そんな風に想われても、別に嬉しくないです。

 二つ目の『ひとりでに演奏される音楽室のピアノ』を済ませたあと、屋上前の三つ目の七不思議である『段数の増える階段』を下りて、三人とも三階踊り場に座り込ました。


 まさか、段数が無限に増えるとは予想もつきませんでした。いつまで経ってもループしたように屋上扉の前にたどり着けないのです。


「なんなんですか、あれ! 七不思議ってレベルじゃないじゃないですか!」


「……あれも多分、中枢の付喪神による干渉かな。多分、屋上からも出さないつもりなんだと思う」


「それにしても、『真夜中の授業』、『ひとりでに演奏されるピアノ』に続いて三つ目ですけど……いつもみたいに襲ってくるようなことはないみたいですね」


「でも、誰も帰ってきていないのは事実っぽいから。一応、警戒はしたほうがいいかも」


 菊乃きくのちゃんの手が、ぎゅっとわたしの左手を痛いほど握りしめています。絶対に離さないと、言葉に出さずそう言うかのように。


 背後の魔薙まなちゃんを見ると、肩をすくめて苦笑いしていました。


「気にすんなよ。ウチはただ、護衛しにきてるだけだ」


「話しかけないで」


「ああ、分かってるよ」


 少しだけ、居心地が悪い空気でした。魔薙ちゃんが割り切ってくれているだけまだマシですが、それにしても菊乃ちゃんが彼女をひどく嫌っています。


 菊乃ちゃんのそういうところは、なんとなく分かっていました。


 彼女以外の子に話しかけている時、いつも彼女の表情がどことなく曇っていたこと。生前(今は生き返ってますが)はそこまで表に出すようなことはしなかったはずですが、わたしが死んでから、なにか思うところがあったのでしょうか。


 息も整えて三人全員が立ち上がったところで、空いた手でスカートをはたきながら菊乃ちゃんが言いました。


「次は、『生きた人体模型』ね。ここからは悪霊の可能性があるかもだから、気をつけて」


「『生きた人体模型』……?」


「私はそうとしか聞いてないから、実際どんなものかは分からないけど」


 彼女がわたしの手を引いて、灯った懐中電灯をかざして先に進んでいきます。


 あとから静かに続く魔薙ちゃんに申し訳なく思いながら、彼女との見えない溝がなにかを引き起こさないよう祈りました。




 二階に下りて、奥にある理科室に向かっています。


 途中での菊乃ちゃんの話によると、あとは『生きた人体模型』『校内をさまよう白衣の教師』『トイレの花子さん』とのことです。しかし、いままでのを含めても、六つしかありません。


 わたしは菊乃ちゃんに苦笑まじりに訊きました。


「もしかして、七不思議の七つ目は『六つしかないこと』とかいうオチですか?」


「そんな平和だったらよかったんだけどね。多分これが、触れてはいけないもの――つまり、『人喰い学校』の中枢にかかわるものなんだと思う」


「と思う、とは……?」


「どの情報でも、六つまでだったり、七つ目だけすべて違うものばかりだったから。つまり、確定してる七不思議は実質六つ」


「七不思議を全部把握できなかったのに、ここに来たんですか?」


「……まあ」


 そこそこ付き合ってきましたが、呆れてものも言えません。


 最近の彼女は、どんどん危なっかしい方向へ進もうとしています。すべてわたしのためだと言った風ですが、わたしにとってはむしろ前みたいにただ平穏に過ごしていてほしいと思うばかりです。


 彼女を強く引き止められないわたしも、相当に彼女に甘いのでしょう。だけど、放課後の冴恵さえちゃんと青葉あおばちゃんのことを思うと、彼女のこれからについて少しだけ不安がありました。


 彼女はこれからもずっとわたしばかり見て、これからの自分の人生に背を向け続けるんじゃないかと。


「着いた。ここだ」


 声に応じて顔を上げると、古びた木製のプレートに『理科室』と書かれていました。


「大丈夫ですよね? 入ったらいきなり人体模型が襲ってくるとか……」


「一応、準備しとこっか」


 彼女は手を離して、ブレザーのポケットから小さな赤い筒のようなものを取り出しました。


「……それは?」


「催涙スプレー」


「……何用のやつですか?」


「対心霊用のつもりだけど……」


 言いながら、懐中電灯を片手に筒を振りはじめました。


 最近の彼女のズレは、ただわたしを不安にさせるばかりでした。それは彼女の人生や生死にかかわることで、目の前で彼女が破滅するさまを見ることになるかもしれないからです。


 いまのわたしは幽霊ではなく生きた無力な人間で、また死ぬ危険がありました。だから、もし彼女が危険な目にさらされたら――


「行くよ!」


 ガラリと、勢いよく引き戸が開かれました。途端に、きつい薬品の臭いが中から流れ込んで鼻を刺激します。


「うっ……」


「なんですか、これ……」


「さっそく嫌な予感がしてきたな……」


 臭いに一瞬ひるみながらも、銃身に白文字の書かれた除霊ガンが背後で構えられ、懐中電灯と魔薙ちゃんの胸ポケットのスマホのライトを頼りに進んでいきます。


 黒板の前の横向きの一台と、二列に三台ずつ並んだ縦向きの六台といった具合に長机が並んでいました。椅子はまるで使われた後のように、それぞれ四台ずつ乱雑にしまわれています。


 やはりここも、先ほどの生徒たちが最近使ったのでしょうか。


 疑問を浮かべるなか、光が理科室の後方を照らしたところで、わたしたちはすぐに身構えました。


 理科室の奥の壁には、臓器丸出しの人体模型がずらりと並べられていたのです。


「ヒッ……」


「なんだあれ……人体模型にしては、あまりに多すぎじゃねえか?」


「とりあえず、試しに一発撃ってみて」


「マジかよ……了解」


 一発、除霊ガンの乾いた発砲音。直後、人体模型のひとつから肉を叩くような音が聞こえました。


「……おい」


 ごくりと唾を飲み込みながら、わたしは一歩足をしりぞきました。


「普通の人体模型が出しちゃいけない音、出ましたね……」


「襲ってくる様子はない……だけど、あれは――」


「まるで人間のようだ、と」


 背後からの声に、全員すぐに振り向きました。


 ワイシャツとネクタイの上に白衣を着た中年の男が、先ほどの引き戸に手をかけて立っています。おそらく、これが『校内をさまよう白衣の教師』でしょう。


 魔薙ちゃんが警戒して除霊ガンを向けると、


「おいおい。人にエアガン向けるなんて、普段どういう教育を受けてるんだ」


「テメエ、人間じゃねえだろ!」


「先生に向かって、いきなり失礼なことを言うな。今はちゃんと人間だよ」


「『今は』……?」


 先生と名乗る男は口元に笑みを浮かべて、じりじりと近寄りはじめました。


 眼鏡の奥の目はまったく笑った様子がなく、そこに好意とは違うものを感じます。


 魔薙ちゃんは除霊ガンで男を狙い、何発も撃ち続けました。しかし、男はそれにものともせず、彼女の手から除霊ガンを引ったくって引き戸の外に捨てました。


「効いて、ない……?」


「先生、イタズラの過ぎる生徒のせいで死んだからさぁ……君みたいなクズガキ、許せないんだよなぁ……」


 男の左手が魔薙ちゃんの胸ぐらのリボンスカーフを掴み、黒板の前の長机の上に強く叩きつけました。魔薙ちゃんが先生を蹴りつけながら抜け出そうとしますが、ただ高笑いが上がるだけでびくともしません。


 男はズボンのポケットから細長いなにかを取り出しました。それは折りたたみ式の、血まみれのナイフでした。


「……ッ!」


「まずはお前からだ」


「ふ、ざけんな……ッ!」


「どんなに腐ったクズガキでも、人体模型になれば人に貢献できるんだ。せいぜい感謝してくれよ」


 握られたナイフの刃が、彼女の制服へと近づいていきます。


 反射的に止めようとしたところで、菊乃ちゃんが腕を掴んでわたしを引きました。


「なにやってるんだ! 逃げよう!」


「え……」


「あんなの、近づいただけで危ないよ!」


「でも、魔薙ちゃんは――」


「あいつより、れいの方がずっと大事だよ!」


 真面目な顔で、そう言った彼女を見て。


 このままだと、きっとダメだ。


 そんな想いが、脳裏に浮かび、わたしは彼女の手を振り払って催涙スプレーを奪いました。


「令! なにやってんの! 令!」


 わたしは彼女の言葉に構うことなく、白衣の背中に蹴りを入れました。


「あ? おい誰だ、先生を蹴ったの! 手元がブレるだろ――」


 うざったそうに振り向いたその顔に、至近距離で催涙スプレーを噴きつけて。


 男がくずおれたところですかさず、取り落としたナイフを拾い、舞い散ったスプレーの成分で痛む目を我慢しながら逆手で構えます。


 そして、しりもちをついた男の胸元へと、まっすぐ振り下ろし――




 くたくたの身体で理科室から出て、いまだしみる目を菊乃ちゃんの青いハンカチでこすっていました。


 あの白衣の男が動かなくなるまで、ひどく長い時間が経ったような気がしました。


 魔薙ちゃんは中央で切り裂かれたセーラー服を左手で押さえながら、


「……ごめん。本当に、助かった」


 目を伏せてそう言いました。


「怪我とか、大丈夫ですか?」


「背中と後頭部が打っただけで、切り傷とかは大丈夫……」


「なら、よかったです」


 わたしはにこりと笑って、廊下に落ちていた除霊ガンを拾って渡しました。


 それからすぐに、わたしは菊乃ちゃんの方を見ました。


「れ、令――」


「魔薙ちゃんも、わたしの大事な友達です」


 彼女がひるんで口をつぐむ。


 固くした拳を深呼吸でゆるめて、彼女の姿をまっすぐとらえました。


「わたしの時と同じくらい仲良くしろとは言いません。ただ、悪意で人を天秤てんびんにかけるのは、正直どうかと思いました」


 強く責めないよう選んだ言葉は、思った以上に強い口調になっていました。


 しかし、わたしからちゃんと言わないと、彼女はきっと気づいてすらくれないでしょう。これからもずっと、わたしのためになにもかもを犠牲にするのでしょう。


 思えば、これまで彼女とちゃんと喧嘩をしたことがありません。だからか、こうして彼女を怒ることは、とても怖くてつらいことでした。


 もしかしたら、これでいままでの関係が壊れるかもしれないと。


 それでも――


「嫌なんですよ! 菊乃ちゃんが、わたし以外のなにもかもを捨てようとするの! 菊乃ちゃんは生きていて、これからも人生があるのに!」


「…………」


 菊乃ちゃんは、不満そうに押し黙っていました。どうして自分が怒られなければならないのかと、そう口に出さず語っているようでした。


「ちょっ、ウチ生きてるから……だから、喧嘩は……」


「そういう話じゃないです。……わたし、そんな風に想われても、別に嬉しくないです」


 半分くらい、嘘でした。


 それでもそう言わなければ、彼女はいつまで経っても、わたしのために自分の人生を破滅させていく。そんな気がするのです。


 彼女を見ると、言葉を迷わせるように唇を震わせています。


「……だって」


 それから戸惑った調子で、消え入りそうな声が返ってきました。


 目の前の彼女は落ち着きのない手で血まみれのブレザーにすがりつき、しわができるほどに強く握りしめて。


「だって私には、令しかいないから……」


「…………」


 なにも言えませんでした。


 さらに怒るわけにも、あっさりと許すわけにもいかず、ただため息をつきました。


 彼女の肩がびくりと震え、上目遣いに見つめられてから、彼女がよろよろとあとずさってどこかへと走り出しました。


「は? おい、待て!」


 魔薙ちゃんが菊乃ちゃんの後を追い、廊下の先の暗闇へと消えていきました。


 続けて追いかけようにも、追いかけて言えることがまったく浮かばなくて。


 わたしはふらりと壁に背中をつけてずるずると座り込み、どうやればよかったのかと、ひどく後悔の念にかられました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る