私以外と、話さないで……

 校門を登って侵入し、引き戸からギイギイと金切り音を立てて学校に侵入しました。


 もし開いていなかったら、わたしが内側にすり抜けて錠を下ろそうと思ったのですが、なんとも拍子抜けでした。


 通り抜ける途中、わたしは菊乃きくのちゃんに訊きました。


「開いてるって分かってたんですか?」


「まさか。開いてなかったら、窓割って侵入しようかと思ってたし……」


「しっかし、なんで開いてんだか……」


「心霊スポットだし、前に来た誰かが開けてるのかも――」


 菊乃ちゃん、魔薙まなちゃんに続いて、一番最後の私が敷居を踏み越えてまもなく、突然ギイッという甲高い音を立てて扉が閉まりました。振り返って調べてみると、錠が下りてるにもかかわらず、扉はまるで微動だにしません。


「菊乃ちゃん、まずいです! 閉じ込められました!」


「多分、付喪神が閉めたんじゃないかな。付喪神のいる建物だと、人が許可なく立ち入ったら閉まるようになってるらしいから」


「これ、大丈夫なんですか? いざって時に逃げられないかも……」


「まあ最悪、窓かち割ればいけるかも……」


「…………」


 魔薙ちゃんがやけに静かでした。


 とりあえず、出入り口のことは気にしないとして、懐中電灯を持った菊乃ちゃんを先頭に、先ほどと同じ順番で廊下を歩きはじめます。しかし、廃校と言われる割に蜘蛛くもの巣ひとつもほこりもなく、下手をすれば普通の学校よりも綺麗に思えました。


 ふと、身体の表面から冷えてくる感覚がありました。それはおぞましさとかそういうものではなく、本当に冷えた空気が撫でるような。それはまるで、生前のような。


 ……どうして?


 わたしは異変に気づいて、すぐに魔薙ちゃんのトランシーバーに触れて干渉しようとしました。しかし、指に硬い表面の感触があっただけで、まったくすり抜けられません。


「え……」


「やっぱりか……」


「どうして……」


「……おい、雑巾カフェ。一旦ストップだ」


「は? なんで――」


 トランシーバーに触れた手に、柔らかい手が重なりました。冷たい感触が、手の甲から伝わってきます。


「お前の友人、生きてるぞ」


 菊乃ちゃんが振り返り、懐中電灯が向けられました。まぶしい光を空いた手で覆うと、彼女が身をこわばらせているのが見えました。


「まさか。だって、視えないはずじゃ……」


「ここ入った瞬間だよ。トランシーバーの干渉なしに聞こえないはずの声が聞こえて、正直ぞっとした」


「本当に……?」


「これは霊の感触じゃない。生きてる人間のそれだ」


 魔薙ちゃんが手を離し、おずおずと近づいた菊乃ちゃんの細い指が二の腕に触れました。それがあまりにぎこちなく、くすぐったくて、びくりと反応します。


 暗闇のなか、表情のうかがえない彼女が、いきなり身体をぎゅっと抱きしめて。彼女の身体の温かくて柔らかな感触が、じんと伝わってきました。


「菊乃ちゃん……」


「本当に、生きてる……」


「……はい。わたしも、温かいです」


 むせび泣く声を聞いて、目にじんと熱くなるようなものを感じながら、菊乃ちゃんを抱きしめ返しました。少しだけ背の高い彼女の香りや体温や感触が懐かしくて、とても安心するようでした。


 それにしても、これって相当恥ずかしいことなのでは。


 視線だけ動かして魔薙ちゃんを探すと、少し離れた壁にもたれてスマホをいじって座るのが見えました。


「あのっ、魔薙ちゃん……」


「こっちは暇つぶしてるし、気にしないでいいから」


れい……」


「ほら、呼ばれてんぞ」


「……はい、分かってますよ」


 どこか意地悪そうな顔をよそに、菊乃ちゃんの感触を確かめました。


 視線を感じて恥ずかしいのか、菊乃ちゃんの体温が伝わってきたからか。冬も近い時期からは考えられないほどに、身体が熱っぽくなっていくのを感じました。




 わたしも菊乃ちゃんも気が済んだ頃には三十分ほど経っていました。そんなこんなで、心霊調査を再開します。


 なぜ生き返ったのかは分かりませんが、おそらくはこの学校の付喪神に関係があるのではないかというのが菊乃ちゃんの推測でした。その秘密を探すため、付喪神の中枢のようなところをいまから探すそうです。


 ところで、いまわたしの左手には、菊乃ちゃんの右手が強く繋いでいました。正直、恥ずかしくていますぐにでも外したいのですが、指の間を絡めるようなつなぎ方をしていてなかなか外れません。


 背後で魔薙ちゃんが面白そうに含み笑いをしているのを過剰に感じて、どうにも落ち着きません。


「それで、ここ『人喰い学校』なんですよね? ここまで食ってる感じがないのですが……」


「ここで、間違いないよ。肝試しに入った人が、ことごとく行方不明になってるみたいだし……」


「それ、大丈夫なんですか?」


「……あと、七不思議も一緒に書かれてたから、それも調査する」


「あの、菊乃ちゃん――」


「多分、どうにかなる……と思う」


 ひどく揺らいだイントネーションで、彼女が言いました。


 背後から鼻で笑うのが聞こえます。


「だと思った」


「お前は黙ってて」


「せっかくついてきてやったのにひどい言い草……まあ、とりあえず、こちらを閉じ込めてる中枢の付喪神だかなんだかを探せばいいんだろ?」


「まあ、そうだね。その手がかりが多分、七不思議にある……んだと思う」


「とりあえず、出るまでテメエが死なないよう気ィ張ってるから。帰ったら、ちゃんとメシ用意しろよ」


「置いて行こうかな……」


 隣で小さくそんなことを言っているのを聞いて、思わず苦笑いしました。


 それにしても、わたしはこれからどうなるのでしょうか。ここから出て、仮にもこのまま生き返ったわたしに居場所があるのでしょうか。


 不安になりそうななかで、どこかからザワザワと人の声が聞こえてきました。それは甲高い、小学生のような声でした。


「……人の声、しましたけど」


「あれ? 令にも聞こえたの?」


「ウチにも聞こえた。だけど、まさかこんなところで授業やってるはずもねえよな……」


 聞こえる先は、教室の一角。


 懐中電灯を切って、声のする教室を覗きました。月明かりだけがさす一室で、生徒が先生と向き合って授業を行っています。


 教室のなかの彼らに聞こえないよう、小さな声でつぶやきました。


「なんで、こんなところで授業を……」


「人間……じゃ、ねえよなぁ……あれは七不思議か?」


「うん。七不思議のひとつ、『真夜中の授業』だね。いまは真夜中とは言いがたいけど、多少誤差があるのかもしれない」


「どうします?」


「とりあえず確認したし、気づかれないように次のとこ調べよっか」


 そうして通り抜けるわけにもいかず、来た道を引き返します。


 ここは廃校であるはずなのに、こんな夜更けに電気もつけずに授業を行っていました。そして、まさか「入ったら出られない」と噂されるようなところで、誰かがイベントを行っているわけもなく。


 わたしは、手をつなぎ直した菊乃ちゃんに訊きました。


「あれも幽霊ですか?」


「多分、そうだと思う。この学校の付喪神の影響で、令やあいつらが肉体を得られているのかも」


「どうしてそんなこと……」


「なんでだろうね。人を閉じ込めたりしてるし、なにか目的があるのかも」


 ふたたび彼女が懐中電灯をつけて進みました。


 それにしても、入った人はどこへ消えたのでしょう。二度と出られないならば、生死問わずどこかしらにいるはずですが……


 ふと、背中からこそりと声をかけられました。


「生前、付き合ってたのか?」


 魔薙ちゃんから、少しワクワクしたような声で訊かれました。なんとなく言いたいことが分かり、すぐさま頭に火がついたように熱くなりました。


「……違います。ただの親友です」


「キスはやった?」


「……キスは――」


「もうやったよ」


 隣の彼女が、懐中電灯をまっすぐ魔薙ちゃんの顔に向けました。光で眩しそうにするところを追い払い、わたしの手を引いて足早に進んでいきます。


 そうして廊下の端にある階段の踊り場に来た頃には、魔薙ちゃんの姿が見えなくなりました。


 わたしは彼女の手を引き止め、息を切らしながら叫ぶように言いました。


「ちょっ、魔薙ちゃん置いてく気ですか!」


「…………」


「いくらなんでも、あれは」


「……令があいつと話すの、私は嫌だから」


 ふと、彼女が左手でわたしのブレザーにすがりつきました。


 どうしようと困りはてたところで、スマホのライトを照らした魔薙ちゃんが追いつくのが見えました。


「だから……私以外と、話さないで……」


 表情の見えないなか、涙声でそう言うのを聞いて。


「……わかりました」


 思わずそう言いながらも、心の中では答えを決めあぐねていました。

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