第36話 ネイル-30 『海賊の系譜』

「ベルドゥランは、旧帝国を開いた皇帝の名です。採掘場や、珍しい資源が採れる場所を重点的に侵略し、強大な国力を整えました」


 絨毯の上に毛布を重ね、クレアは横たわって話す。竜の城へ入ると言ってから、もう一日以上を続けて歩いてきた。疲労に顔色を落としている。


「ですがある時、大陸南方の一部が叛乱を起こしました。領地は分断され、二度と戻りませんでした。現在の王国領です」

「そうだ。その馬鹿な皇帝が、俺の先祖に当たる。十代も二十代も前で、他人も同然だがな」


 ドゥアは古代竜の遺した品々を、一つずつ手にしていく。物色には違いなかろうが、荒くれ者の海賊とは思えぬ優しい手つきで。


「俺の親は、旧帝国領の商人だった。皇家とはちょっとした繋がりがあると、怪しげな文句が好事家こうずかには受けていた」

「お前も大陸に居たのか」

「ああ、ガキの時分にはな。そんな商売だ、いつか詐欺を疑われるさ。母親と三人、持てるだけの荷物を持ってこの島に来た」


 血筋の話は聞いていなかったのか、と。クレアは問う。

 とうの昔に死んだ者と、目の前に居るドゥアと。繰り返す親子関係が地続きかなど、ネイルにはどうでもいい。

 だがその皇帝の帰還を待ち侘びた、古代竜の想いは分かる気がした。

 もしも千年を待てば、ホルトが還ってくる。そう信じられたなら、千年生きる方法を必死に探す筈だ。

 そのとき訪れたのが、ホルトに似ているだけの別人であればどう思うのか。子孫という肩書きが付けば、感じ方も違うのか。

 そこまでは想像が及ばない。


「聞いていた。だがな、そんなホラ吹きの話をどうして信じる? ドゥランなどと粋がった名を子に付けて、子どもじみた妄想としか考えなかった」

「それでドゥアか、横着しやがって。けど結局、信じたってこったろ? でなきゃお前は、ここまで来なかった」


 手を止めて、ドゥアはそれを腰に向けた。提げられた道具袋から、手探りで何か取り出す。


「例の軍船で、こいつを見つけた」


 摘んで見せる手に、すっぽり収まりそうな小さな本。読めと言うなら勘弁しろと、眉を寄せた。

 木箱に記された品名とか、その程度ならばネイルも文字を読める。だが長文は話が別だ。それにあんな物をちまちま捲るなど、気が遠くなりそうだ。


「ベルドゥランの日記――いや、備忘録のようなものだ。この施設や、古代竜のことが書いてあった。いつか彼の下に戻ると、誓いもな」

「それがお父さまのお話と、一致したのですね」


 察したクレアが声の調子を落とした。ドゥアは「はっ!」と、やや呆れたように笑ったが。


「どうおだてても、お父さまという柄ではない。しかしそうだ。魔術を付与した道具に、皇帝の帰りを待つ古代竜。少なくともそれが夢語りでないと知れた」


 ネイルの知るドゥアは、律儀な男だ。出会えば争ってばかりだったが、ここまでという一線を必ずどこかに用意している。

 だから互いの棲み処を探り当て、そこを襲おうなどともしなかった。こちらが劣勢なときにも、狙った獲物を奪うのに必要なだけしか被害を与えなかった。

 他の集団ならば人間でも魔物でも、負かした相手は完膚なきまでに叩き潰すのが当たり前だというのに。


「――破顔の宝珠。これだ」


 本をしまったドゥアは、片手に載るほどの小箱を取った。その表面には、目的であった宝物の名があるらしい。

 気負う風もなく、小箱は開かれた。中にあったのは、銀色の台座に碧の石が嵌まった指輪。


「おい、ちょっと来い」


 ドゥアは仲間の一人を呼び、摘んだ指輪を小指へ通した。ぴたり落ち着くが、特段の発見は傍から見てもなさそうだ。


「踊れ」


 相手の精神を支配するという、その能力が試される。

 しかし言われた男は目をしばたたかせるだけで、何ごとも起きそうにはない。


「え、踊ればいいんですかい?」

「いや、いい」


 言い方が違うのかもしれない。きっとドゥアはそう考えて、「指輪よ、この男を鳥の声で鳴かせよ」とか。何度も違う命令を試す。

 けれども謳われたような力は、遂に発揮されなかった。


「どうやら失敗作だ」

「とんだ無駄足だったな」


 彼の目的は宝珠ともう一つ、祖先のやり残した古代竜との約束を果たすことだ。

 当人同士が納得しているならそれでいいが、その価値は分からなかった。そんなネイルがたとえば「良かったな」などと労うのも白々しい。

 だから言えるのは、せいぜい軽薄に笑っての、そんなセリフだけ。


「まったくだ。しかし、ただ宝石と見ても美しくはある」


 それ。と声をかけて、指輪が放られた。ネイルは受け止めたものの、どうせよというのか察せなかった。

 この島でも金銭や貴金属による取り引きはあるが、仲間の居なくなった身にそんな必要はない。


「その娘、装飾の一つもないではないか。飾ってやるがいい」

「ああ?」


 クレアは最初から、そういった宝飾品を身に着けていなかった。人間の女の飾り立てる習性は知っているが、それを美的感覚で見るという観念はネイルにない。


「指輪ですか?」

「ああっと、きらきらしててな。草の色で、指を入れる物でな――」


 こんな物を、クレアは欲しいのだろうか。見当がつかず、見えない彼女に指輪の解説をした。


「そんな素敵な物を? わたしなどがいただいても良いのでしょうか」

「構わん。ここにある物は、俺が譲り受けた。その指輪は、俺に何の価値もない」


 素敵というなら、欲しいのか。

 ネイルがまずいと思うものを、うまいと思う仲間は居た。欲しいのなら、そう言う者に与えればいい。

 そんな意識で、ネイルはクレアの指に指輪を合わせた。どうやら薬指がちょうどいい。

 小さな物だが爪の先に摘み、器用に嵌めてやった。彼女の右手に、碧がきらり光る。


「どうでしょう。少しは女らしく見えるでしょうか」

「女らしく?」


 問われた意味が分からず、答えに困った。背後でドゥアの鼻で笑う声がする。


「お嬢さん、よく似合っている。それならば、どこの姫と言っても通用するさ」

「それはそれは。畏れ多いことです」


 これまで通りに感情なく、クレアは答えた。感触で何か分かるのか、頰にそっと指輪を当てる。

 ――オレも何か言うべきなのか?

 声に出さなかった問いは、当然に誰も答えてくれなかった。

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