第38話 テスト終わりと恋愛裁判

 高校2年になってから、はじめてのテストが終わった。

 受験を見据えたレベルの問題が出る、実力テストとよばれる校内のテストは、中間テストや期末テストよりも、むずかしい問題が出題されていた。

 2日間に渡って実施されたテスト。1日目が終わったときから、むずかしくて全然わからなかったという声が多くて、俺のクラスは死屍累々としていた。どの教科もふつうに時間が足りない。

 英語なんか、いやがらせのような長文問題だった。長文を訳せて読めても、問題の選択肢がわからなかった。訳せただけでは解けないような内容読解の選択肢が準備されていたせいだ。おかげで、1度全文読んでから問題を解くやりかたは時間を失った気になる。こんなことを思っていると、乗馬用の鞭を持った担任の声が聞こえてきそうだ。

「訳しただけで解けるなら、お前の現代文のテストは満点なんだろうなあー?」

とか、九鬼先生なら言って来る。いや、実際いっていた。口には出してないけれど、俺にテストを返すときの含み笑いは絶対そうだ。目が笑っていたし、ざまあみろとまで聞こえてきそうなほどしたり顔をしていた。

 テストがはじまる一週間ぐらい前から、ゲームもやめて勉強し始めたというのに。そんなつまらない点数の落とし方をしたらゲームに失礼だろ。

「ほーう? いい顔をしているじゃないか。それでこそ問題をつくった甲斐があるというものだ。ははは」

 英語の授業、テスト解説が終わった昼休み。まだ教室に残っていた九鬼先生が俺に声をかける。俺の前の席に座って、テストを広げている俺の机に肘をついて、本当に楽しそうに話しかけてくる。

 自分の生徒が問題を解けなくて喜ぶなんて、なんて人間のできていない教師だろうか。俺はちょっと泣きそうになりながら、九鬼先生を睨み返した。

 くやしい。

「ちなみに、廊下には成績優秀者の張り出しがされてるはずだ。見てこい、天宮。残念だったな?」

「もう結果を言ってるじゃないですか。あー、もう。前は常連だったのに。過去の栄光になっちまった。平均点が550ぐらいで、最高点870~880ぐらいになると思ってたから、まだ10位までには入ると思ってたんだけどなあ」

「ほう、なかなか良い当たりを狙っているではないか。平均点はあっている。だが、1位の点数が間違っているぞ」

「マジ? それ、下振れしてたら、ワンチャンあるぞ」

「まったく、おまえは。なにかの期待値みたいにいうな」

「ちなみに最近の収支は?」

「4日打って20万負けた」

「それ聞くだけで昼飯うまくなるわ」

「ええい、さっさと行ってこんか」

 ガーッっと怒って席を立つ鬼百合。鞭を叩いて走らされる馬のように、俺は廊下に飛び出した。

 なにやら、ざわざわしている廊下の張り出しに近づく。

 各教科の点数と順位、それに全科目の総合点数が校内順位として掲示される。競争歓迎といわんばかりに、テストの結果は多少おおげさに掲示されるのがこの学校の特徴だった。おかげで特進の勘違い野郎みたいな、成績の優秀さがすべてというような人間ができるのかもしれないが。

 校内の順位の張り紙は、障子紙のような大きな紙に、これまた太い文字が印字されて廊下に張り出されている。10位のほうから順番に見ていく。10位が839点という点数だったので、俺は安堵した。

「しーぐれー、こっち、こっちー」

 もう、こんな呼ばれ方も慣れた。

 人ごみの喧騒に負けないぐらい大きな声で、美月が俺をよぶ。綺麗で通る声をしているから、そんな声を張ってよばなくても聞こえるのに。

「どうしたよ」

 つま先立ちを繰り返しぴょんぴょんと跳ね、うれしそうに手招きしている美月にちかづく。

「四つん這いになってー」

「たまにどう反応返せばいいかわからなくなるときあるよな。いまとか」

「しーぐれっ」

 天使のような笑みを浮かべながら、目は笑っていない。ほら、さっさと這いつくばりなさいよと目で脅してくる。この二面性、たまらねえぜ。

 俺はこの天真爛漫な悪魔の前に膝をついた。

「いや、なにさ、この状況」

 なぜ俺は、校内順位表の前で懺悔するような恰好をさせられているのか。

「乗るから、ちょっとそのままねー」

 俺の顔のよこに、美月の靴が並べられる。俺の背中を踏み台にして美月が乗ってくる。背中に、美月の体重が乗った。人間一人の重さ、女子とはいえなかなか重いぞ。重いとかいうと思い切り叩かれるから、いわないけれど。いまいうと地ならし発動されそう。

「よしっ、できたっ」

 ぴょんと飛び降りてくる美月。靴を履きながら、俺に手を伸ばして立たせてくる。やわらかくて、あたたかい手に引っ張られて、立ち上がった。

「で、どうしたよ」

「じゃーん、相合傘ー」

「マジで、なにやってんの?」

 このいたずらっ子シャレにならねえ。学内順位表の1位と2位の上に赤い口紅でハートマークと傘を書きやがった。

 しかもよく見たら1位が美月。堂々と皇樹美月の名前と900点とかいう完璧な点数が書かれている。やっぱりこいつ、天上人だわ。各種レベルが違いすぎる。

「なによ、その顔。テストなんてある程度、勉強時間と比例して点数とれるから良ゲーじゃないの」

「でも美月、テスト期間とかノー勉じゃん」

「わざわざテスト直前に詰め込むような勉強方法してもムダじゃない。わたしテストの点数がほしいわけじゃなくて、知識がほしいんだもん」

「その人生何週目だよ」

「この人生1週目だから、次RTAする準備してるのよ。とか言ってるけどね、しぐれも良い点数取れてるじゃない。わたしの次にね?」

 このテストの結果、まさかの、2位、俺。

 九鬼先生の問題集、まじめに解いておいて良かった。テストの応用問題の部分が問題集の傾向と一致していたため、だいぶ点数を取らせてもらえたと思う。

 この学内順位表、写メって親父に送っておこう。3学期サボり続けたことが、お金出してもらってる親父に申し訳なかったから。それにしては、相合傘邪魔だなーと思っていたときだった。

 ふわりと、うしろから腕が回ってくる。長い腕は俺と肩を組むようにして、するりと首の後ろを回る。ホストかセブンだろうなとおもった。相合傘をどう弁明しようかと考えていた時だった。またデスボックスとかいう罰ゲームを食らったらたまらない。

「よっ、雑音」

 女にしては低い声だった。だけど、凛とした良い声だ。

「よう、元気?」

 左を見上げて言う。俺より高い身長をした女の綺麗な右顔。長いまつげに、意志の強い瞳。細い顎や高い鼻がつくる綺麗な横顔のライン。線が細い体に、雪のように儚い白い肌。こんなやつ、ふたりも居てたまるものか。

「んー、んー。ぼちぼちかな。ピアノ弾けるぐらいには元気だよ。ありがとね」

 俺に寄りかかるように立つ雪姫は、まわしている腕で俺の頭をぽんと撫でてきた。もう片方の腕で俺の手を掴み、雪姫の腰に添えるように誘導される。細い腰に手を添えてしまった。こういうの本当にドキドキしてしまうので、やめてほしいけど、もっとしてほしい。

「サービス、サービス。あー、やっぱり雑音は落ち着くなあ。でも、おまえ、ドキドキしすぎだろ。皇樹がちょっかいをかけたがる意味がわかった気がするよ。なあ?」

「ちょっと、雪姫。学校に来るなら来るって連絡入れなさいよね。毎日連絡してたのに、肝心なことは言わないんだから」

「わるい、わるい。お見舞いも含めて、皇樹ありがと。漫画読めるタブレット貸してくれたの、ほんとう助かった。あれないと退屈死してたよー。雑音は一度も来てくれなかったのに」

「だって雪姫の耳聞こえなかったら、さみしいじゃん」

「まあ、まあ。あたしもどんな顔してればいいかわかんなかったし、べつによかったけど」

いつの間にか、美月と雪姫が仲良くなってる。

「美月ってよんでって言ってあるのに」

「わるい、わるい。慣れなくて、ね。美月」

「やん、もっかい言って」

「やだよ、めんどくさい」

「なんでよーっ」

 そんなやりとりを蚊帳の外から見る。そうしていると、外野の声が聞こえてきた。

「あの音楽科の人、綺麗。立ち姿が恰好良い」

「皇樹さんと、奏さん、ふたりとも綺麗すぎる」

「あの2人、仲良いの意外。だけど、似合うな」

「尊い」

「やばい、あそこめっちゃ良い。素敵空間広がってる。生きてて良かった」

 雪姫は腰に手を当てながらラフに立っていて、美月がそれに寄り添うように話している。ふたりの靴の爪先はくっついていた。

「こう見ると皇樹さん可愛い。乙女って感じ」

「あの音楽科の人、いつもムスっとしてるけど、笑うとあんなに綺麗なんだ。こっち見てくれないかな、うわ、目があっちゃった」

 だれも成績や順位なんて気にしてないし、まして相合傘の落書きなんて話題にもなっていない。あいつらの存在感すげーなと思う。ちょっとした芸能人みたいだ。

「おい、雑音。このうるさいのと、ふたりにしないでくれよ」

「うるさいのってなによ。そんなに、うるさくないもん」

「おい、雪姫。引っ張るな、引っ張るな」

 雪姫は俺の腕をつかんで、ぐいっと引っ張る。

 それに何かを思い出したように、雪姫ははっとした表情をした。

「なあ、なあ。雑音、ちょっと手を貸してくれ」

 文字通り、俺の手が雪姫にとられる。俺の手が雪姫に握られて、胸に置かれた。雪姫の胸に、俺の手が沈む。柔らかさが押し付けられる。

 えっ?

 指の先は、なんだか骨の固さを感じているのに、手のひらのほうは、やわらかい。意外に大きいとか思うのは失礼だけど事実だ。

「なにしてるのよっ」

 美月が素の声で、叫んだ。

「んー、んー? あー、やっぱり。うん、うん。そっかー、そうなんだー。さっきもだったんだけど、雑音に触られてると胸が鳴るんだよ。感覚的なことなんだけど、熱くなるというか。これ、美月もだろ? うん、うん。つまり、そういうこと。不協和音にいやがるような声出さなくても、わかってるって」

 全神経を手のひらに集中させていた俺は、周りの喧騒も雪姫の声もシャットアウトして、ただこの柔らかさの触感を今晩思い出せるように、とどめておけるように記憶しようとしていた。

「はい、はい」

 ぱっと両手を開いて、雪姫は降参したようなポーズをとる。横で美月が歯を見せながら、なにか雪姫にいっていた。雪姫は持ち上げた両手でそのまま耳を塞ぐ。わざとらしく体を左右に振って聞こえないふりをしていた。

 体を左右にふられたことで、俺の手がクッションを失った。集中をやめて、五感が体にもどった。ごちそうさまです。

「よし、よし。雑音、食堂いこう。あたし、ご飯食べて、薬のまなきゃいけないんだ」

「ちょっと、雪姫,。聞いてるの?」

「あー、あー。ちょっと耳の調子が……」

「うそでしょ、それ。もーっ」

「あー、あー。お腹へった。いくぞ、雑音。美月も来るだろ?」

「いくけどーっ」

 そうして食堂に向かおうとしたときだった。

 俺の肩が重くなる。しかも、両肩同時にだ。

 筋骨隆々な男の手が見えた。無視して歩き出そうとしたら、両足までだれかに捕まれた。

 雪姫と美月が振り返り、俺を見て大笑いしている。

 ああ、そうか。俺はまた亡者共に捕まってしまったのか。

 恐る恐る振り返る。

 バチバチとメンチを切ってくるホストがいた。セブンも俺の肩を掴んでいる。山田が地面に倒れ込んで俺の両足を掴んで離さない。充血した目で俺を見てくるのやめろ、おまえ。

「よお、兄弟」

「なあ、ブラザー。俺の話を聞いてくれ、ぜんぶ誤解なんだ」

「オッケー。なら誤解を確認しよう。おっぱい触ってたろ?」

「ああ、なんというか、その。信じてくれ、ホスト、セブン。俺ら友達だろ?」

「言葉に気をつけろ、シグレ。お前とは友達だった」

「つれないな。小学校からの付き合いじゃないか、それもなかったことになるのかよ?」

「ああ、時雨ちゃん。おまえの出方次第ではな?」

 ホストが冷静に、俺へと敵対的な視線を向ける。

「オオオオオン、オオオオオオン」

 俺の両足を掴んだ山田が吼える。人の声をしていない叫びは、獣か亡者そのものだった。

「落ち着けよ山田。私刑になったら、まずお前からやらせてやるからよ」

「クッソ、恋の亡者共め。なんで、俺ばっかりっ」

「なんでおまえばっかりってのは、オレらのセリフだ時雨ちゃんっ」

「そうだぜ、シグレ。なんでおまえばっかり、そんな可愛い女の子とお近づきになれるんだ、チクショウ」

「恋愛略式裁判の時間だ。天宮時雨は有罪か?」

 ホストが聞くと、集まっていた俺のクラスメイトが全員、拍手で応える。

「ギルティ」

「ギルティ」

「ギルティ」

 俺の周りでコールが鳴る。有罪が決定した。

「死刑一択」

「天宮・ギルティ・時雨」

 なんだか物騒な声も聞こえだす。

「と、いうことだ。シグレ、ほらよ」

 セブンの後ろから出てきたのは、デスボックス。

 クラスメイトの呪いのような罰ゲームが書かれた紙が入っているボックス。抜け駆けを許さないとかいう恋愛禁止条例のある2-Eクラスの制裁装置。恐ろしいのは彼女彼氏とかいう段階で発動するわけでなく、女子と仲良くした程度でこの制裁が行われることだ。抜け駆けのレベルが低すぎるんだよ。

「いやだーーーーーーーーーーっ」

 俺は脱兎のごとく逃げ出した。

「逃げたぞ、追え」

「山田ァ、プレスッ」

「オオオオオオオン」

 山田が四足歩行で追って来て、俺の前でスライディングしてくる。

「いまだ、はさみこめっ」

 俺は美月と雪姫を壁にするように回り込み、どうにか一旦逃げ出した。

「がんばれ、しぐれー」

「逃げろ、逃げろ。はははーっ」

 声援に応える余裕も無く、俺は全力で逃げ出した。

 お昼ご飯、美月と雪姫といっしょに食べたかったな。

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