第35話 ネイル-29 『永遠の友情』

 やはりそこは、部屋と言うより通路。通路と言うより、隧道トンネルだった。整然と同じ形に削り出された石が何千、何万でも話にならぬほど連ねられる。

 小型竜の死骸はなおも点々と続き、それを見下ろして数多の像が壁に置かれた。その多くは竜を象ったもので、ときに小鬼や猪人。蜥蜴人や鬼人らしき姿もある。

 別の通路や部屋に繋がる扉を、左右にいくつ見送ったろう。何の部屋と案内が書かれているわけでなし、ドゥアはその一つさえ中を確かめずに過ぎていく。

 間違いなく、彼は何かを知っている。そう疑って、黙っているネイルではない。だが聞いても


「俺も確認中だ。間違いないと分かったときには、きっと貴様もそうと分かる」


 などと。さっぱり意味の分からない答えがあるだけだった。

 はあ、はあ。腕の中から、荒い息が聞こえ始める。


「クレア、苦しいのか」

「いえネイル。まだまだ平気です」


 ただ抱えられているだけで疲れるものか、ネイルには経験がなくて分からない。


「どこまで続くんだ、ここは。島の反対側まで出ちまうぜ」

「まだ山を三つ潜り抜けた程度だ」


 もうへばったのか、と冗談でも言おうとしたのか。ドゥアは振り返り、開きかけた口を一旦閉じた。


「――休憩するか?」


 会話の流れで、その勧めが自分の為と察したらしい。クレアは首を横に振り、「大丈夫です」と繰り返した。

 これが強がりなのか、本当に問題ないのか、ネイルには判断がつかない。どうしたものか迷ううちに、ドゥアは「そうか」とまた歩き始める。


「案ずるな。おそらく、もう間もない」


 言葉通り、目的地まではもう一息という距離だった。

 そう、目的地。ここが目指す場所だと、一目瞭然。ドゥアが何を言う前に分かる。

 ここまでと壁も衝立ついたてにも隔たれず、その部屋はあった。床の色が違うのは、若葉に染められた絨毯か。

 薬品を溜めた大きな壺はあちらへ一つ、こちらへ二つと。気の向くまま置いた風に。

 棚という概念はないのか、棒状の何かも衣服めいたものも、雑然と詰め込まれた木箱が多数。


「――やあ、久しいな。きっと戻ると信じていたよ、ベルドゥラン」


 渾然一体となった中央に、ネイルの巨体も寝ころべそうなテーブルがある。ただその天板は九割九分が書籍に埋もれ、残り一分を使っていた男が椅子から立ち上がった。

 朽葉のローブが床に垂れ、裾はなお一歩分も引き摺る。


「どうした? 連れているのは、新しい仲間かい。鬼人まで居るのは君らしいが」


 両腕を広げ、親しい友を迎える素振り。病的に青白い頰は、クレアのそれよりも頼りない。足下は小刻みに震え、ひとつ足を踏み出すにも身体全体が揺れる。


「いや俺は……」


 絨毯の端まで、三十歩ほどを男は出迎えた。答えに詰まるドゥアの頰を震える両手で撫で、喜びに目を細める。


「君が出て行ったのは、何年前だったろうか。永遠を生きる私の友になろうなどと、馬鹿げた夢を掲げて」

「違う、聞いてくれ」


 ドゥアの全身を何度も、何度も。上から下まで、また下から上へ。生気を吸おうとでもするごとく、男は眺め、撫で回す。

 それは感涙に咽ぶ動きであり、ドゥアの言葉に頷いているようでもある。


「小竜どもめ情けないことに、君を待つことも出来ず飢えて死んだよ。いや君が病むことはない。私が勝手にそうしようと決めて、命じたんだ」

「ベルドゥランを、待っていた――?」

「小竜のことかい? そうだよ、実はあれらも君を好いていた。君が帰ってきたらすぐに悪戯をするのだと、張り切って待っていた」


 呼ばれたベルドゥランという名を、ネイルは知らない。ドゥアの本名かとも思ったが、どうやら違う。


「しかし神のことわりに縛られない私も、空腹には勝てなかったようだ。胃袋もだが、心のね」

「申しわけないことだ……」

「謝るんじゃない。君は帰ってきた。どうしても謝ると言うなら、私の為に命を賭したことだ。私は君さえ居てくれれば、それで十分だったのに」


 優しく笑う男を前に、ドゥアは口を引き結ぶ。見当もつかない語りかけに戸惑う風はなく、謝罪も彼なりに精一杯と見える。


「俺は貴方の言う、ベルドゥランではない。貴方のことを知りもしなかった、ただの海賊だ」


 思い違いが、はっきりと否定された。けれども男は、満足そうに首を縦に振る。ゆっくり、何度も。弾けて溢れる笑みを、堪えることもせず。


「君は別れのときに、出逢ったのと同じことを言うのだな。いいんだ、ベルドゥラン。君は我が友。私の全ては君の物だ」


 長身のドゥアと全く同じ背丈。男は対面する丈夫じょうふの頭を抱きしめる。

 穏やかな長い息が続き、やがて薄く霞むように消えた。それきり呼吸は聞こえない。


「安らかに眠れ。誇り高き竜王よ」


 やはりそういう事情のようだ。ドゥアが受け入れる声を発すると、男の身体が崩れ始める。塵のように細かく砕け、友の足を黄金色に汚していく。

 あとに残ったのは、両手にようやくひと山ほどの砂金。それが古代竜の最期だった。

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