【お題】『コンパス』『王妃』『天使』
紙面に丸く円を描く。大きく一つ、小さく一つ。重なり合った円が猫の目のような形を作る。その中にもう一つ円を描こうとして、僕は手を止めた。
コンパスというのは面白いもので、いくつもいくつも簡単に円が描けてしまう。それで調子にのってついつい描きすぎてしまうのだが、それでつい先日やりすぎだと先生に言われたばかりだ。コンパスは面白い。紙面に針を立てどっしり構える中心と、反対に自由に華麗に舞う脚の組み合わせで無限に円が描ける。大きさも自由自在、ペン先を変えれば太さも質感も変幻自在だ。けれど、そればっかりで紙面を埋め尽くしてしまうのは少々面白みがないらしい。もちろん先生の言わんとするところはわかる。つまり、物事には余白が大事なのだ。
最初に描いた円の内側にコンパスの針を突き立て、くるりと一回転。今度の円は重ならず、二重の輪ができた。そう、どんなに素敵な円も周りに空白がなければそれと認識できないのだ。この間は詰め込みすぎた。今度は美しい曲線が潰れてしまわないように気を付けながら円を描いていく。
一つの円をえぐり取るように別の円を重ね、線の強弱をつけるように半径を変えてまた重ね、複数の円が紙面を黒と白に塗り分けていく。思い描くのはトランプのクイーン。つんとすました王妃様。円の外周が他の円を切り取り、また切り分けられ、重なり、美しい模様を作り上げていく。ふっくらしたドレスとほっそりした手つき、切れ長の目をイメージしながら無数の円で一つの塊を作り上げていく。それは塊を削って彫刻を作るのとどこか似ていた。コンパスが躍るたびに余白が切り取られ、円が別の何かになっていく。やがて、紙の上には無数の針の跡と円の塊で描かれた王妃様が現れた。
その隣にもう一つ円を重ねて塊を作っていく。曲線が輪郭にも影にもなり、やがて陰影が可愛らしい姿を描き出す。これは天使だ。小さな羽とラッパを持った天使。思い浮かべるのは受胎告知を描いた宗教画。そうだ、それなら右下の円は花にしよう。円と花は相性がいい。円の組み合わせは花びらを描くのにぴったりだ。そうだ、天使の羽もこの要領で形をとって描けないだろうか。
しばらくそんな調子で没頭して、気づけばスケッチブックはすっかり白と黒とで塗り分けられていた。本当は色も付けたほうがいいのだろうけれど、円の重なりが生み出す陰影だけで描かれた世界はこれはこれで味がある。余白を意識したおかげで前回よりもモチーフがはっきり見えるようになった気もする。僕はすっかり満足してコンパスの脚を閉じると、急ぎ足で先生のもとへそれを持って行った。
そうして先生に作品を見せたのだけど、先生ったら開口一番なんて言ったと思う。「こりゃ、ただの円じゃないか」だって。そりゃないよ、と思ったら先生、付け加えて「……エンジェルだけに、円じゃろ?」って。ダジャレかよ。
がっかりして、先生には円の素晴らしさが伝わらないのかそれとも僕の技量がまだまだ足りないのか考えながらその場は帰ったんだけどさ。
よく考えたら先生、あれが天使だってわかってたよね?
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