第39話 ネイル-32 『ありし日の』

 あれは、いつの日か。

 海はいつも騒がしく波立ち、大地には緑濃く、風は気紛れに吹く。今と何ら、変わりなかった。

 きっとまだ幼い。ネイルもホルトも、少年と言って苦笑いで済むころのこと。

 初めて人間という存在を知った。


「ホルト。あれはなんだろうな」

「なんだろうなぁ。同じようなのが、たくさんあるなぁ」


 強い集団の傘下にあって、自由を体感したことはない。森が途切れ、草もまばらな道の先に、人間の街を見つけた。

 木を組み合わせて四角にしているのは分かるが、それが何か見当もつかない。しかも同じような物が三つ四つ並んで、その集合がまたいくつもある。

 人間の住む、家という物とは思い至らない。棲み処とは岩や土に空いた穴か、藪の中。例外は水棲の魔物くらいだ。

 しばらく経って、人間を襲うようになった。教わった通りに、彼らは野山にない物を持っている。

 まだまだ半人前の二人でも、倍の人数を容易に倒した。持つ武器は凝っていたが、満足に使いこなす者は稀有けうだ。


「人間は弱えな。鹿より遅えし、兎より勘が鈍い」

「まったくだ。この塩っぱい肉が、何とも言えねぇ。これは人間を襲わないと、手に入らねぇからな」


 町に近い辺りは、強力な集団の縄張りになっている。だからネイルたちの居る辺りまで来る人間は、完全に武装を整えた者たちか、少数かつ徒歩で目立たないように移動する者たちだった。

 前者はさすがに人数も多く、手を出さなかった。後者は速やかに移動できるよう、武装などないに等しい。

 ネイルもホルトも、その差を理解していなかった。

 ある日、馬車を三両連ねた隊を見つけた。荷台には布がかけられ、大量の荷の輪郭が誘惑する。

 その数日前に出会った、同じく二人組の狗人に協力を求めた。

 相手は一両ごと、御者の隣に一人乗っている。都合、六人だ。こちらが四人だから、何の不都合もなく狩れると踏んだ。

 まだ幼い時分とはいえ、ネイルの身体はどんな人間よりも大きかった。気付かずゆっくり進む先頭に飛び出し、驚いて前脚を上げた馬を殴り殺す。


「脚が止まった! 襲え!」


 考えれば、気付いた筈だ。三両もの馬車が、どうして何ごともなくここまで到達しているのか。

 ネイルも他の三人も、遂に見抜くことはなかった。

 雄叫びを上げて、狗人の二人が二両目に躍り込む。彼らは混血メックでなく、共通語は話せない。野獣と変わらぬ咆哮だ。

 反撃のかけ声が、上がる。荷を隠していた筈の布が内側から捲れ、武装した人間たちがそれぞれ四人ずつ姿を見せた。

 十二人の完全武装した人間。それ以外も合わせれば、十八人。到底勝ち目はない。


「罠だ、逃げろ!」


 ホルトは叫び、ネイルに剣を向けた一人を引っ掻く。続く一人をネイルが殴り、その手にあった短槍をホルトが奪う。

 槍は一人目の喉を突き、逃走の猶予を作った。二両目と三両目に挟まれた狗人たちは、もう救う手立てがない。

 見捨てて逃げた先。海辺の岩場に、いつもながらの荒れた波が打ち付ける。砕ける音が、敗北を嘲笑うようで腹立たしい。それは長く、耳に残った。


「人間もなかなかだな――」


 個々がひ弱な事実は変わらない。武装をしていようが、相手が一人であればネイル一人でも負けはあり得ない。

 人数を集めれば、どんな生き物でも侮ってはならないのだと痛感した。


「なかなかどころか、人間は強ぇ。ことによっちゃぁ、いちばん強ぇのかもしれねぇ」

「そこまでか?」


 乱した息を整えつつ、相棒は淡々と漏らす。怖れた様子ではない。冷静に、敵を評価しているのだ。


「あぁ、そうだ。あいつら、今日は何の為に来たと思う?」

「そりゃあ……」


 問われても察せず、答えようと考えてようやく分かった。

 あの人間たちは、こちらを狩りに来た。しかもネイルたちだけを狙ったのでない。どの道順か知らないが、道々で襲ってきた者たちを返り討ちにしてきたのだ。

 その行動は、根本的に魔物と異なる。魔物は獣と同じく、そのときに必要な狩りしか行わない。

 ゆくゆくの障害を根絶やしにしようと、狩りの為の狩りなど思いもよらないことだ。


「向こうの島には人間ばかりが居るって聞くが、冗談じゃなかったってことか」

「島じゃねぇよネイル。あっちは大陸だ。この島をいくつ並べたって足りも何ともしねぇほど広い。それをあいつら、支配してるんだ」


 一人ずつは毛皮さえ持たず弱いから、あの木を組み合わせた家に住むのだ。しかもその周りを、石の壁で囲う。

 珍しい食べ物を作る器用な手で、ネイルにも傷を付けかねない武器を持つ。こちらの予想外の方法で、根絶やしにしようと知恵を絞る。


「ああ。あいつら、オレたちを滅ぼすつもりかもしれねえ」

「かもじゃねぇよ、きっとそうする。あの場所は、その最初に違いねぇ」


 俺たちも仲間を集めよう。そうすれば、魔物同士の戦いでも有利になる。さっきの人間たちにさえ、勝つことが出来る。

 ホルトはそう提案した。しかし問題がある。戦力になるような魔物に声をかけても、争いの元だ。死なせてしまった二人組のようなのは少ない。


「だからさ、俺たちみてぇのを集めりゃいぃんだ」

「オレたち?」

混血メックさ。言葉が通じりゃぁ、人間みたいに作戦が立てられる。俺たちが親なんだから、少しは言うことも聞ぃてくれるだろうさ」


 それがどこまで有効なのか、ネイルに見通しはなかった。けれどもこのまま二人で居ては、人間にも魔物にも避ける相手が生まれてしまう。

 自分よりも遥かに頭のいい相棒の意見を、信用するしか選択はない。嫌々でなく、それがネイル自身の判断と同等だから。


「分かった、そうしよう」

「うん。じゃぁ、あいつらの町を見に行こうぜ」

「何の為に?」

「行けば分かる」


 こっそりと。逃げた相手がどこに待ち受けているのか、怯えながら町に向かった。

 辿り着いた町は、夜に眠っている。だが外壁の上には煌々と火が焚かれ、見張りの人間が重武装で目を光らせる。

 その光景を、ホルトは「いいな」と評した。


「ネイル。あれを作ろう」

「あれ?」

「町だよ。俺たちの町だ。人間に作れるものを、俺たちが作れない筈はねぇ」


 彼はそこに何を見たのだろう。何であれ、羨む気持ちに違いない。

 しかしネイルは違った。あの石壁が、魔物との隔たりそのものに見えた。魔物ばかりが棲むこの島にあって、魔物を拒絶する人間の勝手な主張。

 ――ここは、オレたちの島だ。

 死の抱擁をすり抜けたネイルの目に、強固なそれらは泰然としていた。それが人間を卑怯と断じたきっかけだったのかもしれない。

 自らは傷付かない鉄壁の方策を用い、魔物たちの楽園を蹂躙する。そんな非道を受け入れることは出来ないと感じた。

 だから町を作ろうという言葉には、とうとう返事をしなかった。


「――ここはオレたちの島だ!」


 叫び、目を覚ます。

 夢を見ていたらしい。倒れているのは、古代竜の居所へ至る通路。だらしなく伸ばしていた腕に、金の毛並みをした小動物の姿はない。

 首を巡らそうと動かせば、頭の奥が激しく痛む。

 それどころではない。あれを失くすわけにはいかないのだ。構わず見渡す。だが視界には、気付いて向かってくるドゥア。それにその仲間たちしか映らなかった。

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