わたし、元から死んでますから。

 七不思議のひとつ、『トイレの花子さん』。


 その実態は、イジメで亡くなった一人の生徒だったそうです。


 わたしはコックリさんの場所へ向かう途中、花子さんから話を聞きました。


「なまえがハナコで、そこからついたあだ名が『トイレの花子さん』。トイレに行くたびにさんざんそう呼ばれてた」


「だからって、死んだ後もトイレにこだわることもないでしょうに」


「ほんとうになったら、おもしろいかなって」


「はぁ……」


 どう考えたらそこに至るのか。とうてい理解できませんが、そこそこ楽しそうなのでいいのかなと思わなくもありません。


「それで、主になにしてたんですか?」


「べつに。たまに来た人をおどろかすくらい。でんきもつかないし、昼でもうす暗いし、あんがいみんな怖がってくれるんだよ」


「……人は殺さないんですか?」


「それは先生だけ。わたしもみんなも、そういうのきょうみないから。……まあ、先生もジンタイモケーにするだけで殺してないけど」


 そう、いかにもぼんやりとした様子で言っています。後半の意味が少し気になりましたが、あまり踏み込んではいけないような気がしてやめました。


 そうするうちに、魔薙まなちゃん花子さんをいぶかしげな目で見て訊きました。


「それで、その『神さま』ってのはなんなんだ? なにが目的で『人喰い学校』を守ってる?」


「『ヒトクイガッコー』?」


「この学校が、そう呼ばれてるみたいです。入ったら誰も出られないみたいで……」


「……しらない。ここががっこうで死んだ人が生きるばしょってくらいしか、わたしはしらない」


 死んだ人が、生きる……


「あと、おっぱいのおねえさんがからだを手に入れたのも、神さまのおかげってことくらい」


れいです。……って、あれ? わたし言いましたっけ?」


「わたしたちと、同じにおいがするから」


『同じ』というところに、嫌なものを感じました。


 もしかして、彼女もトモコによってできた『お友達』なのでしょうか。


 ひとつ、確かめてみることにしました。


「あの、花子さん」


「なに?」


「トモコって、知ってます?」


「……だれそれ?」


 彼女の思いがけない言葉に、思わず返事が詰まりました。


 トモコを知らない幽霊がいるということ。それは、どういうことか。


 そのことを考えているうちに、屋上前階段に着きました。




 花子さんが先行して『段数の増える階段』を上っていくと、今度はすんなりと屋上扉の前にたどり着きました。


 扉の前の床には、一枚の紙と十円玉が置いてあります。見ると、五十音の平仮名の羅列られつの上に「はい」「いいえ」とあり、その間に鳥居のマークが描かれていました。


「これって、あれですか? 普通に、紙の上の十円玉に指を置いて……って感じにやるんですか?」


「いや、紙のうえに十えんおいてしつもんするだけで、あとはかってに動いてくれるよ」


「は?」


「神さまががっこうぜんたいをしはいしてるから、コックリさんもおーとまちっくのほうが楽なんだって」


 コックリさんのオートマチック化……


 七不思議にしてはやたら先進的な単語が出たと思いながらも、わたしもWarTubeウォーチューブをしている幽霊を見たことあるので、案外よくあることなのかもしれません。


 ひとまず、十円玉を鳥居マークの上に乗せて質問しました。


「コックリさんコックリさん――」


 途中で十円玉が動きだしました。十円玉は一文字ずつ文字から文字へと移動し、このような言葉が出来ました。


『そ・れ・い・ら・な・い』


「ふつーにしつもんすればいいって」


「えぇ……」


「本当にこいつ、コックリさんなのか?」


「うごかしてるのは神さまだから」


 なんだかわたしの知ってるコックリさんとまったく違うもので、なんとも調子が狂います。そもそも、ここの『トイレの花子さん』も自称してるだけでしたが。


 どうにも拍子抜けのまま、ひとまず気を取り直して質問をしました。


「入った人を閉じ込めている理由を教えてください」


 コックリさんの――付喪神の返事を待って。


 わずかな沈黙のあと、十円玉がひとりでに動き出しました。


『よ・こ・し・ま・な・れ・ん・ち・ゅ・う』


『く・ち・ふ・う・じ』


 よこしまな連中、口封じ。


 そして、心霊調査という理由で来たわたしたちも閉じ込められた。


 つまるところは――


「わたしたちも、このまま出られないということですか?」


『そ・う・だ』


 その返答に息を飲むなか、菊乃ちゃんが平静とした様子で訊きました。


「そこらへんはまあ、あとでいいや。そもそも、ここはなに? どうして、幽霊が実体化してるの?」


『こ・こ・は・し・し・た・も・の・が・い・き・る・は・こ・に・わ』


「『死したものが生きる箱庭』……つまり、この学校を出たら……」


『し・し・た・も・の・は・に・く・た・い・を・う・し・な・う』


「そっか……」


 菊乃ちゃんは少し苦い顔をしてから、わたしの方を見る。


「どうする?」


「帰るんじゃないんですか? どのみち、こんなところに泊まりたくないでしょう?」


「……まあ。じゃあ、帰ろっか」


 十円玉を紙から外し、身を翻して、それぞれ階段を下りました。


 その時、足を止めていた花子さんが後ろから声をかけました。


「いいの? というか、どうやって出るつもり?」


「どうにかして出るよ」


「令も、からだを失っていいの? もう、生きてられないんだよ?」


 足を止めて、一瞬迷って。


 それから答えを決めて、振り返りました。


「たとえ身体がなくても、ちゃんと生きてるつもりですから」


 さっさと前に向き直り、下りる足を早めていきます。


 生前の身体に未練がないといえば嘘になりますが、それでもわたしは、菊乃ちゃんと生きていたい。


 ただそれだけで、その決断をする理由になりました。




 下駄箱の引き戸は相変わらず動く様子もなく、空き教室の窓ガラスを割っての脱出に決めました。


 窓はレールが錆びついたように完全に閉まっていますが、全部ガラスを割れば脱出できるほどの枠の大きさです。


「んじゃ、まずは除霊ガンで撃ってみるから」


 魔薙ちゃんが除霊ガンを構えて、何度も撃ちました。しかし、窓ガラスはBB弾をもろともしません。


「嘘だろ……」


「割れませんね」


「下がってて」


 言われた通りにわたしたちが引くと、菊乃ちゃんが手に持った椅子を窓ガラスにスイングして叩きつけました。しかし、窓ガラスはまるで割れる様子もなく、逆に叩きつけた椅子を弾きました。


 建物自体は相当古いはずで、その窓ガラスがエアガンでも椅子でも割れない。窓ガラスに付喪神の力でも介入しているのかもしれません。


 どうすれば、それを破れるのか。


「どうする?」


「どうするっつっても……どうすんだよ、これ」


「でもこれ、外からは開いたんですよね……」


 ここで、ひとつひらめくものがありました。


「下駄箱の扉で待っててください!」


 わたしは教室から飛び出して、階段の方へと駆けていきました。




 屋上前への階段はまだ繋がっていて、わたしはまたコックリさんの前に現れました。

隣には、花子さんが壁に背を預けて立っています。


「やっぱり出られなかったんだね」


「ええ……だからここに来ました。出してもらうために」


「どのみち、神さまは出すつもりないよ。『出られた人がいない』ということが、このばしょを守るためにひつようなことだから」


「そんなの、知ったこっちゃないですよ!」


 わたしは屋上扉のノブをひねり、開かないことを確認してから、コックリさんの紙に十円玉を乗せました。今度は、十円玉の上に人差し指を強く押し付けて。


 花子さんはいぶかしげな様子でわたしに訊きました。


「なにをするつもり?」


「コックリさんに――いえ、この学校の付喪神に話を通します!」


「何言って――」


 暗がりのなか、扉のガラスから漏れる月の光でうっすらと見える文字列に向き合い、


「ここの秘密は守ります。だから、屋上扉を開けてください!」


 質問してすぐ、わたしは無理やり力を込めて十円玉を「はい」へ持っていきました。「いいえ」に向かおうとする指を左手で押さえて、扉の方を見ます。


 屋上扉が、ゆっくりと開くのが見えました。


「オクジョー、トビラ……?」


「ええ。屋上から飛び降りて、入り口を開けます」


「まさか、また死ぬ気?」


「わたし、元から死んでますから」


 そう笑いかけてから十円玉を離して屋上へと駆けて、扉が閉まる前にそこを抜けました。


 久々に感じる冷たい風が、髪をすくように撫でていきました。それがどこか懐かしくて、少しだけ泣きそうになりながら。


 背後で扉が閉まる音を聞きながら、わたしは屋上の手すりを越えて縁に立ちました。


 あと一歩踏み出せば、わたしはまた死んでしまいます。しかし、どのみち学校から出れば今の肉体は失われるのです。


 少しずつ、身体から感触が消えていくのが感じられました。


 せめて今の身体で、菊乃ちゃんにキスしてあげればよかった。そんな後悔がひとつ頭に浮かんだものの、どうにかそれを振り切るように飛び出しました。

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