました。


 お互いに黙ってココアをすするなか、当事者のわたしとしてはどうにもこらえられず口に出す。


「ま、まあでも、死んでもそこまで死んだって感じはないんですよね。そりゃ、不便にはなりましたけど」


「……そう、なんだ」


 彼女がわたしの声でびくりと肩を震わせました。どこか挙動不審で、まるでわたしに脅されてるような、そんな態度でした。


 それから彼女はこわごわと、菊乃ちゃんに訊きました。


「菊乃さんは、怖くないの?」


「え?」


「もしかしたら知らないうちに恨まれてて、いつの間にか身体を乗っ取られて好き勝手されるかもしれない、とか……」


 まるで、自分が経験しているかのような言い方でした。


 わたしが否定しようとして、菊乃ちゃんが手で制しました。それから、一度息を吐いて少し考えてから言いました。


「もしかしたら恨まれてるし、これから恨まれるかもしれないけど……それでも、大事な親友だから。だから、信じるよ」


 彼女は白い息を吐いて、熱っぽい顔で遠くを見ていました。夕焼けに照らされる目が、どこか反射するようで……


 わたしも一呼吸置いて、少し考えてから、


「死んだ人がみんな同じではないかもしれないですけど、わたしは別に、恨みとかないですよ。わたしの場合は、気がついたら車に轢かれてたって感じですし」


「気を悪くしたなら、ごめんなさい……」


「いえ、そんな……依織さんも、なにかあったんですよね?」


「……まあ、はい。ただ、私の場合は、運が悪かっただけなのかも。よりにもよって、あいつに恨まれるようになったのは――」


「能代さん! 後ろ!」


「え……」


 振り返ると、依織ちゃんの背後に灰色のもや。


 もやがスポンジのように彼女の身体へと吸い込まれていきました。途端、彼女は奇怪な声を上げ始め、眼鏡の奥の瞳が鈍い灰色の光を放ちはじめました。


「――――」


 手からココアの缶が落ち、まだ残っていた中身が地面へとぶちまけられ、そのまま彼女自身の足で遠く蹴り飛ばされました。そうして、彼女は両手で髪をくしゃくしゃに荒らしはじめて、なにかに取り込まれたようにその場で暴れ始めました。


 菊乃ちゃんはすぐに彼女の肩を揺すぶり、


「大丈夫? しっかりして――」


「……依織に近づくなって言ったよね?」


 彼女によって、顔を肘で強く弾き飛ばされました。


 勢いのまま、菊乃ちゃんの手に持っていた缶の中身が胸元のブラウスにこぼれ、彼女は靴のかかとで腹を何度も何度も蹴りつけました。


 そして、菊乃ちゃんの口から無理やりよだれが吐き出されるなか、依織ちゃんに取り憑いたなにかが叫ぶように言いました。


「これはわたしのオモチャなんだから! わたしからオモチャを奪わないで!」


 菊乃ちゃんの反応が鈍くなったところで馬乗りになり、取り憑かれた依織ちゃんは、顔に向けて思いきり拳を振り上げました。


 このままでは、菊乃ちゃんはなにかによって殺される。


 気がつくとわたしは弾き出されるように身体を動かし、彼女の顎を思い切り蹴り上げていました。


 彼女が背面にぶっ飛ばされ、彼女の身体から灰色のもやがしゅるりと抜けました。


 どうしようかと迷っていると、彼女はすぐに目を覚ましました。


 ずれた眼鏡の奥の瞳は元通り。しかし、彼女はなにか違うものに怯えたように、地面に倒れた菊乃ちゃんを見つめました。


「あの、ご、ごめんなさい……」


「いや、あの……もしかして、さっきのが例の……」


「ごめんなさい。二度と、関わりませんから。だから、そっちも……」


 彼女は鞄を取って走りだしました。彼女の姿を追おうにも、菊乃ちゃんを放っておくわけにもいかず、わたしはすぐに菊乃ちゃんの方へとしゃがみ込みました。


「大丈夫ですか? 怪我とか……」


「うん、平気だよ。ちょっと、お腹痛いけど……」


 菊乃ちゃんはふらふらと立ち上がり、鞄を肩に提げて水道で口元や手をすすぎました。


「……冷たい」


「ブラウス、汚れちゃいましたしね……」


「絶対落ちないだろうなぁ……どうしよっかな……」


 苦く笑い、蛇口を閉めて。


 痛む部分をかばいながら歩く彼女を、ただ隣でじっと見守りながら、仕方なく帰路へと向かいました。




 次の日、菊乃ちゃんの隣のクラスの生徒に停学処分が下ったと話題になりました。


 夜七時ほどに中年男性とラブホテルに入ったと、クレームが入ってきたとのこと。証拠の画像もあるらしく、ほとんど間違いないそうです。


 青葉ちゃんからその話を聞くよそで、わたしたちは依織ちゃんのことのほうが気がかりでした。


 しかし、青葉ちゃんから得意げに見せられたSNSに上がっていた盗撮画像を見て、わたしたちの意識はそちらに向けられました。


 そこに映っていたのは、ブラウンのコートに眼鏡をかけた女の子。彼女は前髪の禿げ上がったスーツ姿の中年男性と歩いていました。


「ねえこれ、この前見た子じゃない?」


「マジか。やっぱ、関わんなくて正解だったわ」


「あれかな、変なこと言ってたし、クスリとかもキメてたのかな……あれ、菊乃ちゃん、どした?」


「……ごめん、ちょっとトイレ」


 気分が悪くなった顔で立ち上がり、菊乃ちゃんが教室を出ました。視線を送られてわたしもついて行きます。


 彼女はトイレの水道で足を止めて、震える声でつぶやきました。


「もしかして、あの後……」


 彼女は水道の縁に手をついて、張り詰めた様子でうつむきました。震わせた口元を押さえて、なにかに堪えるようにしています。


 わたしは彼女の様子に少し言葉を迷い、それからゆっくり言いました。


「まだ依織さんは生きてます」


「…………」


「あの霊の正体を追いましょう。それから、二度と近づけさせないように、わたしたちが……」


 殺す。


 殺せる保証があるわけでもない。それでも、それができなければ、彼女はあのまま霊に踊らされて破滅していってしまうから。


 わたしは決意を固めるように、彼女の手を握りました。はっと息づかいが聞こえて、彼女もまた握り返しました。

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