第9話 昼休みは、生徒会室で

 12時のチャイムがなる。昼休みの合図だ。

 どれだけ心待ちにした音色だったろう。

 はじめの授業から休み時間も監視され、問題集をやりながら鬼の個別指導を受けた。ホストはうつろな目で空を見上げ、セブンは机にダウンしている。

「サイン・コサイン・タンジェント。サイン・コサイン・タンジェント。サイン・コサイン……なんでタサインじゃないんだタンジェント」

 セブンがうなされている。三角比がわからなかったばかりに、何度もしつこく覚えさせられていた。

「勉強の仕方がわるいって、ひでえよ。ハハッ」

 ホストが空を見つめていた。根本的に勉強方法を見直せと問題集を取り上げられ個別指導になっていた。

「おっまえ気持ち悪いな、天宮」

 俺の解いた問題の採点をしながら先生が言う。

「言葉が直球すぎない?」

「悪い、これでもほめたつもりだが。天宮、勉強して楽しいか?」

「いや、べつに楽しいってことはない。学校サボってる間に1回だけ、べつに学校行かなくていいけど勉強することはやめるなって親父が言ってきたんだよ。だから、まぁ、してたかな」

 親父は仕事でどこにいるかわからなくて頼りないし。花恋は俺が守るって決めてるから。そのぐらいはしなきゃいけなかったというか。

「なんでみんな俺をみるんだ。やめろ。なんか恥ずかしいぞ」

「えらいなあシグレって感想しかないぜ」

「俺らにとっちゃ、勉強なんて苦行でしかないんだよなぁ」

「わかんない問題がわかるようになると気持ちいいじゃん」

「……それがわかんねぇ」

 先生は問題集を閉じて俺に渡してくる。

「昼から会議があるから、今日のところはこれまでだ。今週中に午後からの授業登録をしておくこと。以上。課題は渡してるから、各自取り組むこと。ではな。ホストにギャンブラー、それとオタク。また、あした」

 さわやかに手を振って教室を出ていく九鬼先生。

「とんでもねえ担任に当たっちまったぜ。これってラッキー? アンラッキー?」

「今まで俺たちと正面から向き合うセンコーなんていなかったじゃんね」

「怖いし見た目で損してるけど、たぶん良い先生だよ。ふつう自分で問題集つくるか……?」

「馬用のムチでぶっ叩いてくるしな。調教だっ! って、たまんねーよ」

「あれよ、一回叩かれたらムチ見るだけで体構えるし、叩かれるぐらいなら勉強するってなっちゃうじゃんね。卑怯くせえ。それにユリちゃん、英語のセンセでしょ?」

「やっぱり? そのくせ使用教科全部まとめてるよな。こういうことやる先生、俺は嫌いじゃない」

そんなことを言っているときだった。

 校内放送のアナウンスがなる。

「2年E組天宮 時雨くん、2年E組天宮 時雨くん。可及的速やかに生徒会室まで来てください」

「登校初日に呼び出しくらったんだが?」

「生徒会長だろ。マブじゃねーか」

「あー、時雨ちゃん。不知火会長が幼馴染でも、今朝の雷堂のことなら気を付けなきゃだめだ」

「それがあったか。了解。売店で飯買ってからいくわ」

「呼び出し慣れしてやがるぞ、こいつ」

「放送が至急じゃなくて、可及的速やかにだったろ。あれ、飯買ってこいって意味なんだよ」

「2人だけの秘密のメッセージとか、いいなぁー。俺も生徒会長とデートしたいわ」

「真夜姉に頼んでみようか?」

「ホスト、残念だな。当たる気配がしないぜ」

「分の悪い賭けはやめとけってセブンに言われてんだ。やめとくっしょ」

 数少ない俺の友人2人に手を振って、売店へ向かった。昨日借りた水筒だけはしっかり手に持ちながら歩く。

 売店に並んで、焼きそばパンとホットドックとコーヒー牛乳を買った。その後、行き先は職員室の近くにある生徒会室だ。この時間に職員室の近くを通ると必ずカップラーメンの匂いがしている。ガラスの壁でできた職員室を横切る際、中の様子を覗いてみた。九鬼先生がカップ麺の汁を飲み干していた。やはりあの先生、ダメな大人の匂いがプンプンする。できる大人の姿でダメな大人のにおいがしているため、ギャップがすごい。

 生徒会室の横開きの扉を開けた。

 会議室のように長机が並んでいる生徒会室のなかには、ひとりの先輩がいた。ストレートの銀髪を腰までたらし、長い前髪を横に流す。赤い目が俺を見つめた。大人びた雰囲気で、やさしそうに微笑む。

「久しぶりじゃないですか、天宮くん」

 そういう声の調子は弾んでいる。不知火 真夜。俺の幼馴染で遊び相手、近所のお姉さん。

「半年? いや4か月ぐらい? 忘れたけど、そのぐらいぶり」

「なにか言うことありますよね?」

「コーヒーごちそうさまでした。美味しかったわ」

「ほかには?」

「とくにないかな」

 呆れたようにため息をついて、両手を上げて言われる。

「相変わらずキミはバカですね?」

「真夜姉に比べりゃそりゃな」

 焼きそばパンを食いはじめた。

 この学園の生徒会長様も、自分でつくった弁当を持参している。女性サイズの弁当箱の中は彩り鮮やかだった。

「2年E組なんですね」

「そう、普通科だよ」

「キミ、なんて言われているか知ってます?」

「まだ耳に届いてないけど、なんていわれてんの?」

「都落ち」

「ははっ」

 真夜姉は手を叩いて話題を切った。

「1つ確認することがあります。次にする質問はNOで答えるように」

「はい」

「今朝玄関で女子生徒から暴力行為を受けましたか?」

「雷堂の事とか全然わからないです。NO」

「被害者からの聴取で、事実関係は認められませんでした。この件は棄却。はい終わり。天宮くんのことも、雷堂さんのことも他人の足を引っ張りたがる人間が多すぎます。それになんでわざわざ生徒会に言って来るんでしょうか。生徒会執行部の執行を執行罰と捉えているんですか? 秩序罰のような軽い罰すら裁く権利はないというのに。それを言うと生徒会長なんてなんの義務もないはずなのに拘束時間ばかり発生するんですけれど? ほんとう、そう思いません弟くん?」

「そうだね真夜姉」

 焼きそばパンを食べながらテキトーに言った。

 このしっかり者の生徒会長、ショタと呼ばれる幼い男が好きである。それを知らなかった俺はただ単に可愛がられていると喜んで、おもちゃになって遊ばれていた。だからと言ってはなんだが、いろいろと甘い。

「ところで弟くん。私を見てなにか気がつきませんか?」

「……えっ? いつみても美人さんですね?」

「やだ、もうっ。髪伸ばしてるんです。キミが戻ってきたら切ろうと思って」

「勘弁してくれ。髪長いほうが好きだから」

「そ、そうですか?」

「髪長いほうが女らしい。後姿のシルエットとか、髪をいじる動作とか」

「女性の髪をいじる動作って、男性の性欲を刺激する動作ですよね? 弟君は姉で興奮する悪い子なんですか? わかりました。話はぜんぜん関係ないんですけど、桃とか見たくないですか? 剥きますよ?」

「……桃? おい待て、生徒会長」

「きゃっ、なんで腕を触るんですか。触るところが違いますよ?」

「なぜシャツのボタンを外す? 生徒会長?」

「二人っきりのときは真夜姉って呼んでくださいっていってあるじゃないですか。質問は受け付けません」

「真夜姉、なぜ脱ぐ?」

「弟くんが姉をえっちな目で見てるそうなんで、姉のえっちなところを見せて差し上げようかと。姉として弟の期待に応えてあげなければいけないでしょう?」

「目にハートを浮かべるのをやめろ?」

「キミを視界から外せって? 難しいこと言いますね? お姉ちゃんキミに夢中です」

「数か月放置プレイした幼馴染の予想を超える暴走っぷりに夢から覚めそうだぜ、こっちは」

「弟成分が足りません。ピンチです。毎日、桃を揉んで待っていたというのに。召し上がってくれないんですか?」

「危険なドラッグみてーな成分だな弟ってのは。桃って、おっぱっ……」

「あーっ、いまおっぱい見ましたね? えっち」

「理不尽だっ」

 一度目を閉じた真夜姉が、ゆっくり目を開く。赤い瞳が俺を射抜いた。

「なーんだ。ぜんぜん大丈夫そうじゃないですか。落ち込んでるようならバブバブさせてあげようと思ってたのに」

「おあいにく様。雷堂にぶん殴られるし、ホストとセブンは気をつかっていつものノリでいてくれるし、真夜姉は甘えさせてくれるし、花恋は励ましてくれる。落ち込んでたら申し訳ねーよ」

「よくわかってるじゃないですか。あなたはそれでいいかもしれませんが、お姉ちゃんは慰めてくれる人がいないんです。あなたがいない間、自分を慰める手が止まらなかった責任って、とってもらえますよね?」

「責任の取り方がむずかしいよね、それ」

「いえ、簡単です。教えてあげましょうか? まず、お互いに脱ぎます」

「結構だーっ」

「ふぅ、久しぶりに弟くんに見られて、リビドーを発散できました。ありがとうございます」

「俺はどっと疲れたんだが?」

「ため込んだなら、自分で発散すればいいじゃないですか。見ていてあげましょうか?」

「俺は真夜姉と違って見られて興奮することはない、たぶん」

「あら、羞恥心が欠如した痴れ者ですね」

「なんであんたがそれ言えるんだ」

 俺たちはお互いに笑い合った。桃の誘惑に負けず、くわえるように1口食べられたホットドックの誘惑に負けず、昼休みの時間を過ごした。

 真夜姉の家は、喫茶店を経営している。よく入り浸っていたせいもあって、コーヒーや紅茶を飲ませてもらっていた。コーヒーの種類、ブルーマウンテンの話を聞いていた。味のバランスがいいコーヒーで、高級なんだとか。

その話を聞きながら、俺は駅前の喫茶店のことを思い出していた。俺のゲーム友達、ブルームーンのことだ。今日の授業中、何回も思い出していてきりが無いと思っているのに、また思い出してしまう。

俺がブルームーンだと思ってる女。腰まである長い黒髪で、細身の女。どっかで見たことがある。本人は違うっていったけど、照れ隠しのような気もした。

 そんな俺を呼ぶように、音がした。

「なあ、ピアノの音しない?」

「となりに普通科の音楽室がありますよね。そこ、音楽科の生徒が使ってるんですよ」

「なんでわざわざ。音楽室は音楽科の棟にいくつもあるだろ?」

「そう、だから使ってるのは、音楽科になじめない変わった子。けど天才。高校の全日本ピアノコンクールを1年のときに優勝して、この前海外のコンクールのジュニア部門を優勝したとか」

「わかりやすく言ってもらっていいか?」

「楠木正成」

「なるほど、天才か」

「なんでこの弟くんは、こうもバカなんでしょうか」

「ちょっと行って来るか」

「へ?……あ、ちょっと窓から出ないで、もうっ!」

 俺は生徒会室の窓からベランダに出て、となりの音楽室に向かった。

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