第2話 恋愛維持のお守りとまじない

「ねえ。今の恋愛をずっと維持していけるお守りとかおまじないってない?」


 店を開けて店先の掃除をしていた美波にそう声をかけてきたのは、20代前半くらいの女性だった。ややキツめの印象を受ける顔立ちをしているが、美人の部類に入るだろう。ただ、男性からは敬遠されそうな、自己主張が強いタイプに見えた。


「立ち話ではなんですから、お店にどうぞ」


 女性は美波に促されると頷いて店内に入った。そしてカウンターに座り、メニューを見てカモミールのハーブティーを注文した。


「恋愛の維持のお守りということは、今お付き合いされている方がいらっしゃるんですね? その方のことを詳しくお話ください」


 美波がハーブティーを煎れながら訊ねると、女性は頷いて話しはじめた。


「出会ったのは合コンよ。見た目から分かると思うけど、柄じゃないのは承知しているわ。だけど、人数合わせで誘われて行ったら、彼が参加していたの」


「男性なのですね?」


 ハーブティーの入ったガラスのカップを差し出しながら美波がそう確認すると、女性ちょっと面食らったような表情を見せたが頷いた。

 昨今のLGBTを考えると恋愛の相手の性別が異性とは限らない。美波がその辺を考慮する人なのだと女性は認識したようだった。


「男性よ。26歳でエンジニアをしているわ」


「なるほど。ちなみにお客様のお名前と年齢をお伺いしたいのですが、よろしいですか?」


「羽田摩耶と言います。24歳で仕事は経理関係の事務をしているわ」


 摩耶はいずれ質問されると思ったのか、訊かれてもいない自分の仕事も話した。話口調からも、生真面目さが窺えた。美波の経験から、よほど追い詰められなければこんなオカルトに手を出すような部類の人間ではないタイプに思える。


「お付き合いをはじめてどれくらいですか?」


「まだ2ヶ月よ」


「2ヶ月……」


 交際をはじめて2ヶ月程度で恋愛の維持を望む御守りやまじないを求めるということは、よほど自分に自信がないか、すでに相手の気持ちが離れかけている懸念があるのかのどちらかなのだろう。


「結婚したいとお思いですか?」


 この美波の質問に、意外にも麻耶は首を傾げて考える素振りを見せた。すぐにも結婚などを考えるから、こうした〝まじない〟に頼ることが一般的なのだが……。


「それはまだ分からないわ。だから、この恋愛を維持出来るお守りかおまじないがないか訊いたのよ」


「彼との付き合いで、何か不安とかありますか?」


「そうね……」


 摩耶は嫌なことを訊くというように困った顔を見せた後、諦めたように肩を竦めた。


「いわゆるイケメンってやつ? なぜ、私を選んだのか分からないの。私は自分の仕事には自信があるけど、女という部分にはまったく自信がないの。性格も可愛くないのは分かっているし、多分、色々とこだわってうるさいタイプだと思う。だから……そんな私を選んでくれた理由がまったく分からなくて不安なのよ」


 一気に自分の不安を告白した後、麻耶は気持ちを落ち着かせるようにカモミールを口にした。


「ということは、告白は彼から?」


「そう」


「なるほど……」


 どうして自分を選んでくれたのか分からないということなら、確かに自分に自信も湧かないだろう。まして麻耶は自分が男に好かれないタイプであると自覚している。さらに不安は加速するだろう。


「どうして私をなんて訊くのも怖いし……」


 聞いた時に想定外の答えを言われたら? さらに救いようのない答えだったらと想像してしまうと、質問することなどできないだろう。

 なるほどというように相槌を打ち、美波は話題を変えた。


「ところで、どうしてこちらのお店を選んで来てくださったんですか?」


「このお店……?」


「実は何軒か占い師を訪ねているの。でも、満足いく回答が得られなくて、ネットで調べていた時、本物の魔女のお守りやおまじないを受けたいのならこの店に行くといいという書込みを見たのよ」


 そこまで言ってから摩耶は探るような目線で美波を見た。


「貴女は本当に魔女なの?」


 その質問に美波はクスリと笑い頷いた。


「そうですね。英国の魔女の下で修行をしましたから、魔女と言えると思いますよ」


「そう……」


 摩耶は興味津々という様子で店内を見回した。

 店内を飾っている物は乾燥ハーブなどが多く、オカルトグッズとひと目で分かるものはドリームキャッチャーくらいしか置かれていない。


「もっとオカルト的なお店かと思ったわ」


「そうですか? これでもかなりオカルト的ですよ?」


「え?」


 麻耶は驚き、キョトンとした表情を見せた。そして改めて店内を見回すが、彼女にはどこがオカルト的なのか分からなかった。

 疑問符を浮かべた麻耶の顔を見た美波は、窓辺に置いたプランターと壁から吊るしてインテリア風に見せてハンギングさせているドライフラワーを指差した。


「プランターに植えているものも、乾燥させたハーブも魔女術の材料ですから」


「そうなの?」


「ええ。魔女術の基本は薬草学ですからね」


「で、この恋愛を維持させてくれるまじないかお守りはあるの?」


「そうですね……」


 美波は口元に指を当てて少し考えてから、キッチンの奥にある無数の引き出しのある棚に向かった。


「バスソルトなどで肌荒れしたことはありますか?」


「ないわ」


「お住まいはマンションですか?」


「そうよ」


「じゃあ……この辺かな」


 美波はいくつかの小瓶と乾燥ハーブの入った引き出しをそのまま持ち出した。


「料金ですが、五千円になりますがよろしいですか?」


「ええ。本当に効果があるの?」


 疑わしげな麻耶に美波は意味深な笑みを浮かべた。


「それは、それを信じる摩耶さん次第です。信じる者は救われると言いますからね。どうしますか?」


 しばらく考えた後、麻耶は決心したように頷いた。


「お願いするわ」


 摩耶の返事に美波はニッコリと笑って赤いベルベットの小袋を取り出した。そしてB3サイズのトレーシングペーパーのような薄い紙をカウンターに広げた。


「こちらはバイオレット——スミレ——の葉と花です。これを細かく崩します。これにラベンダーの花を加えます」


 菫とラベンダーの香りが混ざった香水のような香りが広がった。

 紙を折ってポプリのようになった物をまとめて小袋に流し入れ、黄色の紐で縛って小さな香り袋のような物を作り上げた。


「まずはこちらを。常に持ち歩くようにしてください」


「これがお守り?」


「今の恋愛を維持するお守りです。今から行ってもらうことと組み合わせると、2、3年は維持出来ると思います」


「2、3年……」


 たったそれだけのことで、この関係を維持できるのか? そしてなぜ2、3年なのかという疑問が麻耶の顔に浮かんでいた。


「結婚するかどうかを見極めるなら、ちょうどいい期間だと思いますよ」


 そう言うと美波は小さなミルクパンに少量の水を入れて火にかけ、そこに乾燥した何かの根を加えた。


「それはなに?」


「ナルドの根です。煎じるので、ちょっと待ってくださいね」


 ナルドとは甘松という和名を持ち、マルコの福音書十四章三節にてキリストの頭に注いだという香油が、この根から抽出したものとされている。

 美波は、さらに黄色い可愛らしい花がついたドライフラワーを取り出し、リボンで結んで小さな花束を作った。


「そう言えば、家はワンルームですか?」


「そうだけど」


「では、このトルメンチラの花束を部屋の天井から吊るしてください。好きな場所で構いませんけど、必ず吊るすようにしてください」


「トルメンチラ?」


「大昔から薬草として使われてきた植物です。現代でも薬や化粧品の原材料として使われています」


 現代でも使われている薬草と聞くと、不思議と安心するのが今どきの日本人だった。


「それを天井から吊るすのね。分かったわ」


「そして、彼と二人で写っている写真はありますか?」


「あるけど……」


 摩耶が自分のスマホを探りはじめたので、美波はあわててそれを止めた。


「お見せくださらないで結構です。その写真を印刷して、お渡しするナルドの煎じ薬を指につけて軽く振りかけてください。1日1回3日続けて行ってください」


「分かりました」


 返事を聞くと、美波はミルクパンの中身を別の容器に移し、冷ましてから小瓶に移し替えた。


「小袋はバッグに入れてでもいいので、必ずいつも側に置いてください。花束は天井から吊るす。煎じ薬は写真に振りかける。これでワンセットです」


 摩耶は差し出された三点のアイテムと美波を見比べた後、それらを受け取ってバッグに入れた。


「写真に振りかけるのは、1日1回、3日連続ね?」


「そうです」


「ありがとう。試してみるわ」


 摩耶は軽く会釈してお金を払い、店を出て行った。

 その背中を見送った後、美波は小さなため息をついて、店の窓際でまどろんでいた猫のモリーの頭を軽く撫でた。


「恋愛の相談事は気疲れするね」


 モリーも同意するようにニャアとひと声鳴いた。


「さて、お店前の掃除をしちゃわないとね」


 美波は店の入口側に置いておいたホウキとちりとりを手に店の外に出て行った。

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