第42話 ネイル-35 『行違う言葉』

 池に閉じ込められた小竜たち。その怒りは激しいものだろう。古代竜と共に居たのと違い、ドゥアに感ずるところもないらしい。

 足音はまだ遠い。だが確実に、こちらを目指している。クレアをさらった者たちが、解放したのは疑いようもない。


「少数ずつならともかく――何か手はあるか」

「手? あるさ、左右に一つずつな」


 問われても、そのくらいしか答えようがない。人間の臭いを辿っているのであれば、ネイルだけで逃走すればあるいは無事で済む。

 だがそれでは、この場を逃れる術にしかならない。クレアを取り戻すには、ドゥアたちの協力が不可欠だ。

 何よりそのやり口が、人間味を帯びて穢らわしい。


「そうか。俺にはもう一つ、奥の手がある。通用するかは、やってみなければ分からんがな」

「何でもやってみるさ。駄目ならせいぜい笑ってやる」


 その奥の手とは何か。聞こうとしたところに、何やら頭上が騒がしい。囲む崖の上には、夜の空しか見えていない。


「危険です、お待ちください!」

「……ネイル! わたしはここです!」


 ネイルの背丈で三倍ほどもあろうか。高い崖の縁に、クレアが顔を出した。腕を引っ張るバドウに構わず、強引に這いずってきたらしい。


「クレアぁっ!」

「ここです! わたしはここに居ます!」


 生きている。クレアは生きている。

 安堵など、もちろんできない。彼女は囚われているのだ。しかしもう、会えないのではと。不安に対する歓喜は、絶大だった。

 ――まだ間に合う。

 ネイルの生きてきた時間は、決して短いものでない。人間で言えば、壮年の年代に当たる。己の肉体に知らぬことは、何一つないと思っていた。


「クレア待ってろ! お前はオレが、必ず守る!」

「――はい!」


 仲間を求め、自分がそうだと答えがある。それの何と心地よいことか。

 これほどに心強く、血潮を熱くさせる想い。小鬼に、猪人に、蜥蜴人に。いったい味わわせてやれたのか。

 それは、否だ。

 やっていたのはホルト。生涯の相棒。永遠の友。心の底から、不実をすまないと思う。だから今から、どんな仲間も必ず守る。

 そんな気持ちが、体内をはしった。どうすると考える前に、拳が崖にめり込んだ。

 岩を一つと言うなら、これまでと同じだ。だが目の前にあるのは、ネイルとドゥアと、その仲間をぐるり囲む岩の壁。

 瞬間。その一面に亀裂が走った。


「それはオレの仲間だ。他は何でも許してやるが、そいつだけは譲らねえ!」


 もう一度。クレアの足の、遥か下を打ち抜く。崖上では落下を危ぶんで、騒ぐ声が賑やかしい。

 その通り、一枚の壁であったものは崩れ落ちる。それでも巨岩と呼べる大きさの塊を降らせ、あやうく海賊たちは押し潰されるところだった。


「こちらは問題ない。構わず行け!」

「言われねえでも!」


 屹立した壁はなくなり、大小の岩を積み上げた斜面が出来上がっていた。ドゥアに促され、ネイルは一歩ずつ踏みしめながら登っていく。


「人間ども、ここはオレたちの世界だ。どうして我が物顔にできると思う。どうしてオレたちの掟に従わねえ!」


 登る先へ、男たちは横に並ぶ。クレアはその後ろに引き戻されてしまった。

 彼らは肉体を壁に、通すまいと言う気か。防具は先に見たのと同じ革鎧と、小さな盾を持っているだけだ。あれでは鬼人の爪を防げない。


「勝手なことを言わないでもらいたい」

「勝手なのは、お前らだって言ってんだ!」


 じりじり後退する男たちの前に、バドウが歩み出る。ぴしと背を伸ばし、両手は軽く腰の後ろへ。武器を隠し持っている風ではない。姿勢が良いだけの、全くの無防備な体勢で。


「砲まで持ち込み、静かな土地を荒らしたことは謝ろう。だがこちらにも事情がある。君たちが人間から略奪するのを、掟と正当化するように」

「何が事情だ、同じだとでも言う気か」


 慌ててはいけない。奴らの気が変わって、すぐこの場でクレアを殺すこともあり得る。それをひと息に止めるには、この足場は頼りない。


「略奪を否定はしないのだな。その姿勢は潔いが、その道にお嬢さまも連れ込む気か。そんなことはさせられない、お嬢さまの選ぶべき道は他にある」

「やかましい。そんなことを、お前が勝手に決めるんじゃねえ」


 ネイルに続いて、海賊たちも斜面を登ってくる。ドゥアは最後尾で、まだ足もかけていなかった。

 ゆっくりとした進軍だが、敵は背を向けて後退ともいかない。鬼人の知識はどれほどか、一歩の距離が比較にならないのは一目瞭然だ。

 その上で、小竜たちもやってくる。高みの見物を決め込むつもりだったのに、道が拵えられてしまった。その点、気が気でない筈だ。


「バドウ。半信半疑であったが、言葉の通じる鬼人とは珍しいな」

「はっ――」


 クレアの消えた方向から、よく通る別の声が上がる。それは「通せ」と命令口調で、男たちを掻き分けて姿を見せた。


「私が話そう。聞く限り、それが道理だ」

「ご随意に。しかしお気を付けを」


 一人だけ金属の胸当てを着けた、騎士然とした男。素材の良さそうな衣服は、他の者と同様に汚れている。

 銀灰色アッシュグレーの髪は短く刈り込まれ、頰は日に焼けている。首や腕など肌の見える限り、引き締まった身体つきだ。歳をとれば、ドゥアのような雰囲気を纏うのかもしれない。

 明らかにバドウの態度が違う。短く「うん」とあって、彼は一歩さがった。


「お初にお目にかかる。私はサクレ男爵家が嫡男、シリアスという。クレア嬢の婚約者と言って、通じるだろうか?」


 剣の柄尻を左手で押さえているのは、まだ戦う気でないという意思表示か。クレアとさほど変わらぬ年ごろの若き騎士は、堂々と名乗った。

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