【お題】「灰色」「たまには優しい歌を」
いつもいつも掃除ばかりさせられているような貧しい娘を「灰かぶり」と呼ぶらしい。暖炉の掃除をするうちにまとわりついた灰が髪や肌に染みついてまるで灰をかぶっているように見えることからそう呼ばれるようになったという話だが、一方で魔法使いに助けられ高貴な人に見染められて幸せな結婚をするという童話から「貧しくとも幸福な善人」を指すこともある。
ただ、残念ながら童話は童話に過ぎず、夢見たところで現実が変わるわけもなく。世の「灰かぶり」と呼ばれるような生活をしている娘の多くはいつか現れる魔法使いや王子様を夢見たまま灰に埋もれて死んでいく。おそらく私も彼女らと大差ない生涯を送るのだろう。
没落貴族が金に困った末に慣れない商売に手を出し、多額の借金を抱えて市民以下の生活に落ちる。別に珍しい話でもないだろう。困った貴族は娘を売りに出し、掃除などしたこともない真っ白な指をした娘はあかぎれを作りながら働くことになる。これもよくある話だ。しかしそうして底辺に落ちてきた娘は「貧しくとも幸福な善人」候補としては見てもらえない。それは生まれつき貧しく他に望む夢もない貧民のためにある物語だ。
だから私は「灰かぶり」にすらなれぬ没落貴族の娘として、市民や貧民の鬱屈とした感情の捌け口というステータスを負ったまま生きるより他ない。いくら灰をかぶって仕事をしても、助けてくれる魔法使いや見染めてくれる王子様が現れてくれるといいねとは思ってもらえない。もともと住む世界が違っていた人種だ、彼らに受け入れられたいとも認められたいとも思わないが、悪意を向けられ続けるのはうんざりだった。
商家の使いっ走りとして日々掃除に雑務に明け暮れていると、貴族の娘というものがいかに恵まれていたのかわかる。文字の読み書きができるというだけで得られる知識の量は天と地ほども差が出るのだ。生まれてからずっと灰をかぶりながら掃除ばかりしてきたという娘たちは、文字すらも知らなかった。本というのは上流階級にしか手が出せない代物だと思われていた。確かに本は高価だけれど、昔と比べれば印刷技術の向上で大量に普及しているし市民にも手が出せる程度のはずなのに。
ただ、そこで貧しい娘たちに読み書きを教えてやろうとならないあたりが私が「灰かぶり」になれない所以なのかもしれない。
本は私の救いだった。そこに記された知識が身を助け、物語が心を助けてくれた。けれど私はそれを孤独のうちに抱え込み、持たざる者へ広めることをしなかった。ただ一人でそれを楽しむことを良しとしていた。深夜になってようやく仕事が終わり寝台で眠りにつくまでのひと時、物語を思い浮かべながらうとうとする、それだけが今の生活の楽しみだった。
まどろみのなかで灰かぶりが微笑む。ぼろぼろの服を着た灰色の髪と瞳の純朴そうな娘がいかにも高貴な佇まいの男性に手を取られ嬉しそうに笑っている。小さなころはその物語のどこが良いのかわからなかった。今でもわからない。ただ、それが辛い日々に差し込んだ一筋の希望なのだということはわかった。それでも、自分がそうなりたいのかと問われるとまるでわからなかった。
その時、ふと灰かぶりがこちらを見ていることに気付いた。そんなことは初めてだ。もしかして空想と夢が混ざってしまったのだろうか。彼女はにこにこと笑いながらこちらを手招きしていた。
「貴女も幸せな結末が欲しいの?」
灰かぶりは小さな声でそう尋ねた。どうやらこれは夢らしい。私は少しばかり緊張で声を震わせながら答えた。
「さぁ……わからないわ」
「幸せとは皆が欲しがるものでしょう?」
「かもしれない。けれど、私はもう幸せな自分を想像できないのよ」
夢なので特に隠す必要もないとそう零し、そこで自分がそんなことを考えていたのだと気付いた。案外言葉にしないとわからないものだ。
「……そうね、幸せになれないのでしょうね、私は。周りがそう言うのもあるけれど……私は貴女の結末が幸せだとは思えないのよ」
そう言うと灰かぶりはくすくすと笑った。
「そうよ、これは私の幸せだもの。貴女と同じ形をしているとは限らないわ」
隣に立つ王子様の腕をぎゅっと抱きしめ、灰かぶりはドレスの裾を翻す。いつの間にか彼女のぼろぼろの服は豪奢なドレスに変わっており、周囲にはキラキラと光が舞っていた。
「綺麗なドレスを着ること、王子様と結婚すること、貧乏な家から抜け出すこと、運命の人と結ばれること、それが幸せだという人もいるでしょう。でも、貴女の幸せはきっと王子様の形をしていないのでしょうね」
灰かぶりがとん、と私の胸を指で軽くたたく。いつの間にかそこには一冊の本があった。
「……そうね、私はこっちの方がしっくりくるわ」
本を抱きしめると少しほっとした。それを見て灰かぶりは楽しそうに笑っていた。
「貴女、私の夢のわりに随分お説教臭いのね」
「童話は本来そういうものでしょう?」
微笑む灰かぶりの姿が糸のように解けていく。世界が白く染まり、自分の身体さえも見失うほどの光の中で、ああこれはやはり夢なのだなと考えていた。
目覚めると、傍らに一冊の本があった。
まさか夢ではなかったのか、それとも本当に魔法か奇跡のような何かが起きたのかと思ったけれど、よくよく見ればそれは幼児向けの歌の本だった。
「お前、文字は読めるんだろう? 他のやつらに読み書きを教えてやんな。優しい歌ならあいつらも覚えられるだろうからさ」
商家の主人はそう言って下働きをしている娘たちを指さした。歌の本はそのために置かれたらしい。馴染みのある童話を題材にした童謡は口に馴染むし、耳が覚えてしまえばそれを目と結びつけるのもそう難しくはないだろうということか。断る権利も無いので頷きながら、私は昨夜の夢を思い返していた。もしかしてこのことを予言していたのだろうか?
ただ、不思議と気分は悪くなかった。これだけ優しい歌ならば覚えるのも簡単だろう。歌の意味を知れば童話にも興味を持つだろう。そうしたら。……そうしたら、本の話を一緒にできるかもしれない。
口ずさんだ歌は陽気な調子で響く。案外こういう本の楽しみ方も悪くないかもしれないと思いながら、私は今日の仕事を始めるのだった。
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