令になら、呪われてもいいから。

 心霊調査で廃アパートにやってきたわたしたち。


 なんと、菊乃きくのちゃんの本当の目的は、そこにむ悪霊を殺すことだったのです。


 しかし、霊相手にスタンガンなど効くはずもなく、相手が『お友達』のわたしの存在に気づいたことで、どうにか騒ぎはおさまりました。


 廃アパートに棲むその人の本名は夢原由可ゆめはらよしか。先ほどのポルターガイストは、「もしかしたら本当に殺されるかもしれない」という恐怖からのものだったそうです。


 実際、菊乃ちゃんが先に仕掛けたことだったのは事実で、こちらも文句は言えません。


 そうして、お互いに視えないわたしと由可さんは、メモ帳を通してやり取りすることになりました。


『わたし このアパートから でられないの』


 いわゆる地縛霊じばくれいというやつでしょうか。その場所にしばられて、その範囲から外に出られないタイプの幽霊。


 そう思うと、こうやって動けるわたしはまだ幸せだったのだと思います。


『このへやから ってことですか?』


『へやは いどうできるけど このアパートからそとに でられない』


 そういえば、心霊の被害者は何件もあったはずなのに、必ず同じ部屋にたどり着くというのも妙な話です。


 少し気になって、わたしは距離を取って座り込んだ菊乃ちゃんに振り返りました。


「そういえば、どうしてわざわざこの部屋に来たんですか? どの部屋でもよかったっぽいですけど……」


「ここが、そいつの起源だから」


「え……」


「この部屋、心霊騒ぎより前に殺人事件があって。そこから一年も経たずに、アパートに人が住まなくなったとか」


 間もなくしてボールペンとメモ帳がひとりでに動き、文字をつづっていきました。


『わたしは ここでころされた』


 由可さんの話は以下の通り。


 十年前、彼女はバイト先でストーカー被害に悩まされ、それはプライベートにもおよんだ。


 ある日、彼女が自宅、つまりこのアパートのこの部屋でひとり留守番をしていたところ、宅配便のふりをしてやってきたストーカーの男が部屋の前に来た。


 気のゆるんでいた彼女は警戒もせず扉を開けてしまい、その隙に押し入られ、じょうとチェーンで閉じられた部屋にて、度重なる屈辱的な暴行を受ける。


 隣の住居者からの通報もあり、ストーカーは迅速に逮捕される。しかし、彼女はすでに殺害されてしまっていた。ここからは、彼女の幽霊としての記憶となる。


 その後、凄惨な殺人現場を見た両親は気をおかしくし、後の言伝ことづてにて両親がホテルで無理心中したと聞いた。


『だれからそれを きいたんですか?』


 途中で気になり、そう問いました。


 幽霊は普通の人間どころか、他の幽霊にも視えないはずです。事実、わたしからは彼女が視えなくて、彼女からもわたしが視えません。


 書いたあとで、ひとつ心当たりが思い浮かびました。昨日会った、あのゴスロリ少女。


 彼女は菊乃ちゃんの言う「悪霊」でありながら、わたしにもそれが視えていました。


『しらない? トモコっていう かわいいふくのおんなのこ』


 思考と答えが、ドンピシャしました。


 しかし、同時にきな臭くもなってきます。もしかしたら、ストーカー殺人はトモコが仕組んだことだったのではないか。しかし、それは憶測おくそくの域を出ず、彼女が知っている様子もなかったため、あまり追求しないことにしました。


『あのこ さいきんは なぜかこないみたいだけど』


『ここでのしんれいさわぎも よしかさんが?』


 そう書いて渡すと、先ほどまでよりすこし長く間をおいて、書きはじめました。


『しんだあと ほかのへやの いろんなひとをみてて おもったの』


『よのなかには ゆるせないおとこが いっぱいいるって』


『だから このアパートのはんいで そういうおとこを ころしていった』


『しんれいさわぎで このアパートがすたれてからも そういうおとこは いっぱいきた』


『ぜんいん しんでとうぜんだった』


 後になればなるほど、文字はどんどん荒くなっていきました。


 それは激情げきじょうによるもので、それだけ憎しみが強かったのか。


 直後、アパートが揺れました。天井材の破片がボロボロと頭上からこぼれて、わたしの身体をすり抜けます。


 この話にこれ以上触れるのはまずい。そう考えて、わたしは揺れるアパートのなかで、話を本来のことに戻すことにしました。


『それで そうだんというのは?』


 揺れが静まってから、またゆっくりと文字が書かれました。


『あるひとにあって はなしがしたい』


 それを読んで、わたしは少し考えてから返事を書きました。


『でも へやから でられないんですよね?』


『だから あなたたちにことづてを たのみたいの』


 さらに、彼女は続けて書きました。


『このないようを わたしのいったひとにとどけて』


 そして、彼女はメモ帳のページをめくり、丁寧に文章を綴っていきました。




 その後、わたしたちはアパートを出て、言われた住所のところに行きました。


 届け先の名前は栗原圭くりはらけい。当時、彼女の同級生で、彼氏だった人とのこと。


 しかし、その家の表札は「栗原」ではなく、違う名字が立てかけられていました。おそらく、すでに引っ越してしまったということなのでしょう。これではどうしようもありません。


 仕方なく、わたしたちは自宅に帰ることにしました。


 菊乃ちゃんは左手をパーカーのポケットに突っ込み、もう片手に由可さんの言伝であるちぎったメモをぷらぷらとさせて、ため息をつきました。


「あー、無駄足だった。相談聞かなきゃもっと早く済んだのに」


「聞いてなかったら、菊乃ちゃんはどうなってましたか?」


「うっ……」


「だいたい、仮に悪霊だとして、どうしてスタンガンで殺せると思ったんですか? チンピラ相手にしてるんじゃないんですよ」


「だって、霊能者がスタンガン使ってるとこ見たことないし……もしかしたら、電気通したら死ぬかなって……」


 幽霊は、魚かなにかか?


 そんな突っ込みをぐっと呑み込んで、菊乃ちゃんの持ったメモの内容を読み返しました。



 圭ちゃんへ


 おげんきですか。


 わたしはゆうれいとして、いまもあのアパートでくらしています。


 ひらがなばっかできたなくて、よみにくくてごめんなさい。このからだでもじをかくと、これがげんかいなのです。


 わたしがしんでから、およそ10ねん。圭ちゃんはいま、どうすごしていますか。


 しあわせなら、さいわいです。でも、もしいまでもわたしのことでこころのこりがあって、しあわせになれずにいるなら、わたしのことはわすれてください。


 わたしはもう、にどと圭ちゃんのまえにはあらわれないでしょう。そしていまのわたしも、圭ちゃんのまえにあらわれるしかくがもうありません。


 もしたすけられなくてこうかいしていたら、わたしのことはわすれてください。


 もしべつのひととしあわせになってて、わたしのことなどまったくわすれていたのなら、これからもずっとそうしてください。


 圭ちゃんはとてもやさしいから、たぶんいまもわすれてはいないのだとおもいます。わたしがそうおもいたいだけなのかもしれません。どちらにせよ、わたしのことはかんぜんにわすれちゃっていいです。


 わたしはわたしで、ゆうれいとして、たのしくいきていくつもりです。


 ここまでよんで、もしかしたらこれを、なにかのイタズラだとおもってるかもしれません。


 もしそうおもったとしても、おくりぬしのおんなのこたちのことはゆるしてあげてください。そして、わたしのこと、夢原由可のことをわすれて、このてがみをすててください。


 さいごにひとこと、わたしのわがままで、このことばをおくらせてください。


 わたしは圭ちゃんが、いまでもだいすきです。


 夢原由可より



 手紙を読み終えて、やるせなくため息をつきました。


 このままでは、この手紙に込めた想いがすべて無駄になってしまう。そんな気がしてならなかったからです。


「どうします?」


「諦めるしかないでしょ。届け先の実家は引っ越してるし、仮に送れたとしてもイタズラだとしか思われないだろうしさ」


「でも、せっかく引き受けたのに……」


「どのみち、こんなもん送られたらいやでも思い出すだろうし、送らないのが正解だよ。残された人間にとっては、逆に呪いにしかならないよ」


 たしかに、菊乃ちゃんの言い分にもうなずけるところがありました。


 幽霊として生きている(生きてはいませんが)なんて変に希望を抱くくらいなら、そのまま時間の流れとともに忘れてしまったほうがずっといい。死んだ人の希望は生きている人にとっての呪いで、そんなものは残された側にあってはならない。


 そう考えて、ふと寂しさがこみ上げてきて。気がつけば、言葉が口をついて出ていました。


「いまのわたしも、菊乃ちゃんにとっての呪いですよね」


「呪いなんて、そんな……」


「わたし、菊乃ちゃんには幸せになってほしいんです。だから、本当に親友を思ってるなら、いっそこのままどこかへ消えてしまったほうがいいのかもしれません」


「…………」


「いっそ、明日くらいまでに消えるのがいいですかね。早いほうがいいですよね。霊能者の方も来るみたいですし――」


 菊乃ちゃんがいきなり、隣で足を止めました。


 どうしたのかとつい振り向いて、彼女を見て。


 彼女のいきなり寄せた顔が、ぶつかりそうなほど近づいて。


 わたしの唇と重なったのだと。感覚もないのに、すぐにそれが理解できました。


 顔が離れてから最初に出た声は、ひどく間抜けたものでした。


「へ……?」


「私は、ちゃんとれいが見えてるから」


 こういう時、きっと生きていたら顔が熱っぽくなったのでしょうけど、今その感覚はありません。


 しかし、もしかしたら顔には出てるかもと思って、すぐに手で顔を覆ってうつむかせました。


「私は、令と幸せになりたいんだよ。たとえ、令が実際に生きていなくても、私のなかでは生きてるから」


 なんてこっぱずかしいことを言ってるんでしょう、この人は。


 今の菊乃ちゃんは、いくらでもからかう隙があったはずで。それなのに……


「令になら、呪われてもいいから。だから、離れないでほしいし、勝手に消えないでほしいし、私が死ぬまで、死んでもずっと一緒にいてほしい」


「……なにそれ」


 ただ一言、ひどく小さな声で、そういうほかにありませんでした。


 わたしが彼女の呪いになっているって、そういう話をしていたはずだったのに。


 逆に、わたしが彼女に呪われてしまったようです。





 次の日の朝、菊乃ちゃんがかけていたテレビで見ていると、気になるニュースを見つけました。


 昨夜、20代男性が路上で突然自分の首を絞めはじめて死亡した、という報道。


 奇怪な事件ではありますが、これは県外のT都某区で起きた事件で、自分たちとはまったく関係がないはずなのに。


 嫌な予感がしました。そして、この名前を見て、わたしはそれを確信します。


「栗原圭さん(27)」


 まさか、彼女がなにかしらの理由で、あのアパートから開放されたのか。そして、彼に会いに行って、その上でなにか絞め殺すような理由を見出してしまったのか。


 しかし、答えは闇の中。彼女以外、その真実を知ることはないのでしょう。


 こうして、この結末にて、ひとつの心霊調査の幕が下りることとなりました。

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