第14話 天使が通る

「夢をみてるの?」

 そんな声がした。俺は頷いた。

 いや、待てなにかおかしい。

 夢はこんなにリアルじゃない。具体的には俺の腹の上に重さを感じる。やわらかくて、あたたかい。肉感が伝わってくる。

「ふーっ」

 そよ風が俺の顔を撫でた。

 起きなければヤバイと思った。急いでまどろみを振り切り、目を開けた。

「おはよーっ」

「え、だれ? なにこの状況、朝チュン?」

 見慣れない美人が見慣れた制服を着て、俺の上に跨っていた。

「ゆうべはひとりでお楽しみでしたね?」

「死にてえ」

 思わず顔を手で覆った。夢から覚めてまた夢かと思ったら現実だった。

「なんで朝から制服着た美人が俺の上にいんだよ」

「起こしに来てあげたに決まってるじゃない。なんど呼んでも起きないし、叩いても起きないし、キスしても起きないのよ?」

「えっ? キ、キス……?ちょ、ちょっとまてよ」

「うん、それはウソ」

「返せよ俺の純情ーッ」

「あははっ、かわいーっ」

 美月は俺の上に跨ったまま、俺の胸をバシバシ叩いてくる。

「で、いつまで乗ってんだ? 俺いろんな理由で動けないんだけど」

「んー? いろんな理由ってなーに? わたし、わからないなあ」

「お前が重いからだよ」

「なーっ。重くないもん。50キロ超えてるの気にしてるのに、なんでそんなこというの?」

「50キロって平均じゃね? 花恋とか雷堂は40キロ台だったな。そう思うと気にするのか?」

「なんでナナエスの子と比べるのよっ」

「あいつら体重公表してるじゃん。花恋42キロ、雷堂49キロ。あと花恋はたぶん今もうちょい重い」

「むーっ」

「揺するな揺するな、体を揺するな」

「フーンっ」

 そんなとき、俺の部屋の扉がノックされ開いた。

「おはよー、お兄ちゃんー? ……朝から何してるの?」

「スキンシップ?」

 美月がほほに指をあてながらあざとく答えた。

「へぇ、お兄ちゃんはスキンシップで美月さんをお腹の上にのせるんだ。ふーん。知らなかったなぁ。はやく起きろー?」

「は、はいっ」

 驚いて声をあげる美月をベッドの上に転がして、飛び起きた。

「着替えろー?」

「はいっ!」

 速攻で制服に着替える。靴下を履き、ズボンを履き、シャツを身に着け、ボタンをとめる。ブレザーを着て、暑いしやっぱりいらないと脱ぎ捨てて、花恋の前に足を揃えて立つ。

 腹を抱えて笑っている美月を見ないふりをしていた。調教されてる、と声を出していた。

「お兄ちゃん、ご飯食べる時間ないから歩きながら食べようね」

「了解しました」

「珍しく昨日は遅かったみたいだね? ゲームもしてなかったのに」

「ちょっと色々あってな」

 チャットして興奮しちゃったせいて寝れなかったとは言えない。

「ちょっと時間ギリギリかな?」

「悪い。美月もありがとう」

「んーん。面白かったわよ」

 リビングに用意されていた俺の朝食をとる。オレンジジュースを飲み干して、焼いたトーストに卵とハムをのせてくわえた。皿はキッチンに運んでおく。

 美月と花恋は鏡の前で身だしなみを整えていた。ただでさえ整ってるのに、なにに手を入れるんだろうと不思議な光景だった。

 2人を連れて玄関をあけた。

「おはようございます、少年。いささか遅い時間ですね。送ります」

 ビシッとスーツを着た大人の女性。引っ越しのときに立ち会っていた、紫電さんが黒塗りの高級車の前にいた。ドアを開けて俺たちを招き入れる。美月が車に乗り込んで俺たちを手招きする。

「思い出した。美月ってお嬢様だった」

「氷室さんと同じ雰囲気がしてたからもしやと思ったけど。わぁ、すごい」

 お願いしますとだけ言って、車に乗り込んだ。車なのにソファーのように座席の座り心地が良かった。

「遅れるかもと思って、ほまれに連絡しちゃった。ごめんね? 今日だけだから」

「自分はいつでも構いません。そのために近くにいますから」

 主従関係がきっちりしている。近くにいるってのはもしかして引っ越した? とか怖くて聞けない内容だった。

 車で行くと学校がとても近くに感じる。毎日迎えに来てくれないかなと思う。

「お兄ちゃん、毎日車で登校したいって顔してる」

「心を読むのやめろ花恋」

「ほまれさんー、しぐれが毎日ほまれさんに迎えに来てほしいって」

「構いませんよ。お望みなら車でもヘリでも迎えに行きましょう」

「自転車でお願いします」

「二人乗りのを明日までに準備しておきましょう」

「だめー。4人乗りじゃないとだめ」

「美月さんっ、4人乗りの自転車はちょっと恥ずかしいんじゃないかな?」

 そんなことを言っていると謳歌学園についた。

 やっぱ車、楽だ。そう思い紫電さんに礼を言って車から降りた。

 俺たちを降ろした車はすぐに走り去った。その後ろを派手な音を立てたバイクが通った。

 アメリカンバイクと呼ばれるシルエットに特徴のあるバイク。

 フルフェイスのヘルメットをして黒い革ジャンにジーンズの女。その恰好に見覚えがあった。

「ライチちゃんだ。私ライチちゃんとこ行って来るねっ」

 そう言って花恋は駐輪場へ向かった。

「すごーい。元気のいい学校ね」

「新入部員の取り合い起こるからな。今週いっぱいぐらいこれが続く。あそこで呼び込みやってる金髪とは目を合わせるな。目を合わせると声かけられるぞ」

「わかったわ」

「とりあえず職員室か?」

「うん。そう聞いてる」

「こっち」

「はーいっ。ふふっ、なんだかわくわくしちゃう」

 すごいと思った。

 目の前のうるさい通りを抜けて玄関に行くため、美月と歩いた。

 喧騒が静まりかえる。

 男も女も関係ない。だれもが息をのみながら美月を目で追っていた。

 それがすこしの間の静寂になり、音が殺されている。

 だれも話しかけようと思わない。ただただ、通るのを見つめていた。前を歩く俺なんて誰も目に入っていないようだった。

 この雑談が一瞬、ぴたりと止まる現象ってなんていうんだったか。

 そうだ、天使が通るだ。

 澄ました顔でレッドカーペットを歩いた美月は、いつも通りという様子だった。

「なぁに? 変な顔して」

「なんかゾワゾワした、今の空気。みんな美月をムシできないというか」

「慣れっこよ、あんなの。大丈夫、だれも話しかけてきたりしないから」

「おまえすげーな」

「んー?」

 靴を履き替えて職員室へ向かう。

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