第19話 ねむねむ花恋
暗くなる前に家に帰る。自宅のカギは開いていた。音楽室とは違うなと笑ってしまう。
花恋や美月は帰ってきているだろうか。花恋は、今週仕事が忙しいとは言っていなかった気がするから帰って来てると思う。美月はどうだろう。転校初日だから新しい友達とカラオケでも行ってる気がする。
そう思いながら開いた玄関には、花恋と美月の両方の靴があった。ふたりとも帰って来てるみたいだ。
「時雨だった。おかえり、しぐれーっ。ねえー、聞いてよ。あのね、特進のクラスのひとたち、授業終わったらみんなどこいくと思う?」
リビングから滑るように勢いよく美月が出てくる。真っ白なルームウェアを着ていて、ラフな格好にどきっとした。
「ただいま。図書室いって勉強」
「えーっ、なんで知ってるの。 そうなの。みんな図書室いって勉強し始めるのよ。黙々とおしゃべりもせず。ムリー。転校生って全然ちやほやされないし、話しかけても距離置かれてるの、なんでなのー」
「こわいって思われてるんじゃないか」
「こわーっ」
ショックを受けたらしい美月は玄関で固まっている。手で顔を押さえたポーズでフリーズしていた。俺はその横を通ってリビングへ入った。キッチンへ行き、グラスに牛乳を入れる。飲み干すころには落ち込んでる美月がとぼとぼとリビングに入ってきた。
「美月、花恋みた?」
「そうなの、花恋ちゃんどこー? お部屋ノックしてもいないのよ」
ころりと表情を変えた美月は、眉を下げていた。
グラスを洗い、水気を拭いてから棚に戻す。
「たぶんダンスしてるとおもう。あと、美月さ洗い物してくれた?」
ダンス? と美月はソファの上で頭をかしげている。
「したわよ。そのぐらいできるもん」
ソファーの背もたれに首をのせて、逆さまの顔を向けながら行って来る。
「ありがと。俺がやるからいいのに」
「そういうわけには、いかないわよ。持ちつ持たれつしていかないと、きっといい気持ちしないわ。だって、あなたとわたしは他人だもの。家族なら許容できることの基準でわたしを見てると、きっとしぐれが大変になっちゃうわ」
よく考えているやつだと感心する。
「それもそうだな」
まじめに美月が話していたと思ったら、携帯を見てにへーっと笑っている。明るい奴だし、きっと周りをも明るくするやつだと思う。
「夕飯どうするよ。何でもよかったら軽くつくるぞ」
「しぐれって料理できるの?」
「当然だ。俺の将来の夢に必要だからな」
「シェフ志望ってこと?」
「専業主夫志望」
「頑張るところ間違ってない……?」
美月が白い目で俺を見てきた。そっと目をそらした。
「夕飯ね、頼んじゃったわ。ピザのデリバリー。はじめて頼んだの。でも、玄関でずっと待ってるの飽きちゃった」
「それで勢いよく玄関出て来たのか」
「だって、ピザの宅配なんて初めてなんだもん」
「わかる。ピザなんて久しぶりだ。俺らのも頼んでくれたのか? お金払うぞ」
「いいわよ。お金払うのわたしのパパだし。カードの限度額までわたしのお小遣いって約束取り付けてるもん」
黒く光るICチップつきのカードを見せながら美月がそう言ってきた。
「なあ、それブラックカードじゃね。限度額いくらよ」
「家と戦車を買って、さらに飛行機が買えるぐらいかしら?」
「すげえ買い物だな。 学校の食堂でそんなカード使うつもりだったのか」
「ちなみに前の学校では持ってるクレジットカードの色、みんなに把握されてたわよ」
「貴族のカードゲームやめろ。パワー9のほう、よっぽど良心的なカードに思えてきた」
一度はブラックロータスの名前は聞いたことがあると思う。とあるカードゲームにはとんでもなく高いカードが存在する。ブラックロータスが有名なカードだ。そしてそれを4積みするプレイヤーも存在する。ルールにもよるが、その環境は魔境だった。
「花恋よんでくる」
俺はそういって玄関に向かう。
玄関の横に、両開きの重い扉があった。親がつくった自宅のダンススタジオ。防音で鏡ばりの部屋だ。花恋は幼少期からずっとここで過ごしていた。バレエ、ピアノ、ヴァイオリン、ダンス、ボイトレ、合気道もか。有名なスクールに習いに行ったり、家に先生が来たりして教え込まれていた。それを思うたびにすこし悲しくなる。けど、本人は明るく笑いながら「それがあるから、いまアイドルできてるんだよ」と言っていた。
「もしかして、そこ、ダンススタジオなの?」
ついてきた美月が言う。玄関を見るのをやめられないのは、お腹が減ってるからなのか、純粋にピザ屋さんを来るのを待ってるのかどちらなのか。どちらせにせよ、ちょっと犬っぽいとおもう。
「そんなとこ。たぶんこの中で練習してると思う」
「ダンスの? 学校帰りなのに花恋ちゃん、ストイック。ますます応援したくなるわ」
「だっろー?」
「なんでしぐれがドヤるのよ」
「我が事のようにうれしいからな」
そう言いながらスタジオに入る。綺麗な木の床と明るい照明、スマホやパソコンと接続できるスピーカー、大きな鏡の壁。
その部屋の真ん中にピンク色の髪をお団子にした花恋がいる。部屋の真ん中、照明に当てられて、横になっていた。動きやすそうなショートパンツとゆったりしたトップスしか着ていない。形の良いヘソが見えて、縦に一本の筋の入ったお腹が見えている。
「花恋の電池、切れてる」
ぴくりとも動かず寝ていた。時間が止まっているようだった。
「綺麗な寝顔ね」
「花恋ー。あれ、起きねえ。俺も一回寝たら起きないけど、花恋もなかなかだな」
「起こしてみてもいい? 花恋ちゃーん、花恋ちゃーん。ほんとだ、肩とんとんしても起きないわよ。あんまりビックリする起こし方はイヤだから、うーん」
「俺さっき音楽室で寝てたらシンバルでたたき起こされたぞ」
「うふふっ、なにそれー。ビックリしそうな起こし方ね。あしたまでに用意しておこうか?」
「起きます。自分で頑張って起きます」
「えー、起こしてあげるわよー。365通りぐらい考えてあるんだから」
「一年分考えてあんの? ネタ切れるだろ」
「毎日寝起きドッキリ1日目って動画、準備する?」
「いやだー。一年間、寝起きドッキリはいやだー」
ちかくでうるさくしたからだろうか。花恋が規則正しい呼吸をやめた。体を起こして地面にお尻を付けるように座る。下を向いたまま、手で顔をこすっているようだった。
「おはよう」
「あれー、お兄ちゃんだぁ。どしたのー?」
「ねむねむ花恋起こしに来た」
「うーん、まだ、ねむねむ花恋だよー。でも、ねむねむ花恋はね、だめだめ花恋なんだよ」
声を押さえて美月が「カワイイーッ」と叫んでいた。心の声がだだ漏れだった。
「なんかの練習?」
「ショーケースの練習。もうちょっと先の日曜日にダンスバトルがあって、お仕事で呼ばれたんだー。私なんてダンス界隈じゃあんまり知名度ないのに、ジャッジで呼ばれちゃったから、曲と振り付け準備してジャッジムーブっていうパフォーマンスしなきゃいけないの。それがうまくできなくてダメダメなんだよ~」
「振り付けとか大変そうだよな、頑張れ。あれ、でもさ、ダンスの大会で優勝したとかこの前、雑誌に書いてあったぞ」
「あれはたまたまだよー。だって、なに踊ったか覚えてないし、映像見返しても、同じムーブをもう一回やれないもん。気持ちよかったなーってぐらいの感想しかないよ。っていうか、ダンスの大会行って来るねってお兄ちゃんに言ったのに、全然覚えてないじゃん。もーう」
「思い出した。なんか花恋、ここ何日か帰ってこねーなとか思ってたダンスの大会行ってたってやつか。サボり期間だったから、時間の感覚あんまなかったんだよな。あと花恋ちょいちょいダンスの大会出てなかった?」
「出てたよ。だって、マネージャーさんが出てきたら? って言うんだもん。結果残せたら話題になるし。あと、ナナエスの2人がすごいから、負けてられないもん。よーし、元気出て来たよ。でも、お腹へったー」
右腕を上げながら、左手でお腹をさする。そんな仕草をしながら花恋はクシュンとくしゃみを2回した。
「体、冷えてるぞ。髪乾かすの手伝ってやるから、お風呂入って来いよ。あと夕飯は美月がピザ頼んでくれた」
「うん、そうするね。ピザーッ。ひさしぶりのピザだっ。今日ライチちゃんとピザ食べたいって言ってたところなんだー。えへへ、うれしいな」
そういうと花恋は急いでお風呂に入らなきゃと意気込んで、走っていった。お団子の髪をほどいて、髪を降ろしてから振り返る。
「美月さんとお兄ちゃん、良かったらダンス見に来る? アニソンのダンスバトルだよ。むかし、お兄ちゃんと一緒に出たやつ」
「俺の黒歴史ーッ」
思い出して、膝をついた。
「いくーっ。しぐれも踊れるの? なにそれ、おもしろそう」
「私がね、アニソンダンスバトル出たいって言ったけど、それが2人組じゃないと出られないイベントだったの。お兄ちゃん、ダンスなんてしたことないのに一緒に出てくれたんだー」
「何もしてないのに、予選通ってテンパってたから」
「お兄ちゃんの意味不明な動き、あとでストロング筋肉体操って言われてたよ」
「ストロング筋肉体操って名前つけたやつ誰だよ。勢いだけでなんとかなると思ってて結局なんとかならなかったから。花恋、さっさと風呂はいってこい」
「はーいっ」
花恋は扉を開けて、階段を上って行った。部屋に着替え取りに行くんだろう。
「で、美月? なんで正座してんの?」
「ストロング筋肉体操まだー?」
目を輝かせて美月がこっちを見てくる。体をゆらしながら見つめていた。こういう無邪気な目に弱いんだ、俺。どうしていいかわかんなくなる。
「笑うなよ。ちょっとだけだぞ。あとダンスみたけりゃ、花恋の見たほうが良い。ほんとうに、すごいから。俺はそれ目指して練習してる最中だから」
そういうと仕方なく、ちょっとだけ筋トレをすることにする。
まず、倒立して見せる。そこから足を開き、段々体を下げてくる。自重を利用した負荷トレーニングが行き過ぎた結果だ。肘を曲げずに、胸に力を入れて安定させる。開脚した状態で、体を地面と水平にしてぴたりと止めた。
「あーっ、ムリッムリッ。もう無理ッ」
「すごいっ、すごいわ。体操選手みたい」
「ッシー、オラッ」
手を床につくのをやめ、肘で体を支える。頭の位置が下がり、腰の位置が上がる。その反動を利用して、もう一度逆立ちの状態に体を戻した。肘をつき腕を交差した状態から、掌でもう一度、体を持ち上げる。
美月の黄色い声があがった。俺は満足した。
地に足を付けて立ち上がり、捲れたワイシャツを整える。
「ストロング筋肉体操というより、ふつうの筋トレなんだけど」
「わたしも腕立てぐらいならするけど、そんなのできないわよ。筋トレの枠を超えてるわ」
「やっぱストロング筋肉体操って呼ぶわ」
美月はいまだにこの言葉に慣れないらしく笑っていた。
調子にのった結果、いくつか筋トレとそれに派生するダンスを披露していると、呆れたように笑う花恋がいつの間にか立っていた。
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