都会の街で生きてる魔女の日常的おまじない!
くしまちみなと
第1話 呪いと不運のおまじない
そこは西池袋の公園そばにある小さなカフェ。
一見すると落ち着いた雰囲気のある隠れ家的な印象を受けるカントリー風の店のデザインだが、よく見るとそこここに普通のカフェでは見かけない小物が店先のあちこちに置かれていた。そして窓には小さな張り紙があり、そこには『占いします』と書かれている。
よく見ると置かれている小物は、ドリームキャッチャーなどのオカルト的なグッズだった。
カフェの名前は『ウィッチハウス』。
店主の
「ミス・モリー。今日もお客さんが来なかったらどうしよう? ここしばらく、お客さんが来てないのよねぇ」
美波が話しかける相手は、行儀良くカウンター席に腰掛けてミルクを飲んでいる八割れで赤茶色の毛並みをしたノルウェージャン・フォレストキャットだった。
モリーは何とかなるでしょ的な表情を見せてニャアとひと声鳴いてから、またミルクが入った皿に口つけた。
「自分で淹れたコーヒーを自分だけで消化するのも、そろそろ飽きてきたんだけどなぁ。そろそろ何か対策を立てないとダメかなぁ……」
別に相談されている訳でもないと思ったのか、モリーは顔も上げず、鳴いて相槌を打つこともしなかった。
美波が淹れたコーヒーをマグカップに並々と注ぎ、砂糖もミルクも入れずに飲もうと持ち上げた時、モリーがフッと頭を上げた。その直後、ドアに付けられたウィンドベルがリリーンと澄んだ音を響かせた。
お客が店に来た合図だ。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞー」
店内はそう広くない。
カウンター席が五席に、四人掛けテーブル席が二席。その内のカウンター席のひとつは、モリーが占拠していた。
「あの……ええと……」
お客は高校生らしき制服を着たボブカットの女の子で、眼鏡をかけた大人しめの印象のあるタイプだった。どこかオドオドしている様子から、コーヒーを飲みに来たわけではないと美波は察した。
「占い? それともおまじないかしら?」
美波の質問に女子高生はコクコクと頷いた。そして〝おまじない〟という言葉から自分が訪ねて来た店に間違いないと感じたのか、来訪目的を口にした。
「よく効く魔女のおまじないを教えてくれるって聞いてきたんですけど……」
「なるほど……」
「お姉さんが……魔女なんですか?」
美波が魔女と言うにはあまりにも若く見え、さらにカジュアルな魔女らしくない服装をしているため、女子高生は疑問に思ったのだろう。やや懐疑的な彼女の質問に、美波はニッコリと笑って見せた。
「そうですよ。私は魔女です。あんまり、そうは見えないと言われるけどね」
「はあ……」
美波の服装は極めて活動的なカフェの店員らしき姿だった。脚の細さを想像させるぴっちりしたデニムのスキニーパンツに白いシャツ。ローブをまとったり、煌めかしい宝石でジャラジャラと身を飾ってもいない。ごく普通の二〇代の大学生のようなカジュアルな服装だった。
本人から魔女ですと説明されても、にわかには納得しがたいのだろう。女子高生はまだ懐疑的な表情を消せなかった。
「これでも五〇年くらいは生きてるから、人生相談にもそれなりにのってあげられるわよ」
悪戯っ子のような笑みを浮かべた美波に、女子高生はさらに疑いの眼差しを向けた。
「本当に……そんな年齢なんですか?」
「さあ、どうかしら? うふふ……。御用があるならカウンター席に腰掛けて話をしてね。御用がないなら、回れ右してお店から退散すること。さあ、どっちにする?」
女子高生はどうしようか少し迷った後、小さく頷いてからモリーの隣の席に座った。
それを見た美波は、コーヒーカップにコーヒーを注ぎ、ミルクピッチャーを添えて彼女前に置いた。
「あの……私、頼んでませんけど……」
「サービスよ。コーヒーは嫌い? 魔女らしくハーブティーの方がよかった?」
「いえ……大丈夫ですけど……」
女子高生は首を振ってからコーヒーにミルクと砂糖を二杯入れて、添えられていたスプーンでかき混ぜた。
「で、ええと……貴女のお名前は?」
「篠田です。篠田亜子です」
「亜子さんね。どんなおまじないをご希望?」
亜子の見た目はそう悪くなく、所持品も年相応のものばかり。いじめられているような印象もない、極々平均的な女子高生という感じだった。ただ、彼女らかなり深刻な表情を見せていていた。
女子高生が深刻な顔を見せる時は、『恋愛』か『成績』、あるいは『いじめ』というのが古くから占い師の中では定番の予想項目だ。街占の占い師はその推測から大仰な態度で相談内容を当てて見せるのが基本中の基本だった。
だが、美波は亜子が話を切り出すまで、マグカップのコーヒーを飲みながら黙って待っていた。
その様子から自分の説明待ちだと気づいた亜子は、コーヒーをひと口飲んで説明をはじめた。
「二週間前まで、付き合っている彼がいました。でも、突然、嫌いになったと言われて、別れちゃって……。それ前まで、そんな素振りはまったくなかったのに……」
「別れる理由が分からない……かな?」
「そうです! 理由を聞いてもただ嫌いになったからって。前の日まで好き好き言ってたのに、一晩でいきなり変わって、何もしてないのに嫌いってなっちゃって……」
「なるほど……」
「あと、それ以降、妙についてなくて……。落ち込んでいるなら、占い師にでも見てもらえばってクラスの友だちに言われて……。でも、なんか占いとは違う気がしたんだけど、色々と調べていたら……ここの紹介記事が見つかって」
——ネットの書き込みか……。最近、ウチに対する書き込みを確認してないけど、何かいいこと書いてあったかな……。
「もしかして私、呪われているんでしょうか?」
呪われている。
その言葉から亜子が飛躍した考えの持ち主と思う人もいるかも知れない。でも今の世の中では、そう飛躍したものでもなかった。
占い師やまじないをネットで探すと、呪い代行や呪殺請負というサイトや書き込みなどが散見できる。女子高生でもそうしたサイトに入り込み、クラスメイトを呪うなど嫌な事件に発展するケースが、平成中期からたびたび発生していた。
もちろん、それが本当に効果を発揮する呪いかは分からないが、『類感魔術』や『感染魔術』のように呪いの噂を聞きつけ、呪われたと思い込むことにより、実際に〝呪い〟の効果が発生することもある。
何か失敗が続くとツキがないと感じる。そこに呪われたという噂が入れば、それは呪いの効果でツキがなくなったことになる。さらに思い込むことでより運から見放され、悪いことが起こりまくるスパイラルに入り込む。
全ては気のせいで片づけられるかもしれない。
しかし、そんな思い込みの力が発生させるヒステリーに分類される〝呪い〟だが、その効果はバカにできないものがある。呪われた当人にとっては、本当に〝呪い〟になっているからだ。
そんな状況に陥った者にとって、まじないとは、不安を取り除いて前を向くためのひとつの有効な方法でもあった。
「なにか思い当たることはあるの?」
「あたしの名前と呪うって書いた紙を学校の廊下で拾いました。他にも拾った子もいて……。身の回りに妙な気配を感じるし……」
今も周りに妙な気配を感じているというように、亜子は自分の体を両手で抱きしめながら辺りを見回した。
「なるほど……」
美波はカウンターの上に置かれた小瓶を取り、ローズのエッセンシャルオイルを指先につけて、配膳台に小さな魔法円を描いた。円と三角形を組み合わせた簡単な魔法円だが、三角形の頂点を亜子に合わせ、その各辺にそって筆記体の英文で呪文を刻んでゆく。
英文であっても筆記体ゆえに覗き見した亜子にはなんと書かれているのか理解できなかったが、描ききったそれは淡くぼんやりとした紅い色の光を放ちはじめた。それを見て美波は少し顔をしかめた。
「亜子さんは、別れた彼ともう一度付き合いなおしたい?」
「え……? いや、どうかな……。戻ってきて欲しいという思いはあるけど、なんか、一度こういうことがあると、なんかしこりになって上手くいかなそうだし……」
「そうね。もう終わった恋にしがみついてもいいことはないと思うわ」
そう言って美波はカウンターから身を乗り出し、亜子に顔を近づけた。
「さて、おまじないなんだけど、もちろんタダじゃありません。一応、お薦めのコース的には三千円と五千円のものがあるけど……どうしますか?」
「結構……高いですね」
「費用対効果は保証するけど」
「じゃあ……五千円の方でお願いします」
亜子は少し悩んだ後、思い切ったように高い方のコースを選んだ。その選択に美波は意外そうな顔を見せつつ、カウンターの奥に向かい、漢方薬店に見られるような無数の引き出しがある棚の前に立ち、考えながらいくつかの引き出しを開けて中に収められている物を取り出した。
「さて、まずはお店の浄化かな」
まず、美波は赤いホーローのケトルに水を入れて火にかけた。
「沸騰するまでちょっと待ってね」
「はあ……」
亜子は物珍しそうに美波がやることを見ていた。魔女術という亜子が知る〝おまじない〟というものとは異なる儀式に興味津々という様子だった。
美波はその間に銀のボールを用意し、そこに引き出しから取り出した小瓶の液体を数滴ずつ垂らしていく。
「それは、なんですか?」
「エッセンシャルオイルよ。レモングラス、シトロネラ、パルマローザ、ジンジャーグラス、ベチバーね。これにホホバオイルを混ぜるの」
美波は小さな泡立て器を使い、ボールの中に注がれた数種類のオイルを混ぜ合わせた。
さらに窓辺に植えてあったペパーミントをひとつかみ採ると、それをザルに入れて、ひと回り大きなボールを準備する。
「なんか……お菓子作りをしてるみたいですね」
忙しそうにキッチンで働く美波を見て、亜子はそんな感想を漏らした。
「キッチンで作業しているから、余計にそう思われることもあるかな。でも、大昔の魔女も竈門でお鍋を使っていたから、実はキッチンの作業だったのよ。錬金術は台所で生まれた——なんて言葉もあるくらいだしね」
ケトルから湯気が上がりはじめ、沸騰するのを待ってから美波は火を止めて、先ほどのペパーミントのザルに熱湯を注いでゆく。すぐさま周囲にミントの爽やかな香りが漂いはじめた。
ペパーミントに注がれた湯はすべてボールに溜まり、それが冷めるのを待ってから、美波は長く伸びたペパーミントをさらに数本採って束にしたものを使って店に振りまいた。
ペパーミントの香りが店中に広がるからそう感じるのかも知れないが、亜子は店内の空気が凄く澄んだものになった気がした。同時に今まで感じていた変な気配も消えた気がした。すべては気のせいなのだろうか?
「さて、浄化は終わりっと」
美波は棚から白いお皿を一枚取り出し、亜子の前に置いた。さらに青色の食品着色料を溶いた液体を入れた小皿に、竹串を添えて並べた。
「亜子さんには、このお皿にそのインクを使って十字架をみっつ描いて欲しいの」
「十字架をみっつですね」
亜子は言われるままに皿に十字架をみっつ描き込んだ。そんなことをするだけで、なんとなく気分晴れてくる気がするから不思議だった。
「ありがとう。じゃあ、この十字架を洗い流します」
「はあ……」
せっかく描いたものをすぐに流してしまう。なにをされているのか亜子は分からず、ただ頷いてカウンターの中の美波の作業を見つめた。
美波はペットボトルに入れてあった蒸留水をタラタラと流して亜子が描いた十字架を洗い流しはじめた。流した水は下に置かれたボールに溜まっていく。やがて皿の十字架は綺麗になり、ボールには極々薄い青色に染まった水が残された。
先ほどエッセンシャルオイルとホホバオイルを混ぜ合わせ物をそこに流し込んでいく。
「さっき混ぜたこのオイルは、ヴァンヴァンオイルという魔女のオイルのひとつなの」
「ヴァンヴァンオイル……?」
「マジカル・オイルという形で魔法グッズ店で売られていたりもするけど、自分で簡単に作ることができるのよ」
美波は説明しながら、そのヴァンヴァンオイルと薄青色の水を泡立て器で混ぜ合わせてゆく。
その混ぜ合わせた液体を200ccほど入りそうなガラス瓶に流し入れて封をした。
「もうひとつは……」
美波はまた引き出しの前にゆき、いくつかの小瓶と白い粉が入った小袋を取り出した。白い粉を乳鉢に入れて、小瓶のエッセンシャルオイルを二滴ずつ加え、粉と混ぜ合わせはじめた。
「これはアロールートの粉に、カモミール、ペパーミント、ウインターグリーンのエッセンシャルオイルを混ぜ合わせたものよ。で、乾燥するまで待ってね」
「はあ……。いったいなにをしているんですか?」
「魔女のまじないよ」
「魔女のまじない?」
おうむ返しの言葉に美波はにこりと笑って頷いた。
「亜子さんの予想通り、貴女は軽く呪われていたわ」
「呪いって! どんな呪いですか?」
とんでもないことを言われて亜子は慌てて腰を浮かしたが、美波は落ち着いてというように彼女の肩をポンポンと軽く叩いた。
「多分、ネットの呪い代行とかいう素人レベルの呪いだから問題ないわ」
「問題ない……んですか?」
亜子は不安を隠せない様子だった。
「まあ、簡単に払えるから安心していい程度ってこと。ただ、そのせいでちょっとだけ運のバランスが不の方向に傾いているのが今の状態だと思うの」
美波の呪いの説明を亜子は真剣な顔をして聞いていた。そのため、美波は安心させるように笑顔を見せながら話を続けた。
「まず家に帰ったらこの液体を足のくるぶし辺りに軽く塗って、1日経っても肌荒れしないか確認して。問題なければ、これを使って両足の裏を洗って」
美波は200ccほどの小瓶を亜子に差し出した。
「それで呪いは払えるわ」
「そんな簡単な方法で?」
「まあ、貴女に不運が訪れますように的な雑な呪いだったから、こんな感じの解呪方法で済んだの。複雑な呪いならもっと別のものを用意したわ」
中の粉末が亜子に見えるように乳鉢を掲げて、美波は説明を続けた。
「貴女に降りかかった不運を排除するおまじないがこちらの粉。本来は身の回りに撒くんだけど、貴女の場合はこういう袋に入れて持ち歩くといいわ」
美波はチャームバッグという指輪やパワーストーンを入れるような白い小さな袋を取り出した。素材はシルクで出来ているのか光沢があり、滑らかな手触りの袋だった。
「この袋に入れておくと、粉は自然に袋の目からこぼれてゆくからいつかなくなるけど、その間は、この呪いがかかった間に見舞われた不運の分だけ幸運が補填されるはずよ」
美波は小袋に粉を流し込み、黄色い紐でギュッと縛った。
「よく使うカバンなんかに下げておいてね。ただし、濡れないように注意すること。いい?」
「はい。濡らさないようにします」
「万が一濡れてしまったら、窓辺でお日様にあてて乾かすこと。いい?」
「分かりました」
「じゃあ、これでおしまい」
「これで?」
なにか怪しげな液体と粉が入った小袋に果たして五千円の価値があるのだろうか? 亜子じゃなくてもそう考えるだろう。
「効果があるかどうかは亜子さん次第かな。信じて行えば必ず効果はあると思うわよ」
「分かりました。ありがとうございます」
亜子は小袋と瓶をカバンに入れて頭を下げ、店を出ていった。
「ちゃんと信じて実行してもらえるといいんだけどな。まあ、どうするかはあの子次第よね」
美波の言葉にその通りというようにモリーはニャアとひと声鳴いた。
後日、亜子が顔を見せて、なんだか不運じゃなくなったみたいと笑顔で報告して来た。亜子が笑顔を見せられたのは、果たして魔女のまじないの効果だったのか——
その効果があったかどうかは、あなたが信じるか信じないか次第。それが魔女のまじない。
あなたもおひとつ、いかがですか?
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