第18話 二回目の音楽室
「雪姫、なんで音楽室の扉さ、カギしまってんだよ」
「閉めてるんだ。お前みたいなうるさいやつが来るから。えっと、誰だっけ。おー、そうだそうだ。2階から飛び降りるやつだ。雑音だ。窓から出入りするのがすきなやつだね」
「なんで俺が好き好んで窓から出入りしてると思ってんだ。扉が開かないから、仕方なくだよ」
となりの生徒会室に忍び込み、真夜姉に見つかり、さんざん撫でられた後に窓から逃げてきた。
「うん、うん、だよね。一応ガチャガチャしてたら聞こえてるから。そうだなー。3回ノック。3回ノックを3回繰り返せ。そしたら開けに行く。そうじゃないと居留守使うから。嫌いなんだ、ほかの音入れるの」
ピアノを演奏する椅子に座って、長い黒髪をポニーテールにしばり直している雪姫がそう言っていた。静かに見てろって意味かもしれない。俺は、机に突っ伏して腕の上に顔をのせてピアノを見ることにする。
ここに来るのは2回目だ。なんとなくピアノを聞きに来たくなる。昼から授業がなくてヒマってのもあるんだろうけど。
「ふーん、ふーん。雑音、なんか疲れてる。それとも、ヤなことあった?」
「なんで、わかるんだよ」
「音の調子っていうだろ。これでもちょっとは敏感なんだよ。関心がないだけで」
雪姫は自分で言って自分で笑っていた。変わったやつだと思った。けどサバサバしてる分付き合いやすい。
「あしたが憂鬱なんだ」
「おー、いいねいいね。なんだか難しそうなことじゃないか。なにがあったのさ。元気の出る曲っていうとなんだろ。ママレードソング&ピーナッツステップでも弾いてあげようか? ピーナッツ野郎」
「クヨクヨしてるだけで、小物って言ってくんのやめろ」
「ははっ、元気じゃないか。あれか、妹ちゃんが電話で困ってた件といっしょかな」
「いや、それは別。それは思ってたよりも大変じゃなかったな」
「そうか、そうか。なら、どうしたのさ」
雪姫はピアノの高い音を一音鳴らしていた。良く響く音だった。
「実は俺のクラス、クラス目標っていうルールがあってさ」
あした女装して登校することになった経緯を説明した。自分で説明して思い返してみてもおかしいとしか思えなかった。
「濃い、濃いよそのクラス。ははは。ただ、おまえもマジメというか律儀というか、切り替えてるのかもしんないけどさ。イヤって言ってる割に、ちょっと楽しそうだね?」
青い瞳が俺を見つめた。挑発的なその目は嫌いじゃなかった。
「ふつう同情したり、優しい言葉かけるとこだろこれ」
「うん、うん。内容を考えたら、そうだな。けど、おまえの心はきっと、そうじゃないよ。たまに跳ねてるんだよ、楽しそうにな」
怖い奴だと思った。でも、悪くないとも思った。
「わかる? 俺さ、実は美少女になりたいんだ」
雪姫は噴き出した。こいつ、本気で言ってやがる。そう言いながら目に涙を浮かべて笑っていた。
「ほんとに、ほんとに。ほんとに、ほんとに! ほんとに! 変なやつ!」
嫌味なく、そう叫ばれた。
「やっぱりおまえ、おもしろいよ。うん、おもしろい。おまえみたいなの、会ったことない。いいね、いいよ、時雨。比率が良いよ」
ピアニストのほめ言葉が全然わからなかった。きっと気に入られたんだろう。たぶん。
笑顔のまま雪姫はピアノに向かう。なにか表現したいことがある。そう決めてピアノを弾き始めたように見えた。
ママレードソング&ピーナッツステップ。
思わずステップを踏み出したくなるぐらい、ご機嫌な様子だった。鍵盤の上では手が踊って跳ねていた。
ピアノに集中していると、あくびがでそうになって噛みしめる。
「いいよ、いいよ。そのまま、あたしの音だけ聞いていて。おやすみ」
旋律に紛れてよく通る声が響いた。
寝ても良いと言われて、ピアノが優しくなった気がした。
目を瞑ったとたんに、音が遠くなる。笑い声がした気がした。けど、すぐに聞こえなくなった。
「おーい、おーい。ダメだこいつ。もう、しょうがないからな。たたき起こすからな。言ったぞ、あたしはちゃんと言ったからな」
なんか声が聞こえる気がする。ねむいから、ねかせてくれ。気にせずもう一度深く眠ろうとしたときだった。
――――ガシャーン
ちかくで爆音がした。
「うわああっーーーっ。えっ、へっ、なにっ」
「ははっ、はははははーっ」
楽器を持った雪姫がはじめて聞くような高い声で笑い続けている。
「いや、いやぁー、やりたかったんだよ。寝起きドッキリ。マイチューバーぐらい良いリアクションだよ。うんうん、さすがだよ雑音。シンバルの音って絶対うるさいだろうなって思ってた。あたしに間違いなかったよー」
上機嫌に雪姫がそんなことを言う。
雪姫に俺が起こされた。ここは音楽室。シンバルをもった雪姫。すげえうるさい音。ようやくそれを、雪姫が音楽室で寝ていた俺をシンバルで起こしたと理解する。びびって硬直していた体の緊張はとけた。
「おどろかすなよ。まじでビビったからな」
「ごめん、ごめん。あまりにも気持ちよく寝てるから、ついね」
シンバルを片付けながら雪姫がいっていた。目覚ましのためだけに出してきたのか。
「疲れたし、そろそろ帰るよ。よく寝れたね」
「うっわ、もうこんな時間じゃないか。やっべ、帰らなきゃ」
「うん、うん。帰りどっち? 駅のほう?」
雪姫はスクールバックからヘッドホンを取り出した。ヘッドホンを首にかけている。
「途中まで駅のほう」
「そかそか、途中までかえろ。扉から出る? 窓から行く?」
「扉から出るよ。なんで窓から出なきゃいけないんだよ」
「すきかなーって」
「お前は俺をなんだと思ってんだ」
「へんなやつだよ」
「改めさせてやる」
「はいはい」
雪姫は音楽室の電気を消して、扉を閉めた。
並んで歩いて思う、雪姫は背が高い。すらりと手足が長いだけじゃない。目線が俺と同じぐらいか。いや、俺より高いかもしれない。
「雪姫さ、身長いくつ?」
「雑音より3センチ高いかな」
俺、一応170ちょっとあるんだけど。
「腰の位置どこ?」
雪姫のスカートと白いワイシャツの上、腰をさわり、腰骨をなでながら教えてくれる。
「ここかな?」
「俺ここなんだけど」
自分で押さえた手を雪姫の腰に伸ばした。雪姫の手に触れなかった。雪姫の手は俺の上にある。
「お前、腰の位置おかしくね」
「雑音の足が短いだけだけよ」
「さらりと傷付けてくんのやめろ」
なんてスタイルのいいやつだ。比べるのもあれだけど、美月もスタイルがいい。けど、意味がちょっと違う。女性らしい柔らかいスタイルの良さと、モデルのような引き締まったスタイルの良さのちがいだ。俺から見たスタイルの良いっていうのは美月で、女性からみたスタイルの良いっていうのは雪姫とかだと思う。メリハリがついてるって点では雷堂もか?
「おっまえ、本当あたしのこと好きだな。手と指の次は太ももか? さすがに足でピアノは弾けないぞ」
「見てえ、超見てえ」
「あたしは、雑音の女装が超見たいけどね」
「思い出して泣けてきた。あしたサボるわ」
「ダメ、ダメ。それは、おもしろくない。明日おまえがサボるなら音楽室出入り禁止だから」
「なぜ俺の周りは、俺の不幸を見たがるのか」
「ちがう、ちがう。雑音の不幸がみたいわけじゃない。恥ずかしがる雑音をみたいんだよー」
唇の端をあげるような笑い方をして雪姫が言ってきた。
「あした気力が残ってたら音楽室に逃げてくるわ」
「なら、あしたは音楽室を開けておく。クラスどこだっけ」
「普通科、2-E」
「そこ、前を通るだけでうるさいクラスだ。男くさいし」
「言ってることが正しすぎて、なにも言えねえわ」
雪姫がまた澄んだ瞳で俺を見つめてきた。
「たのしそうだな?」
「お前は、だませねえな」
「わかりやすいだけだよ、雑音」
ばつの悪そうな顔をしているとおもう。俺は逃げるように靴を履き替えにいった。
「時雨ちゃん、いまかえり?」
「よう、ホスト。ちょっと学校で寝てた」
男女集まって談笑してるグループにいたホストが、俺を見つけて話しかけて来た。
「いちお、言っとくけど。あしたサボっても、ふつうに登校してもいいかんね。あんなん、クラスでバカやりたいだけだから。セブンもさシグレ来なくなったらどうしようって心配してたし」
「問題ねーよ。なんとかするわ」
「さっすが、時雨ちゃん」
ホストが笑って肩を叩いてくる。俺はホストと手を振って別れた。
玄関を出たところでスマホを触りながら待っている雪姫に合流する。ヘッドホンをして話かけるなオーラを出して立っていた。
雪姫の肩をたたく。「んー」と声が帰って来て、そのまま歩き出した。
誰かが俺の肩を叩く。叩くというか、力の限り掴んできた。振り返ると鬼の形相をしたホストがいた。
「させねーよ? 音楽科のあこがれ的存在、天才美人ピアニストと仲良く下校とかさせねーよ?」
「いや、行き先、途中まで一緒なだけだから」
「世間ではそれを仲良く下校っていうっしょ。仲良く下校する時雨ちゃんを見送るぐらいなら足掴んで道連れにするじゃん?」
「えっと、えっと……時雨。帰る」
いつも雑音呼ばわりしてくる雪姫が名前をよんだ。ほんとうに覚えてなかったんだろうなってぐらい自信なさげに俺の名前を呼んできた。
「ああ、いま行く」
「待てよ。時雨ちゃん、なんでなんだ」
「なんのこと?」
「なんで音楽科と接点あるんだよ。しかもなんで、奏さんなんだよ。音楽科の孤高の花。告白に呼び出しても来ない女子ナンバーワン。頑張って「好きです」と伝えても返ってくる言葉が「で?」さらに勇気を出して「付き合ってください」と言って返ってきた言葉が「なんで?」隙を生じぬ三段構え。ついたあだ名が燕返し。飛天御剣もビックリだろ」
「隙を生じぬ二段構えとか言って、九頭竜閃みたいな一撃必殺だすの嫌いじゃないよ」
「雪姫、実は少年漫画好きだろ」
「うん、すきすき。あと、よびだされても行かないのは面倒くさいから。わざわざ屋上とか行ってもさ、知らない奴に好きですとか言われて、はぁって言って帰ってくるだけじゃないか。ムダムダ。キングクリムゾンしなくても結果が見えるよ」
「だからお前、好きって言葉に抵抗持ってたのか」
「うん、うん。好きって言われたら、そいつに対して無関心になるぐらい言葉と心が嫌い。あれあれ、でも雑音のは大丈夫だったな」
「そんなこと言ったっけ?」
「言ったよ、俺お前が好きだって。えー、えーっ、覚えてないの? まあ、いいけど」
ホストの手が、再び俺の肩を握りつぶそうとしてきた。
「時雨ちゃん、お前はいったい何なんだ」
ホストがまた修羅に落ちていた。
「友達だ」
手を掴み返して大げさに答えた。
「はははっ。その返し、嫌いじゃないよ」
「つーわけで、気を付けて時雨ちゃん」
「さんきゅーホスト。また明日な」
そう言ってホストと別れる。
機嫌のよさげな雪姫と一緒に、俺は下校した。
「おもしろいやつだなー」
「だろう? あいつ見た目から想像できないぐらい良い奴なんだ」
雪姫は笑いながら言った。
「おまえのことだよ、雑音」
「ほめてる?」
「ほめてる、ほめてる。あたしなりにほめてる」
「バカにされてる気がする」
「おっ、ちょっとわかってきたな。うん、うん。やるじゃないか」
「やっぱバカにしてんじゃねーか!」
前を歩く雪姫が後ろを振り返り、髪を耳にかけながら笑う。
暗くなる空の下で、なんて明るく笑うんだろうと思った。
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