華弥国皇帝のご趣味

多和島かの

第1話

 花と水が美しい大陸の国、華弥国。この国の皇帝は年若くありながら才溢れた賢帝と名高く、その名声は他国にまで轟くほどでありました。

 しかし一つ、困った悪癖に家臣達は頭を悩ませていたのです。

 それは、皇帝は結婚適齢期であるのに嫁を取る気配がないこと。というよりも女性を側に置く気配すら無いことでした。女性の寝所を訪ねる代わりに一人の少年と寝床を共にし、その少年を側近に置いて身の回りの世話をさせているのです。

 そう、彼は所謂『少年趣味』を持った皇帝なのだと、臣下は揃って深く深く頭を悩ませているのでした。




「陛下。私とうとう初潮が来てしまいました」


「な、なに!?」 

 

 夜もいっそう更けた皇帝の寝所で、翠(すい)はごろりと布団に寝転がる皇帝にそう囁けば、皇帝は喫驚のあまり寝所から起きあがって翠を見た。一目見たくらいでは初潮が来たなんて全く思えないほど痩せた身体をしている翠は、宮殿に入宮して栄養満点な食事を摂るようになった今でもなかなか身体に栄養が反映されない。顔もつり目で唇が薄く、頬の肉も薄い容貌をしている。そのおかげで男物の着物を着てしまえば誰もが少年と勘違いする見た目をしていた。しかしそれは見た目だけである。実質、彼女は紛れもなく『少女』であるのだ。

 そんな翠に、とうとう初潮が来てしまったという。確かに年齢的にはいつ来てもおかしくはない。けれど今は困る。まだ少年のフリをしていてもらわなければ困るのだ。


「と…とりあえずめでたい事…だな。おめでとう。翠」


「ありがとうございます陛下。でもお困りでしょう」


 私が女性の身体に近づくのは。と言えば皇帝はすっかり困ってしまった。確かに彼、もとい彼女がまだ少女の身で王宮に忍び込んで盗みを働こうとした時、贖罪の代わりに少年を演じて皇帝に縁談が来ないよう仕向ける事に一枚噛めば、盗みの罪も不問、少女が育った孤児院へ皇帝からではなく個人的に援助をするとも言った。勿論少女はその提案に乗った。乗らねば死罪だったからである。

それから数年、翠蓮は翠と名乗り、皇帝の側仕えの少年を演じた。臣下達は皇帝が実は少年趣味だったという性癖を翠を常に側に置いていることによって察し、縁談を大量に持ち込むのをやめた。効果は絶大だったわけである。


「そうだな…まだ臣下達には勘違いしてもらわねば困るといえば困る…国内の政情が安定しないと、俺は妻を迎えるわけにはいかないからな」


とは言ってもこんな力技がいつまでも通じるとは思っていなかったのも事実だった。政治における派閥争いが未だ冷めない今、どこぞの令嬢を妻に迎えてそのバランスを崩せば、先代で荒れたこの国をここまで復旧させた意味がなくなってしまう。


「…まぁ、でも初潮が来たからと言ってすぐ女性らしくなるとは思えませんし、この鶏ガラが突如豊満になるとも思えません。まだ暫くはお役に立てると思います」


そう言いながらいつものように翠は皇帝の寝所に入り込んできた。万が一臣下が夜に皇帝の寝所を訪ねた時の為にこうして一緒に眠る事を義務づけさせている。


「こんな役を背負わせておいてなんだがそんな風に言うな。いずれはちゃんとした所に嫁げるよう……俺が口利きしてやる」


「それは僥倖です。ありがとうございます陛下」


「とにかく女官長に色々教えてもらえ」


「はい」


翠の事情を知っているのは皇帝以外には女官長と宰相だけである。なんとか彼らの力を借りて翠が女性であることを臣下に隠せるようしていかねば、と皇帝は翠の髪を撫でながら思案した。ついつい寝所で考え事をしている時に翠の髪に目がいくと、手が伸びてしまう。髪は短いと逆に幼い少女に見えるからと伸ばして綺麗にまとめるよう言ってきた。確かに身体にいまいち栄養は付いていないが、髪は麻糸のような粗雑さを抜けて、絹糸のように艶やかになった。皇帝が触れるにふさわしい髪になったと、そこだけは翠自身ではなく皇帝の自慢になりつつある。


「あの…陛下。ですからご相談があります」


「なんだ?」


翠の髪を指先で弄びつつ、皇帝はややウトウトとしながら翠の言葉に耳を傾けた。翠は仰向けから、ころりと皇帝の方へ寝返りを打つ。彼女の黒く意志の強そうな瞳に、眠気から表情の緩んだ自身の顔が映り、皇帝は一度首を振って目を覚ますよう努めた。しかし翠はそれを察したようで、そっと目を伏せる。


「お疲れの所失礼致しました。お話はまた今度で構いませんから、もうお休みになりますか?」


「いや…大丈夫だ。気になるから言ってくれ」


はい。と素直に翠は頷くと、単刀直入に願い出た。


「月の物が来ている間は陛下と寝所をお分けすることは出来ませんでしょうか?」


「……は?! 」


思わず皇帝はガバリと身体を起こした。その勢いに、翠は驚いたように目を丸くする。


「何故そうなるのだ。月の物と寝所の場所に関係はないだろう」


「そうはおっしゃいますが、恐らく処理に慣れない頃は寝所を汚してしまいますし、腹痛でなかなか眠れなくなる女性もいるとお聞きした事があります。もし私がそうなるのでしたら陛下の睡眠を邪魔してしまいます。一応寝る直前までこちらに置いて頂いて、深夜こっそり別の部屋で寝るようにすれば臣下の方々もきっと疑いません」


皇帝は気に入らなかった。翠め、いやに冷静に言うではないか。

自分は既に翠の髪を寝る前に弄りつつ、彼女と他愛のない話をしながら眠りつくのが日課で、無意識に彼女の温もりを抱え込んで抱き枕にして、ついでに香りを嗅ぐのが当たり前になっているのに。お前は俺と寝なくなっても構わないというのかと責め立てたくなった。が、ここで文句を言っても自身の威厳に関わるだろうかと、皇帝は翠に背を向けるように寝返りを打つ。寝台の外側を向いたせいで、折角二人分の体温で温まった部分の敷布ではなく冷えて冷たい部分に足先が触れた。


「お前がそうしたいならばそうすればいいだろう。俺は構わないがな」


「ありがとうございます。では、そのように」


その言葉に、皇帝は火花のような怒りを抱えた。普段少年のように過ごせと教育してしまったのと、それから彼女の元来の性格も相まって随分愛嬌の無い反応をするようになったものだと、理不尽な怒りを覚える。

しかしそんな怒りは皇帝ならば堪えてこそだと、ぐっと耐えた。


「……で、月の物が来たら何日くらいそのような対応をするんだ?」


「え?」


すっかり機嫌を損ねた声になっている事を忘れながら、皇帝は背中越しに翠に尋ねた。彼女の困惑したような声に、更に苛立ちが募る。


「月の物が来たら何日寝所を別にするか聞いている」


「えっと、えっと…多分五日か六日ほど頂ければ…」


「そんなにか」


「はい」


翠が返事をすると、皇帝は大げさな振る舞いで寝返りを打って翠の方を向いた。掛け布団が大きく波打ち、翠の小さな身体は溺れかける。


「へ、へいか」


「俺は寝る」


「はい。おやすみなさいませ」


「…まだ、お前が女であることは知られてはならない。十分気をつけろ」


「はい。勿論です」


そう言ってごそごそと皇帝の胸元に忍び込んでくる翠の頭を一度撫でて、彼は深く眠りについた。そう、今少年趣味では無いことが臣下達にバレてしまっては困るだけだ。翠と眠るのが自然になっているせいで、それがなくなる事を考えていなかっただけだ。この温もりと香りに飼い慣らされたわけではない。といったような言い訳は、睡魔にすっかり食べ尽くされた皇帝だったのである。


 翌日、早速翠は女官長を呼んで、寝所の件をを相談した。初老の女官長はぽつりと小さくこう言ったという。

「もう翠ちゃんが男の子を演じるのではなく、お嫁さんに来ちゃった方が早いんじゃないかねぇ」


翠には、苦笑しか出来なかった。

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