特別編・後悔するわよ。
登校時、歩道橋から人が飛び降りるのを視界の端で捉えてしまった。
スーツ姿の初老の男。あいつはいつも同じ時間に、同じ場所で飛び降りる。ただ、何故いつもそうしているのかという疑問を、特に知りたいとも思わなかった。
あいつは、私にしか視えないから。
「そういえば、
「……ん? なに?」
「今日は、ハロウィンですね」
「ああ……」
視界を、彼女の方へ戻す。
どうして私みたいなやつと一緒にいるのか、と一度聞いたことがある。彼女は「菊乃ちゃんは見てて面白いんです」とくすくす笑いながら言っていた。
正直、そんな小動物みたいな扱いでも、私は少しだけ嬉しかった。
「勘弁してほしいよ。何が楽しくて、化け物の格好して菓子ねだってんだろうね」
「まあ、酔った勢いで車倒したみたいな事件もありましたしね……」
「もはやなんの祭りかわかんないし、紛らわしいからやめてほしい」
「紛らわしい……?」
彼女がいぶかしげにこちらを見る。
しまった。またいらないことを口走ってしまった。ここらへんの話は、令にも秘密のことだった。
手をぶんぶん振って、いつものようにどうにかごまかそうと試みる。
「あっ、いや……もしかしたら、仮装に混じって本物が混じってる可能性ってあるじゃん。楽しい祭りの裏で、人に飢えた本物の怪物が歩いているかもしれない」
十月も末で空気が冷たくなってきたにもかかわらず、冷や汗がにじみ出た。
どうせなら、冗談ということに済ませちゃおう。私の本当のことを知ったら、彼女ですらもどう思うか分からなかった。
おそるおそる、令のほうを見る。彼女は一瞬目を丸くしてから、次第に口元をおさえてふきだしはじめた。途中からお腹を抱えはじめて、なんだか逆に複雑な気分になってきた。
「真面目な顔で……何言って……ぶっ、あはっ……」
「そこまで笑うことなくない?」
「笑わせてきたのは、そっちでしょ……あっ、だめっ、ごめん菊乃ちゃ……支えてて……」
彼女がひどく笑いながらよろけて、肩を預けてくる。彼女のツボはいまでもよくわからないけど、どうにか冗談でごまかせてよかった。
それにしても。
距離がいきなり近くなって、彼女のシャンプーの香りがすぐそばの
彼女の香りが近くなるたび、身体の熱を、身体の柔らかさを感じるたび。ここ最近の私の心臓は、はね上がるようになった。現に、いまの私がそうだった。
令と親友として一緒にいてから、私はもうひとつ秘密を抱えるようになった。彼女には話せない、だけどいつか話したい、そんな秘密を。
真ん中ほどの、令の机に椅子を引いて待つ。私のほかに、彼女の友達が二人集まっていた。
この時間が、本当に気まずい。
「おまたせしましたー」
彼女が袋を提げてやってくる。
「また菓子パンかー」
「こっちの方が早めに済むんですよ」
「うーん、ストイック!」
「効率的って言ってください」
私は特になにも言わず、ただ
こういう時、令の友好的な性格が本当に
彼女は自分の席に座って、袋からパックのコーヒー牛乳とメロンパンの袋を取り出した。それらを空けて、メロンパンの方へかぶりつく。
「そういえば、今日ハロウィンだよね。なんか菓子持ってない?」
「菓子もらう前提かよ」
「じゃあ、いたずらしてほしい?」
「それはいらんけど……」
令の友達の
彼女は口元のパンをコーヒー牛乳と一緒に呑み込んでから、くすくす笑っていた。それから私の視線に気づいて、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
こっちも罪悪感があって、すぐに視線を戻す。
「ちょうど
「何味?」
「栗味です」
「渋っ……まあいいや、
「今日はハロウィンですし、もっとハロウィンらしいねだり方してくださいよ」
「トリック・オア・トリート!」
冴恵と青葉が声を上げて、令が鞄から茶色い袋の飴を取り出す。それぞれに配って、私の目の前にも置かれる。
顔を上げると、令がこちらへと無邪気に笑いかけていた。
思わず口元がにやけてしまうのを手で隠して、飴をポケットに入れる。ふと、冴恵が気づいてこちらを見た。
「それで、
「えっ、どうって……」
「ちょっと苦手だって言ってましたよ」
「あー……渋谷のアレとかもあるしね。別にハロウィンは嫌いじゃないけど、あれはどうかと思うよねー」
「あたしも別にゆるゆるで乗るくらいでいいなー。そこまでイベントに熱心じゃないし」
「まあ、いつも通りってことで……」
令が食べ終えたパンの袋を片付けて、コーヒー牛乳のパックを端にのけて、スケッチブックと筆箱を取り出す。
彼女はよく絵を描いている。色々描いているけど、可愛らしいタッチの女の子の絵が主だ。素人目からみても、結構上手い方だと思う。
「令のよく描く女の子って、菊乃に似てるよな。黒髪ロングだし」
「……あはは、そうですかね?」
「令、なんだかんだ真咲ちゃんばっか見てるよねー……真咲ちゃんもだけど」
「へ……?」
「本っ当、君ら仲いいよねー」
二人の視線が、こちらに集まる。令もこちらを見て、少し面白がっている。
突然のことに顔が火照りはじめた。口元を隠して、ごまかし方を考えて。
結局なにも浮かばず、うつむいて黙りこくることしかできなかった。
この日の夕方ごろは、特に幽霊が出る。死んでも人は騒ぎに乗っかりたいものらしい。本来ハロウィンは悪霊を追い出す行事らしいのに、これでは本末転倒だ。
商店街でハロウィンイベントが行われていて、仮装する人たちで溢れていた。そのなかに、よく見るとすり抜けるやつがちらほら視える。
「平日からよくやりますよね。別に嫌いってことはないですけど、通りにくいです……」
「回り道しよっか」
「ですね」
ブレザーのポケットに手を突っ込んだまま踵を返して、別の小道に進んでいく。
私の霊視はあまりに視えすぎるため、たまに生きてる人との違いがよくわからなくなる。だから、こういう混雑した場所は、本当に神経を使ってしまう。
「そういえば、フランケンシュタインって頭にネジ刺した人の方じゃないらしいですね」
「たしか、作った人の方だよね。原作だと、令の言ってるやつはただ『怪物』って呼ばれてる。そもそも頭にネジ刺してなかったり、素材としてはロボットというよりゾンビに近かったり、知能もすごく高かったりするよ」
「へえ、原作とかあるんですね?」
「うん。あれは伝承とかじゃなくて完全に創作出身。クトゥルフとかお岩さんとかと一緒」
「いまいちピンとこない例ですね……」
彼女がくすくすと笑うのを見ながら、その歩幅を合わせる。
ひとりでいる時間が長かったこともあり、私の歩幅はどうにも早い方らしい。彼女の歩幅は正直遅いなと思いつつも、こうして一緒にいる時間のおかげであまり気にならなかった。
回り道して、いつもより長く話してから令と別れる。彼女の背中に小さく振った手を
「ずいぶんと楽しそうね」
突然、どこかから声がした。
私はこの声を知っている。いつか聞いた、かつての『友達』の声。
周囲を見回して、ちょうど一周したところ。そこに、いつの間にか黒いドレスの少女が立っていた。
季節も時間も合わない日傘と、黒いシュシュで飾ったふさふさのツインテールが、さっきまで
「トモコ……」
「あなたにとっては、お久しぶりってところかしら? わたしはずっと、菊乃のことを見てきたんだけどね」
「どうして、いまさら……」
「どうして? 霊能者使って追い出して、散々わたしや『お友達』を無視して、あげくの果てには新しく友達なんか作って浮かれちゃって。むしろどうしては、こっちじゃない?」
彼女の問いに、言葉が詰まる。
私は普通でいたくて、ある時からトモコとその『友達』をいないことにした。そうしていまも、令の前で普通でいたくて、無視しようと
どう言えばいいのか、どう言えば許してもらえるのか。それを必死に考えるけど、なにひとつ思い浮かばない。
「わたしより、あの子の方に気が移っちゃった? 『親友』だから?」
言葉が出てこなかった。どう言っても、彼女は納得してくれない気がしたから。
悩んだ末に無視することに決めて、そのまま黒ずくめの身体をすり抜ける。
すれ違い
「後悔するわよ」
冷ややかな声を振り払うように首を振りながら、そのまま家へと走る。
家に帰る時も、家に帰ってからも、彼女の最後の言葉がいやに頭のなかに貼りついて離れなかった。
数日後。
私の親友の幽月令が、交通事故で亡くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます