第38話 ネイル-31 『破烈の業火』

 失われた帝国の皇帝と、その帰りを待ち望んだ古代竜。「約束の地に花の一つも手向けよう」と言ったのは、ドゥアの仲間の一人だった。

 にわかに始まる酒盛り。意図に共感はなかったが、やめろと言う理由もない。誰も眠ってしまうまで、ネイルもまた、食って飲んだ。


「さて、用も済んだ。行くとしよう」


 全員が起きるのを待って、ドゥアは告げる。そこらじゅうに油を撒き、火が放たれた。


「いいのか。使える物もあるんじゃねえか」

「欲しい物は奪うのが、俺の生きる道だ」


 そう言いながらも、ドゥアの手には一つ、透明な球があった。液体でも入っているように、黄金に光を放つ粒子が中で踊っている。


「じゃあそれは何だ」

「こいつは竜珠ドラゴンオーブだ。これがあれば、いつかあの竜も生まれ変わる。それまで封印しておけば、竜が集まることもない」

「へえ、そいつが――売れば金になるぞ」

「同じことを言わせるな」


 古代竜の作った宝物は、いとも簡単に燃え尽きた。火打ちを使えば誰でも熾せる炎で、どこででも見られる赤い揺らめきを大きく伸ばして。

 ドゥアは竜珠を大切にしまい込み、高い頭上へと抜けていく鎮火の煙を背にした。


「結局オレは、必要なかったな」

「備えを用いなかったとて、無駄とは言わん。貴様の頼みは聞いてやる」

「当たり前だ。お前には貸しがあるぜ」


 歩き始めたばかりの足を止め、「貸しだと?」とドゥア。ネイルも止まって、彼の腰にある湾刀を睨みつける。


「――聞いていたか」

「さあな」


 真実を事実として固定させるのが、必ずしも良いとは限らない。仲間が皆満腹になったなら、どれが一番うまかったかなどどうでも良いことだ。


「分かった分かった。それで貸し借りなしとしよう」


 軽いため息とともに、ドゥアはクレアに視線を向けた。何を思うのか、ネイルの胸に寄り添う彼女をじっと。

 仲間たちが追い越し、とうとう最後尾が通ったあと、ようやく次のセリフが発せられる。やれやれというように、小さく首を横に振りながら。


「せいぜいどこぞに置き忘れぬことだ」

「うるせえ」


 ネイルもそれに、嘲笑めいて口角を上げる。この腕に抱えていれば、クレア一人を守るのは確定事項だ。

 何の不安があるものか。とまで言葉を浮かべたのは、余計だったと自身でも思う。

 海賊たちの、列の後ろを行く。大きな扉をくぐり、やがて石積みの通路を過ぎ、外光が見えた。まだ夜にはなっていないらしい。

 先頭がそろそろ外へ出る。その様子を、それが行く先なのだから、自然と眺めていた。


「待て、まだ早い!」


 静止の声とともに、先頭の二人へ黒い影が覆いかぶさる。その物体に視界を奪われ、彼らはその場で何ごとかと叫ぶ。

 布だ。大きな布が、どこか上のほうから投げられたのだ。そうと気付いて、逃げろと誰が言う前に、弓鳴りがする。

 一人に五本も刺さったろうか。いずれも胸や頭の周辺だ。致命傷は免れない。


「退がれ! 外へ出るな!」


 鋭く指示を飛ばし、ドゥアは前に走る。ネイルもまた、先を争うように。

 出口が間近になると、暮れ始めた空に射手が数人見えた。人の足で二十歩ほどだが、岩場の上に陣取っている。

 ――あれくらいどうってことはねえ。

 それほどの強弓とも思えない。いつかの落とし穴も、岩ばかりのこの地では使えない。先手必勝ではないが、ネイルが暴れればどうとでもなる。

 しっかりつかまっていろと、クレアに囁く。弱い声が「分かりました」と。細い腕が、彼女の身体のどこよりも太い腕に絡みついた。


「てめえら覚悟はいいか!」


 飛び出せば、ドゥアたちも死角を使えるだろう。いきなりの遭遇ではあったが、好都合かもしれない。囲まれた状況では、ドゥアたちも戦う以外の選択肢がないのだから。

 棲み処を襲った奴らと信じ、動くものがなくなるまで叩き潰してくれる。瞬間に沸騰した怒気が、ネイルの全身をより赤く染めた。

 駆ける一歩ごとに、失った仲間たちの顔が思い出される。小鬼たち、猪人たち、蜥蜴人たち。

 鬼人と人間の混血。純粋な鬼人には及ばずとも、その力は人間の比ではない。最良最高の相棒を奪った罪。その身に刻んですり潰してくれる。

 ネイルの怒りを読み解ける者が居たとすれば、きっとそんな呪いに満ちていた。


撃ててえっ!」


 正面の左右に固まる一団。その一方を、まずは粉砕しようと思った。次に振り下ろす筈の拳は、まだ前進していない。

 その耳に、馴染みのない轟音が届く。音ばかり巨大で、薄っぺらい破裂音が。

 その正体が何かとは考えなかった。

 否、考える暇はなかった。ネイルの巨体は、自身の意図と反して後方に吹き飛ばされる。

 前に進んでいる筈。行く先に拳を叩き込む筈。そう認識する意識と裏腹に、景色が前に流れていく。驚愕したドゥアとその仲間たちが、先へ先へと進んでいく。

 どうして追い越されたのか、まだネイルには理解できない。彼らの声が、水の中で聞くようにくぐもっている理由も。

 それが収まって、やっと火薬の臭いに気付いた。薄れる意識の中、次の弾を文字通り火と吹く砲も見えた。

 ――撃たれたのか。早く起きなきゃな。クレアは怪我をしてねえかな。

 たしかな意識を持っていても、羽のように何の負担にもならぬ彼女。その感触があるのかないのか、判明を待つ前にネイルの意識は途切れた。

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