第46話 ネイル-38 『選択の光芒』

「ぐう――っ!」


 詰まった息。その後に、押さえつけた呻き声が続く。すぐに、ザッと岩場に浮く砂が乾いた音色を奏でた。


「シリアスさま!」


 部下たちが駆け寄る。彼は腹を押さえ、前かがみに膝を突いていた。そのまま「うぅん」と唸って、地面に倒れ込む。

 顔には脂汗がにじんだ。痛みに目を細めているが、意識はあるようだ。部下たちはそろって屈み、何ごとが起きたか主の身体に目と手を向ける。

 集まった中で、悠然と立ったままシリアスを見下ろす者がひとり。


「まったく。女性の口説き方くらい、もう少しうまくできないものですかね」


 ふざけたようなセリフも、睨みつけ、吐き捨てる口調だった。現実に、唾を吐きかけもした。


「そんなことだからあなたの家は、いつまでも日の目を見ないのですよ」

「……バドウ、きさまぁ」


 奥歯で磨り潰したそしり。太く押し延べたシリアスの声は、短い言葉の最後まで続かない。

 藍の髪を後ろに撫でつけるバドウ。反対の手には、至極細い銀の色が見えた。よく見かけるナイフの半分ほどしか幅がなく、その割りに刃長は短剣ほどもある。明らかに刺突を狙う暗殺用の武器だ。


「意外ですか? 私は侯爵家に仕えているのですよ。その利益の為に動くのが当然でしょう」


 右の中指を延長したような刃の先に、いまだ血の雫が見える。


「見限られた役立たずのお嬢さまに尽くす。そんな選択を私がするとでも? あり得ないことだ」

「言いたいことはそれだけかっ!」


 部下たちの、リーダー格の男が吠えた。剣をバドウへ向けると、他の部下も一斉に矛先を変える。

 ネイルが敵でなくなったのではない筈だが、部下は主に似るらしい。一本気というのか、馬鹿正直な奴らだと思う。


「もちろんまだありますとも。男爵家の嫡男が、お嬢さまを殺害した現場を取り押さえる。その計画が台無しです、どうしてくれますか」

「ぬけぬけと――」


 革鎧を着ていてさえ、薄い胸板。多勢に無勢で、切り抜けるだけの自信があると言うのか。バドウはあからさまな嘲笑で煽った。


「一人だからと遠慮は無用だ、取り押さえよ!」


 もともとがバドウは、シリアスのすぐ傍に居た。その部下たちの囲む真ん中ということだ。それが一度に襲いかかる。


「では逃げるとしましょう」


 嘯いて、悪しき正体を見せた執事は身を翻す。だが一人や二人の手を逃れたところで、囲みは抜けられない。

 行き詰まった風に足を止めたバドウは、両手を肩まで上げて観念した素振りを見せる。だがネイルには、どうにもおどけているようにしか見えない。


「観念しろ。きさまだけで逃げられるものか!」

「そうでしょうか?」


 見下した笑みのまま、執事は腰に手を当てた。そこから片手に隠れるほどの小さな袋を取り出し、ひょいと宙に放る。

 あの細い暗器が、それを切り裂く。と、瞬間で視界が真っ白に塗られた。離れていたネイルはまだしも、直近に居た部下などは「目が! 目が!」と悶え苦しむ。

 たしかに数拍以上が経っても、目の前に黒い膜を下ろしたようで何も見えない。太陽を直視すれば、丸い影が長く視界に居座るのと同じだ。

 しかし段々と薄くなりつつある。ずっとこのままと、心配する必要はない。

 けれども怖かった。この時間にクレアがどうにかなれば、どうも出来ない。せめて彼女を腕に抱ければと思っても、その位置さえ知れないのだ。


「クレア! どこだ、無事か!」

「ネイル、ここです!」


 部下たちの苦悶。バドウへの怨嗟。そんな声を突き抜けて、互いの声は届いた。

 その方向を頼りに、足を動かす。誰かを突き飛ばし、誰かの背を踏んだ。殺すのを愉しむ趣味はない。痛いと叫ばれれば、足の向きを僅か変える。

 だが逆にそれで済む分には、多少は良かろうと。結局は蹴散らして進んだ。


「ネイル!」


 探り当てた細い身体が、飛び込んでくる。胸に頰ずりするのを抱きしめた。まだ見えないが、匂いで分かる。声も間違いない。

 手許に取り戻すと、また怖くなった。この腕にあってさえ、見えなければ何をされるか分からない。

 そうだ。と思い付いて、赤子を抱くように両腕にかかえた。


「ネイル、苦しいです」

「少し我慢してろ。オレの目が戻るまで」

「目を? 見えないのですか!」

「ちょっとな。すぐ治る」


 そうですかと答えたものの、クレアは十を数えるよりも早く「見えますか?」と。それからまた五つを前に「治りそうですか?」と問う。

 そんな彼女は、ずっとこの視界で生きているのだ。そう思うと、悲しくてたまらない。

 この島で生きるには過酷な、か弱い生き物を守りたい。その想いがあとからあとから溢れ、膨れ上がる。

 比例するように涙もとめどなく。しかし悲しいのではないと思った。胸は苦しいが、温かい。

 ――絶対に。死ぬまで。死んでも。この腕を離しはしねえ。

 この感情に名はあるのか。こんな気持ちがあるとは知らなかった。


「バドウが何かしたのですね……」


 ようやくぼんやりと見えるようになって、クレアも落ち着いた。すると彼女は、とうに姿の見えなくなった執事のことを聞く。

 あの男は自分の口で、クレアを役立たずと言った。汚い計画もだ。

 もうクレアの庇護者にはなり得ない。そのことになぜかほっとした感覚があって、どういうことか戸惑う。


「シリアスだったか? あの男は、その腹を刺して逃げたよ」


 答えずに居たネイルに代わり、ドゥアが言った。

 同族同士が傷つけ合うこと。その原因がクレアということ。それをあらためて告げても良いものか、ネイルは迷っていたのだ。


「腹を――? シリアスさまはご無事なのでしょうか」

「無事、ではないが。何とか死にはすまい」

「そうですか……」


 バドウは既に逃走した。どちらへ行ったかネイルは見ていない。だが「止まれ!」と追う声が、だいたいの方向を知らせる。

 難を逃れた部下は意外に多く、捕らえられるのは時間の問題だろう。

 シリアス当人の心配をする義理はなく、他に続ける言葉もない。だから何となく、そちらの方向を見ていた。

 ドォォォ……。

 一転。先の白い閃光とは異なる、真っ赤な火が轟音を響かせる。小高い丘の麓で、その丘を呑み込むほどの炎が夜の空を照らす。

 何が起こったのか、その場に残る誰もが言葉を失った。

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