第36話 鏡の国のブルームーン

 リビングのソファーで横になりながら、今日を思い返した。

 雪姫を病院に送って行ったあと、渋滞に巻き込まれながらも俺たちは学校に戻った。俺と美月は荷物だけ教室に取りに教室へ行って、美月は紫電さんの車で家へ帰った。

 教室では、ホストとセブンがいた。俺を待っていた。心配してくれていたらしい。

「もう少し遅かったら、荷物届けにいったのに」

 それだけ言うために待っていてくれたホストは、すぐに自転車を立って漕いで、バイトに向かった。

 セブンは雪姫を「悪いようにはならねーと思う」と言っていた。セブンの勘はよく当たる。それだけですこし気持ちが落ち着いた俺がいた。

 セブンと家の近くまで帰った。俺と別れたセブンは駅前のセカンドプレイスへと向かった。

 帰宅して、携帯をみていると雪姫からメッセージが来ていた。

「せまいトンネルに閉じ込められたり、腕にずっと点滴を刺されたりしてる。病院、ロクなところじゃない」

 文句を垂れているようならば、大丈夫だと返事をした。

 そのあとホストやセブンに「ありがとう」って送ったり、花恋にこんなことがあったよって伝えていただけで、こんな時間になってしまった。

 なんだか、あっという間の一日だった。

 リビングのドアが開いて、美月が入ってくる。

 白いショートパンツに白いパーカーを着て、長い袖で手をすっぽり覆っている美月が、となりに座った。両足を抱き込みながら、携帯をさわっている。チャットをしているようだった。

「あ~~~っ、つかれた~~~っ」

 携帯をソファに落とすようにして置いた美月が言った。

「マジでな。なんか、いろいろあったぞ」

「しぐれは、わたしに黙ってクラスでドッキリするし」

 美月がすねながらも、笑って言う。

「あれ、どうなるかわかんなかったしな」

「おかげさま、クラスでお話しできる人ができたから、よかったわ。ありがとう」

「そりゃ、良かった。俺は美月がいじめられてるなんて、まったく気が付かなかったぞ」

「うーん。露骨に悪口言われないぶん、まだ、ましだったかも。聞こえるぐらいの声で悪口を言われるほう、わたしは苦手かしら」

「ムリだ。俺はムリだ。俺なら心が折れる」

 美月は軽く笑って見せた。メンタルつよい。

「ねえ、しぐれ。さっき言ってたやつ。わたしに話があるって、なに? もしかして、ちょっと無茶しすぎちゃったかしら」

「ああ、それか。違う違う。聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?  なぁに? なんでも聞いて」

 曇りなんてない、澄んだ目で俺を見つめてくる。澄み切って透明さを感じるほど青い目だった。

「……あの、さ」

 なんていおう。やっぱり、言葉が出てこない。

『美月が、ブルームーンか?』

 心に浮かんでいるのは、この言葉。

 ほんとうに、なんでもない。ただの勘だった。

 思い返せば、焼肉屋でメニューを考えるのが面倒くさくて一番上のコースをたのむとか。道が渋滞してるなら、空を飛んでいけばいいじゃないっていう発想で本当にヘリを飛ばすこととか。イジメの主犯に真っ向から挑むとか。

 豪快な方法で、その場で誰もがやらないようなことやってみせる。そんな姿に俺の知っているゲーム内でのブルームーンのキャラクターが重なった……気がした。

 それだけ、たったそれだけの俺の予感。

 でも、なんとなく曖昧にそう思っていた予感は、そうだったらいいなという期待に変わってきちゃって。

 今朝、起きるまでブルームーンは雪姫じゃないかって疑っていた。ずるずると雪姫に聞くタイミングを失ってしまっていた。

 でも、今は美月がブルームーンだったら面白いって思ってる。

 なんだろう、この心境。ぜんぜん違うことなのに、そうであったらいいなと思っている。

 もしかしたら、ちょっとしたつり橋効果で一時の気の迷いかもしれない。

 美月がブルームーンという、俺の予想が当たって欲しいという期待。それと同時に、美月がブルームーンだったらどうしようという不安。予感が的中したなら、緊張して、美月とどう接すれば良いか、一気にわからなくなりそうだ。

 この、あり得るかもしれないという中途半端な状態から、どちらか決めようとおもう。

 すこしだけ、勇気が欲しい。

 だめならだめで、いいじゃないか、俺。なにをそんなに悩む。言ったら言ったで「なぁに、それ?」って返事が来て「ふーん」とか言ってごまかせばいいんだ。

「しぐれ? ちょっと、告白する前の男の子みたいよ? もしかして、わたしのことが好きなの?」

 美月は、困ったように言ってくる。凍った空気を、どうにかしようとしたみたいだ。

「ちがうんだけど、ちがわないというか。いや、全然ちがうんだけど」

「ちがうのっ?」

 美月が少し悲しそうな顔をしながら口に出していた。目が点になって、涙がたまっている。

 ああ、やっぱり美月は良い奴だと思う。

 だから、そんな顔をさせて申し訳ないと思った。

 雪姫がブルームーンだと思っているうちは、あんまり美月には近づかないほうがいいんじゃないかな、とか思っていた俺がバカみたいだ。だって、美月は綺麗で……そう、あまりに綺麗で手が届かないんじゃないかと思っていたから。

 ちがう、これもちがうな。

 きっと、美月に出会ったとき、美月に惚れそうだったんだとおもう。ブルームーンが好きなのに、美月を好きになっちゃったら、ブルームーンに申し訳ないから。だから、ぐいぐい来る美月を、ちょっとだけ避けていた。それほど、危ないと思っていたから。

 ああ、これでまた、美月がブルームーンであってほしい理由が増えてしまった。

 いま、俺の中では、美月がブルームーンであってほしくない理由よりも、美月がブルームーンであってほしいという理由のほうが勝った。

「なあ、美月さ。あ、ちょっと待って」

 真剣な目で俺を見つめる美月を一回躱して、俺は自室へと走る。

 大事にとっておいた喫茶店の紙のナプキン。

 ブルームーンのバーカって文字と、真っ赤なキスマーク。それと、うさぎの絵。

これだけが俺とブルームーンの接点で、それを日常の中で追いかけ続けていた。

 それにしても、なんでうさぎなんだろうって思ったけれど、もしかして不思議の国のアリスの白うさぎか? それに込められているメッセージは「追って来て」だといまさら気づいた。

 俺は階段を二段飛ばしでリビングへ帰る。

「なに、しぐれ。どうしたの? あなた、ちょっと変よ」

「いや、あのさ」

「うん。なぁに?」

 じっと見つめられると、照れる。また、逃げ出してしまいそうになる。

 俺は、いまだけすべての勇気を総動員しながら、恥ずかしさに立ち向かって、強くこぶしを握ることで緊張を紛らわせて、心の底から言いたいことを言った。

「美月が、ブルームーンか?」

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