第37話 鏡の国のブルームーン②

「美月が、ブルームーンか?」

 この一言を言い切るのに、すべての神経を集中させて、肺のなかの空気が空っぽになって胸が痛くて、体中の水分がカラカラになるぐらい体を熱くさせた。

 絶対、変なやつだと思われてるだろうな。

 俺はいま、美月と目を合わせることができなかった。

 部屋のすみの壁の模様を必死に見つめているけど、ちらちらと美月を見てしまう。顔から火が噴きそうで、はずかしさで死んでしまいそうだ。

 俺が言い切ったとき、美月は表情を変えなかった。その代わり、ほんのすこしだけ、赤い唇を舌で舐めた。

 美月はパーカーのフードを被る。

 ぐっと足を引き寄せて、ソファの上に体育座りをして、膝の上におでこを付けた。

 そうしたのもつかの間だった。なんだこの間とか思っていたら、美月がふるえだした。

「……ん、だから」

 ぼそりと美月が言葉をもらした。すごく低い声で、美月が言った。

「時雨は、いつも遅いんだから」

 肩を震わせて、美月が泣いていた。

「わ、悪い。俺、そんなつもりじゃ」

「ううん、いいの、わたしも悪いから。でも・・・・…バカしぐれのアホしぐれぇ。初対面で気づいてたけど、言えなくてっ……。でも、やっぱり、見つけて欲しくて。でも、ずるずる言い出すタイミング逃して……時雨はすぐ奏さんのところへ行っちゃうし。ちょっと、わたしを避けるし。それが、とっても寂しくて。……わたしなのに」

 大きな目から、空色の粒が落ちる。

「喫茶店ですれ違った日から、毎日同じ色の、ラデュレのリップグロスつけてるのに、気づいてくれないし。メッセージくれるけど、いつまでも逢おうとか、話したいとかも言ってこないし。とりあえず、振り向いてもらおうと頑張ってアピっても、しぐれは振り向いてくれないし。奏さんじゃないって言ってるのに、奏さんを追い続けるし。どうせ黒髪ロングの清楚な、モデル体型で背の高いの女の子が好きなんでしょ、バカしぐれ」

「待てよ、美月。マジで……?」

 美月は携帯を2台、取り出した。

 いつも使っていないスマホを操作している。俺の携帯が震えた。通話がかかってくる。ブルームーンから、俺の携帯に電話だ。

 俺はおそるおそる、電話に出た。

 耳に当てた瞬間、美月が叫ぶ。

「バカーーーーッ」

 耳がきーんっとなった。両耳が同時にだ。電話越しと、となりで叫ばれる声に耳が痛かった。

「ふんっ、だ」

 はじめて美月が怒っている。いや、ブルームーンだったら俺以上にキレやすい一面があってもおかしくないんだけれど……。

「ちょっと、待て美月。あの日、喫茶店にいたか?」

 俺がブルームーンを追いかけて、駅へいったとき。雪姫がいた喫茶店に、美月の姿はなかった。

「いたわよ。しぐれが黒髪好きだから、わざわざ黒髪のウィッグをかぶって、ほまれに男装してもらって高校生のカップルみたいにして、いたわよ」

「そんなの、わかるわけないだろ」

「そのぐらい、気づいてよっ。しかも、そのウィッグ、しぐれが女装した時に被ってるわよ」

 ソファの上で、俺たち二人は顔を合わせて歯をむき出しにして、感情のままに叫んでいた。

「しぐれこそっ、なんで奏さんをずっと追ってるのよ」

「今朝までブルームーンを雪姫だと思ってた。喫茶店で赤い口紅塗ってたし、漫画のネタ通じるし、サバサバしてるし、強引なところも似てるかなって。けど、違ったな」

「わたしなのに。 ブルームーンはわたしなの。 気になってる人を映す鏡に使わないでくれる?」

 腕を組んでにらみつけてくる美月。はじめて見る表情だけれど、はじめて見た気がしなかった。

「もっとわかりやすくしといてくれよ、ヒントがわかりにくすぎる」

「自分でも、そうだと思っちゃったわ。わたしにとっても予想外なのよ。まさか同じ屋根の下に住むと思ってなくて……。すこし離れたところにいるのに同じゲームいっしょにプレイしてて、本当ドキドキしてたんだから。わるいことしてるわけじゃないけど、わるいことしてる気になるし。しぐれがわたしの部屋に来たら置いてあるゲームとかでバレると思ってたから、ぜったいにしぐれの前で部屋の扉を開けちゃだめだとか、いろいろ気にしてたのに」

「美月、俺はそんなに鋭くない。たぶん、ゲーム見つけても、あっ、俺もやってる、いっしょにやろーぜ。って素で言ってると思う。つーか、距離が近すぎたら全然わかんない。美月とブルームーンが結びつかない」

「それはそうよ。だって、わたし天性の猫かぶりだもん。環境になれるまではあんな感じで、だれに対しても良い子ちゃんしてるわよ。なのに、花恋ちゃんにはしぐれとの関係、すぐバレたけど」

 うちに来たその日に、美月と花恋がふたりで話してたのを思い出す。あれ、そんな話してたのか。猫かぶり仲間め。

「花恋も共犯だ、ちくしょう」

「気づかないしぐれがわーるーいー。どっかで会ってるかな? とかの質問でたら、うんって言うつもりだったのに。初対面のときからテンションあがっちゃって、腕組んだりしてら喜んでくれたから、いっぱいアピってたのに。そこに、なんで? って思わなかったの? 自分がはじめて会う女の子から好かれてるの、疑問に思わなかったの? もし、そうだとしたら結婚詐欺師に捕まっちゃうから、気を付けたほうがいいわよ」

 バシバシと肩を叩かれる。わりとほんきで痛い。涙が出そうになるのは心が痛いからかもしれない。

「生まれてきてから、はじめてモテ期を感じてたのに。……あんまりだ」

「あはは、うけるー。しぐれにそんなの、あるわけないじゃん」

「ははっ、泣きそう」

「まぁまぁ、元気だしなさいって。ちょっとの間だけでも、わたしが勘違いさせてあげたでしょう。ありがたく思いなさいよ」

「思い出のなかで、じっとしていてくれ」

「思い出にはならないさ。いい子いい子、いつまでもわたしに憧れていなさい?」

 ほんとうに楽しそうに、美月は笑う。俺もつられて笑ってしまうぐらい、心地良い笑い方だった。

「あーもう、頭追いつかねえ。つーわけで、ゲームしようぜ」

「やるー。 ねえ、しぐれ。わたしの部屋からダンボールもってきてー。入って右側に積んであるアマゾンのやつ。あと、下着ほしかったらクローゼットにはいってるから、覚えておいてね?」

「入って右側のクローゼットもってくるぞ」

「わぁ、大胆。ぜんぶほしいの? 下着って結構高いのに、よくばりさんね。いいけれど」

 俺はそういわれると、部屋を出て階段をのぼる。美月の部屋の扉をあけながら、叫ぶように言った。

「たのしいなあ、ちくしょう」

 ダンボールをもってリビングへ降りてくる。美月は壁際からLANケーブルをひっぱってきていた。

「あけてー。なかにゲーム機とゲームソフトあるから」

「マジか。なに用?」

「リビングでいっしょに遊ぶ用に買ったのよ。2階から持ってくるのとか、面倒くさいでしょ? 基本的にお互いのプライベートは尊重したいし、でも、しぐれとゲームしたいもの。共有スペースに集まれたらいいなって思って」

「マジか。ありがとう。べつに俺の部屋とかでよかったのに」

「……ドキドキしてそれどころじゃなくなっちゃうでしょっ」

「ん? なんて? ごめんダンボールあけて、ガサガサ言ってるせいで聞こえなかった」

「なんでもないんだからっ。さっさと繋いでっ。セットするのに時間かかるでしょ」

「そうだな。うわ、プロでしかも容量でかいやつじゃん。あっ、ヘッドセットもついてる。うわ、すげえ2P用のコントローラーもある。ソフトなにこれ、うわっは、BFにCODにシージまで。最高じゃん。あっ、DBDもエスコンも格ゲーもある。センスいいなあ」

 俺はテキパキと準備する。本体と電源をつないで、HDMIの端子でテレビとゲームをつなぐ。コントローラーも最初は充電する必要があるため、線を差しながらのプレイになる。

「これ、ゲーム用のモニターじゃないから、遅延あるかもな」

「エンジョイ用だから、それでもいいんじゃないかしら?」

「それもそうだな」

 LANケーブルをゲーム本体に挿した。美月が本体システムソフトウェアのアップデートをしてくれている間、散らかしたゴミを片付ける。

 あれ、これいつから準備してたんだろう。ゲームをすることになって、ちょっと自分が落ち着いたら、ブルームーンと美月に質問がいっぱいでてきたぞ。

 美月はコントローラーを持って、システムアップデートのインストールをしていた。

「なあ、美月。ひとつだけ聞いていいか?」

「いくつでも聞いていいわよ。なんでも聞いて」

「なんで転校してきたんだ?」

 美月が固まった。けれど、すぐに親指がスティックを動かし、人差し指が〇ボタンを押す。コントローラーの持ち方が独特だ。モンハン持ちと言われる持ち方に慣れているようだった。

「理由はいろいろあるわよ。家庭環境が変わって、親のエゴで通わされていた学校をやめたかったの。そしたらね、思ったの。しぐれの学校行きたいなって。しぐれと一緒に登校したいし、なんか学校サボりがちのしぐれを学校に引っ張り出したいなって思って。個人的にしぐれが学校で浮いてるのが気に入らなかったし。でも、なんでって言われると、そうねー……」

 美月は三日月のように意地悪に笑った。

「しぐれ探しよ。わたしが素をだせる相手、付き合いの長いあなたしかいないんですもの。だから、わたしがわたしらしくいるために、しぐれと居たかった。学校での集団行動とかって、苦手なのよ。うすい関係の相手に合わせて立ち振る舞ってしまうもの。けど、それが身についてるから、思い切って環境を変えたかった。うん、だから、しぐれ探し」

 美月はそんなことを恥ずかし気もなく言う。

「けど、まさか家出して逃げた先で捕まったおじ様が、しぐれのお父さんだとは思わなかったわ。しぐれのお父さん、ひどいのよ。全部知ってるくせに、知らないふりをしていいひとの顔をしてわたしに近づいてくるの。留学生の日本人? なにか困ってるだろう? って。実は話し方とか雰囲気がしぐれに似てるなーって思って、そのひとの話を聞いちゃったんだけれど。結局パパが迎えに来て、喧嘩になって。ほまれとしぐれのおじ様だけがわたしの話をちゃんと聞いてくれたから、いま、こうしてしぐれの家にいるんだけどね。本当、奇妙な縁だと思うわ。あなたとわたし」

「偶然かな」

 俺がそういうと、美月は首を横に振る。

「ふふっ、すごい低い確率の偶然がいくつも積み重なって、わたしとあなたがここにいるとしたら、それはきっと運命チックじゃない?」

「よっぽど俺との関係を、運命と結び付けたいらしいな」

「やだ。そうだったら素敵ねって言っただけじゃない。そんな照れなくてもいいわよ?」

「うるせぇ。いいからゲームするぞ」

 いままで疑問に思っていたことの結論が出た。

 美月は天使か悪魔なのか論争。

 答え、悪魔だ。

 ゆるぎない意志を持って、俺はそう思った。

 だって、こいつはこんなにも俺を惑わせるのだから。

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