上手く話せたよ。

 学校の入り口を開いて、無事三人とも学校の外へと出られました。


 外はもう真っ暗で、敷地外からの光がわずかに灯るだけになっています。


 その頃には、わたしはすでに完全に肉体を失っていて、先ほどの寒さも感じられない身体となっていました。


「それで、どこから出たの?」


「コックリさんに無理やり屋上扉を開けてもらって、そのまま飛び降りました」


「大丈夫だったの、それ……」


「なに言ってるんですか。わたしもう死んでるんですよ」


 心配そうな顔で見つめる菊乃きくのちゃんに、わたしは笑いかけました。


 一方、魔薙まなちゃんは真剣な様子でこちらを見て、


「また、戻ったんだな……」


「ええ。でも、これが今まで通りなので……」


 そこまで言ってから、魔薙ちゃんに声が聞こえていないことに気づいて、わたしは菊乃ちゃんに耳打ちしました。


「あの」


「なに?」


「トランシーバー出すよう伝えてください」


「あ、うん……えーと、魔薙。トランシーバー出して」


「……あぁ、そういえばそうだった」


 魔薙ちゃんが、鞄から取り出したトランシーバーのスイッチを入れる。わたしはすかさずトランシーバーの内部に透かして干渉しました。


『どーも』


「……しかし、アンタ本当に普通の人間だったんだな。ウチにはただのもやにしか見えなかったから、半分疑ってた」


『失礼ですね! それで、わたしの元の姿、どうでした?』


「なんていうか……お姉さんって感じだった」


 少し照れた様子で、彼女がつぶやきました。


 一体、どこの印象を言っているのか。わずかながら気になりましたが、なんとなく答えが出てるのでやめました。


『というか、菊乃ちゃんはお姉さんって感じではないんですか?』


「いや、別に……」


「は?」


「いやだって、年下にやたらムキになるし……」


「……まあ、そこらへんは、ごめん」


 二人は喧嘩腰にそう言いながらも、特に喧嘩するでもなく楽しそうな様子。


 ふと、菊乃ちゃんが取り出したスマホを見ると、すでに午後の九時過ぎになっていました。菊乃ちゃんのほうを見ると、明らかに頬を引きつらせて嫌な顔をしはじめています。


「げっ……」


「どうした?」


『菊乃ちゃんのご両親が帰ってくるのが、その時間なんです』


「まじか」


「とりあえず急いで! 怒られるから!」


 懐中電灯を頼りに校門を乗り越えて、全速力で家路に急ぎます。


 魔薙ちゃんが、ふと思い出した様子で菊乃ちゃんのほうへ向きました。


「てか、いいのか? 泊まること、親に言ってなかったろ!」


「散々な目に巻き込んだから! 今回は、許す!」


「良かった! ダメだったら最悪野宿だったしな!」


 青信号の点滅した横断歩道を渡って、そんなやり取りを交わしていました。


 そんな二人のやりとりする様子にくすりと笑いながら、わたしもその背中に続いて走りました。



 その後は菊乃ちゃんがお母さんに門限のことや泊まりのことをごまかしてから、魔薙ちゃんの除霊の件もあってどうにか許しをもらいました。


 魔薙ちゃんは菊乃ちゃんの部屋で、客人用の布団を敷いて寝るそうです。


 次の日は学校があるため、ふたりとも特になにかするでもなく、早めに眠りにつきました。


 そうして、次の日。




 教室で集まっていた冴恵さえちゃんと青葉あおばちゃんを、菊乃ちゃんがちらちらとせわしそうに見ていました。


「気になるんですか?」


 わたしは菊乃ちゃんの机にもたれかかりながらそう訊くと、


れいの大事な友達だし、悪いことしたと思ってたから……」


 うつむきながら、菊乃ちゃんが小さくつぶやきました。


 これも、あの『人喰い学校』を経ての変化でしょうか。なんだか、見てるこっちも嬉しくなってきます。


「じゃあ、行ってきたらどうですか?」


「いいの?」


「もしダメでも、わたしはずっとそばにいますから」


「……うん」


 ガタリと、大げさに椅子を鳴らして立ち上がりました。そうして、どこかぎこちない様子で歩いていく背中を見送ります。


 彼女は冴恵ちゃんたちの前に行って、自分から話しかけました。もしかしたら険悪けんあくな空気になるかと思っていましたが、意外と上手くいったみたいです。


 彼女が一瞬嬉しそうにこちらへと振り向くのを見て、わたしは親指を立てて返しました。


 ふと、わずかに心の奥に不安を湧き上がらせながら。


 果たして、菊乃ちゃんはこれからも、わたしのことを好きでいてくれるのでしょうか。なぜだか、わたしはそんなことが気になりはじめていました。


 もしかしたら、いつか彼女が別の生きた人を好きになる日が来るかもしれません。そうしたら、わたしという存在は彼女にとって邪魔になるんじゃないか。その時、わたしはちゃんと菊乃ちゃんから離れられるのか。


 嫌な感情がこみ上げてくるのを、ぐっとこらえて呑み込みました。


 わたしだけを見ていること、それを許さなかったのはわたし自身です。それをこちらが破ろうとするのは、あまりにも最悪ですから。


 友情にしては、あまりに重いでしょうから。


 予鈴が鳴って、彼女が嬉しそうな様子で席に戻ってきました。わたしはさきほどまでの感情を振り切って、どうにか笑顔で迎えます。


「上手く話せたよ」


 小声でそう報告するのを聞いて、わたしは「良かったです」と適当に返してから、彼女に手を振って教室を出ました。




 誰もいない空き教室で、短めの白チョークに干渉し、黒板に先端を当てました。


 無心で線を引き、昔みたいにさっさと描いていきます。コツさえ掴めれば簡単にできるもので、気づけば生前に結構近い絵ができていました。


 長い髪の、身体の線の細い女の子。この学校の制服を着ていて、わたしへと笑いかけています。


 初めて出会ったあの日から、わたしのスケッチブックは彼女で埋められていったことを思い出しました。あの日のわたしは、彼女が絵になると思って、仲良くなりたいと思っていたのです。


「それ、もしかして菊乃?」


 背後からの声に振り返ると、一瞬黒い影と見紛みまがうようなトモコの姿。


 相変わらず真っ黒なゴスロリを着て、行儀悪く机の上に座り、室内にもかかわらず黒い日傘をさしています。


 横目でニヤニヤとした笑みを浮かべるのにむっとしながら、わたしはじっとにらみつけました。


「よく描けてると思うわ。まるで、いつも見てるものを描いたみたい」


「……なんの用ですか」


「そんなに怒らないで。ちょっとお礼を言いにきただけだから」


「お礼?」


 わたしは思わず、訝しげな視線を投げました。


 別に彼女にお礼をされるようなことをした覚えがありません。きっと、ろくでもないことを言いにきたのだと、すぐに分かりました。


「『人喰い学校』って、あったわよね?」


「……それが、どうかしたんですか」


「あなたが屋上を開けてくれたおかげで、わたしは『コックリさん』にアクセスすることができたわ」


「は……?」


 外から、うなるサイレンと広報の声。それは、彩華市立あやかしりつ早良ヶ原さわらがはら小学校しょうがっこうの火災を知らせる内容でした。


 背筋にひやりとしたものが走りながら、わたしは続きをうながすように投げかけました。


「どうして、そんなこと……?」


「あいつ、わたしの競合相手だったんだけどね。独断で幽霊の箱庭なんか作ってて迷惑だったのよ。『お友達』を奪われるかもだし、かといって下手に侵入もできないし」


 競合相手――つまり、あの学校の付喪神は、トモコと同じような存在で、それも同じように幽霊を生み出していたということ。


 花子さんがトモコを知らなかったのは、そういうこと……


 ちらと窓の向こうを見ると、遠くの空で黒い煙が上がっているのが見えました。


「だから、いつか誰かが隙を作ってくれるよう、ネットで『人喰い学校』の都市伝説をそれっぽく書いて流してたんだけど。まさか、あなたがあいつの中枢にたどり着いて、隙を作ってくれるとは思わなかったわ」


「でも、それだと侵入したのは昨日の夜ですよね? どうしていま燃えてるんですか?」


 こちらを向いた彼女の口元は、ひどく歪んでいました。悪意に満ちていて、いつかのようにひりつくような力すら感じられました。


「ちょっとした余興よ。あなたたちのしたことを自覚させようと思って」


「わたしたちの、したこと……?」


「あなたたちのおかげで、わたしは『コックリさん』からあいつのシステムをいじることができて、あいつは自らを発火させた。そうしてあの木造の学校は全焼するしかなく、行き場をなくした七不思議は学校の外へとさまようことになった」


 思わず、手に握ったままのチョークを取り落としました。それは床で砕けて、あたりに粉を散らして汚しました。


「すると、どうなるでしょうね? なかには、人を人体模型にするシリアルキラーもいるでしょ? そんなのが近辺の街をうろつくとしたら、いったいどれほどの被害が出ることか……」


 それもありましたが、わたしは別のことが気になりました。


 もしそうなのだとしたら、花子さんや教室で授業を受けていた先生と生徒たちもさまようことになります。あの学校を失った彼女たちは、その後どこへ行くのか。


 うろたえていると、彼女は机から下りてわたしのほうへ早足で向かい、わたしの頬に手を添えながらねっとりと言いました。


「あなたも、わたしたちと同じよ。いまは少しだけ、現世や心霊に干渉しているだけかもしれない。でもいつか、あなたがあの女の首に手をかける日が来る」


「なにいって――」


「好きなんでしょ? あの女のこと」


 顔を間近に近づけて、耳元でそうささやきました。


 ふと、あの嫌な感情が帰ってきました。わたしはそれを隠したくて、思わず口元を手で覆うと、彼女は満足そうに鼻で嗤って顔を離しました。


 三歩ほど身を引いて、椅子の脚に透かしながら、彼女はくるりとスカートを舞わせるように一回転して言いました。


「お礼にひとつ、教えてあげる」


 聞きたくない。


 わたしは嫌な予感がして目をそむけて、


「あなたの抱いた感情は、いずれ彼女を破滅に導くわ」


 瞬間、目の端の彼女がパッと消えました。


 念のためにあたりを見回して確認しても、どこかにいる様子もありません。


 途端に、脚の力が一気に抜けました。ふらついた勢いで手が机がぶつかると、机がギイといやな音をたてて動くのが見えました。

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