第51話 ネイル-43 『クレアの青』
ネイルの両脚は火傷にただれた。歩けなくはないが、激痛に耐えきれない。古代竜の穴へと戻り、しばらくじっとしていることになった。
「これで貴様への貸しが一つ先行だ。どうして返す?」
「何を言ってやがる。これでチャラだ」
「何だと?」
動けないネイルとクレアに食料を運び、傷の手当てをしたのはドゥアたち海賊だ。
これは大きな貸しだと、彼は恩を売りつけようとする。この男のことだから、本当はそんな細かい話などどうでも良い筈だが。
「お前、宝珠やらは眼中になかったんだろうが。最初から、古代竜に会うのが目的だった。違うか?」
「ふっ。まあな」
悪びれることなく、あっさりと認める。代わりの要求も、してこなかった。
「奪い、奪われるのが俺たちの道だ。縄張りに帰る」
十日ほども経ってネイルが歩けるようになると、海賊たちは去っていった。
こちらに残れば、日々のんびりと必要な物だけを狩って暮らせばいい。そんな生活は、退屈で敵わんと言って。
それと去り際に、もう一つだけ言い残した。
「貴様らの棲み処と縄張りは、俺たちがもらう。文句はないだろうな」
「好きにしやがれ。オレはもう戻らねえ」
この島の流儀でなくとも、ネイルは敗北者だ。失ったものの所有を主張しても詮ない。それにクレアを、そんな場所に置いておきたくはなかった。
「あ――」
「どうしました?」
ドゥアが去って次の日に、ようやく気付いた。
「あの野郎、オレたちの棲み処を知ってやがったのか」
「そのようですね。縄張りも棲み処もとっておくから、いつでも帰ってこいと仰っていました」
あの偏屈は、そんなことを言わなかった。だがネイルも同じように受け取っていた。
「ああ。よく分かったな」
「あなたがたの言葉は、また特別です。でもようやく、少し聞き取れるようになりました」
「あん? 話してるのは共通語だろうが」
そう答えたものの「お分かりの筈です」と言われて、違うとは返せなかった。
意図して音を発さずとも、思いが伝わる。たしかにそれも、言葉のうちなのかもしれない。誤っているかもしれず、何とも曖昧だが。
「シリアスさまは、無事に帰られたでしょうか」
「気になるのか」
「もちろんです。あの方には、父の悪事を暴いていただかねばなりません」
サクレ男爵家の嫡男。シリアスは、いざこざの翌朝に帰っていった。腹の傷は深かったが、部下の肩を借りながらも自分の脚で。バドウ以下、生き残った刺客たちを引き連れてだ。
ネイルと寄り添うクレアを、どうしても連れ帰るとは言わなかった。顔を歪めて仰け反ったのは、痛みのせいだったのだろうか。
「この島は、我が男爵領だ。落ち着いたら、また来させてもらう」
「好きにしやがれ。命は保証しねえがな」
たしかそれが、最後の会話だった。
いかにバドウたちという証拠があろうとも、侯爵家の悪事を男爵家が裁くのは生半可でない。
それでもやってもらわねば、王国に憂いを残す。というのは建前で、それが自分に出来る最大の意趣返しだとクレアは言った。
「心配は要りません。婚約者だったのは、形だけのこと。わたしはずっと、ネイルの傍に居りますよ」
「――オレが何を心配したってんだ」
古代竜の巣穴に二人。まだ長く立ってはいるのはつらい。向かい合って座る。
尽くことない松明の光だけが、様子を見守っていた。奥には先日まで秘宝であった、炭が転がり。ここへ至る通路には、小竜の屍が横たわる。
ある意味で、この島を集約したような。岩山の内に開けた、巨大な空間。
ネイルとクレア、互いの息遣いの他は何も聞こえない。神代から生きた古代竜の棲み処に相応しい、荘厳な場所だ。
「心配なら、この指輪をこちらに移していただけませんか?」
彼女は指輪の嵌まる右手を示し、次に左手も出した。
「何の意味がある」
「世界に大神は十柱。左手の薬指は結婚と契約の女神、メレドアを示します」
「結婚の印ってことか?」
「その通りです」
神は存在する。しかしそういう決まりごとの多くは、人間が勝手に決めたものだ。ネイルが倣う理由はない。
けれどもそれで、クレアの気持ちが動かないのなら。やってみても良いと思う。
――何て女々しいんだろうな、オレは。
「クレアもそうしたいのか?」
「わたしを、つがいと認めてくれるのなら」
ゆっくり、力強く。クレアは頷いた。ならば迷うことはない。
――オレたちは、結婚するんだ!
そう考えた途端、鼻息が勝手に噴き出した。胸が高鳴り、指輪を外そうとする手も震えてしまう。
「よし、いくぞ」
ようやく外し、彼女の左手を取る。震えているのが
そこで「あっ」と、クレアが声をあげた。緊張の中、どうしたと聞くのも上ずってしまう。
「わたしを抱えてください」
「抱える? こうか」
彼女を左腕に抱くと、向かい合わせよりも指輪が嵌めやすくなった。求めずとも応じてくれる気遣いが、彼女を守るという気持ちをさらに高める。
しかし今回は、そういう理由ではなかったらしい。クレアは一旦おちついて、またもぞもぞと動く。
「どうしたいんだ?」
「指輪を嵌めるときに、相手に望むことを言うのです。まずはわたしから」
その説明では分からない。が、好きにさせた。彼女が自分でやろうというのに、水を差すことはない。
「わたしをずっと。どんな時も。傍に置いてくださいね」
クレアは首までよじ登り、囁いた。それからその唇を、首すじに押し当てる。
相手が違えば、致命傷を覚悟せねばならない。背筋に冷たいものを感じる行為だ。しかし彼女ならば、むしろ温かい。いや熱い。
唇を押し当てる意味は分からなかったが、きっと誓いを表すのだろう。
「クレアに望むこと、か」
「ええ。互いが死ぬまでの約束です」
もしも叶うなら、望みは一つしか思い浮かばなかった。
だがそんなことを言えば彼女は悲しみ、苦しむのではないか。死ぬまでずっとそれに縛るなど、拷問ではないかと思う。
「今すぐできなくても。そうなればいい、ってことでもいいのか?」
「それは素敵ですね。叶えるように頑張れます」
「そうか……もしも、そんなことが叶うなら」
クレアに嘘は言いたくなかった。だから無理をさせるつもりはない。そうなるように、魔法でもかけるようなつもりだった。
この指輪は、古代竜の遺した秘宝なのだ。それくらい願っても良かろうと。
「できればでいい。いつもオレに、笑っていてくれ」
奇跡を願う言葉。叶わなくとも構わない。けれどもそうなったとしたら、もっと世界は愉快になるだろう。
だから強く。強く。強く。
クレアに光をくれと、指輪に願った。
「ネイル……」
沈む声。残酷な言葉ではあったろう。それはすまないと思う。
だがネイルの見た、彼女を笑顔の話をしよう。クレアの心が笑っていれば、それでいいのだ。
「え……?」
碧い石が、その奥底から眩い光を放ち始めた。目の見えないクレアに、それは分からない筈だ。
しかし疑問の声は、彼女が先だった。クレアに何か、起こっているのだ。
「ネイル。ネイル!」
碧い光は、クレアの全身を包んだ。
何が起きるのか見据えたが、もう一度ひときわ強く光って消えた。あっさりと、朝靄よりも潔い。
彼女の顔が強張っている。やはり何かはあったのだ。
呼吸は少し荒く、体温も上がっている。だがそれでどうこうとまでは、ないように見える。
「ネイル――あなたの、あなたの顔が見えます!」
「……なに?」
クレアの瞳は、いつもと同じように。まっすぐネイルを見つめている。
その端に透明な水晶が輝き、流れ落ちた。けれどそれよりも、中央の輝きは万倍も美しい。ほんの一瞬前までは白く濁った眼に、希望を映した色が差す。
「ああ、オレにも見える。クレアの青い目が」
サッドを囲む海のように、透き通る青がそこにあった。
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