第32話 ネイル-26 『城の入り口』

「なんだこりゃあ……」


 竜の城と呼ばれる、岩山の密集した地帯。森が途切れ岩場に差し掛かった辺りへ、見慣れぬ物を見つけた。

 立ち木の低いところに、別の太い枝が括りつけられている。先には短い槍のように削ったのが数本配され、それは血に汚れた。おそらく数日が経過しているだろう。

 どう見ても誰かがわざわざ拵えた物で、ならばドゥアたちの仕業に違いない。クレアを追う奴らが先行した可能性は低い。

 ただ肝心な意図が不明だった。目当ての誰かを傷付ける目的だろうが、こんな物をただ置いてぶつかってくるとしたら、よほどの阿呆だ。


「反動で殴り付ける、罠ではないですか?」


 しばらく触れていると、「何ごとですか」とクレアが聞いた。それで形状を言えば、すぐにそうと答える。

 どこかに、枝をしならせて固定した場所がある筈だと。言われて探し、見つけた。ぐるぐると巻き付けた形で切断された蔓を。


「よく分かったな」

「優れた騎士だと嘘を吐いた、猟師のお話に出てきたんです」


 木がしなる。蔓がロープの代わりに使える。そんなことは見れば誰もが気付き、思いつく。

 だがクレアには見えない。ロープとは、長い紐のことだ。と言い換えても、その紐さえ見たことがないのだ。

 触れれば形は分かるのかもしれない。しかしそれらを組み合わせた複雑な仕掛けを理解し、いきなり出遭ったものを同種と見抜く。

 ――頭の出来が違うんだな。


「待ち構えて、獲物が通るのに合わせて動かすのですね」

「いやたぶん、囮を追ってきたのを仕留めるんだろうさ」


 囮とは、これを作った集団の一人だ。その一人が獲物を挑発し、誘い込んだ。そう思って見れば、手前が岩で狭まっている。


「正面から戦うよりも安全ですね」

「そうとも言えるが、一匹ずつにえらく手間がかかる」


 つまり、そうせねばならない相手がこの辺りには居る。という示唆だと、ネイルは緊張を強めた。

 そこからは木々も全く消えてしまい、完全な岩場となる。少し進むと、また違う形の罠があった。今度は人ひとり分ほどの岩塊を、上から落とすものだ。

 また進むと、窪みへ生き埋めにする罠。その次には行き止まりに追い込み、切りつけたのだろうという跡が。


「よくもこれだけ思いつくもんだ。罠の跡を辿れば、ドゥアのところへ着いちまいそうだ」

「ネイルが追ってくると思って、残しておいたんでしょうか?」

「それはねえな」


 外れた予想を一刀両断にする。クレアは「あら、そうですか」と、小さく鼻から息を吐いた。

 残念そうにも見える素振りを、「まあまあ」などと慰める気遣いはネイルにない。それよりも、気になることがあった。

 ――これだけの罠があって、仕留めた獲物が一つも残ってねえ。

 大掛かりな仕掛けだ。食料を得るなら、一度か二度で十分に思える。それが実際は、五つも六つも。と考える間に、また見つけた。

 するとこれらの罠は、相手を倒すことだけが目的となる。だのにいちいち、死体を片付けてやる理由はあるまい。


「まさか仕留め損なって、追われてるのか」

「どうしました?」


 どう考えての結論か知らぬクレアは、首を傾げる。だが答えるより先に、走り出した。


「分からねえが、ドゥアが危ねえ」

「間に合いますか」

「分からねえ」


 それだけ言うと、クレアはもう聞かない。小さく身を縮めて、ネイルが走る邪魔にならぬようにした。

 ここは竜の城だ。棲むのが全て竜とは限らないが、匹敵する生き物ではあろう。

 遠くに見たことがあるだけで、竜を目の前にしたことはない。けれども話にだけでも、小型の竜種とて十分以上の強敵と聞く。


「おかしな話だぜ」


 知った相手とは言え、人間の身を思って走ることがあるとは。わだかまりを差し引いても、以前には想像しなかった。

 岩場は登り下りの入り混じる、複雑な地形をしている。進もうと思えば緩い崖を行くことも出来て、目印を発見しなければあてどないところだった。


「近えな――」


 目印とは、血痕。

 何者かの流した血が点々と続き、道を示す。最初は微かだったものが、きっと複数の流血が重なって明確なものとなる。

 やがてそれも必要ないくらいに、分かりやすい目標が現れたが。


「この音は――鳴き声ですか?」

「そうらしい」


 ゲッ、ゲッ。と、蛙にも似た声が幾重にも響く。ネイルには、何か懐かしい記憶でもあった。蜥蜴人のリーズたちの威嚇音が、こんな声だった。

 ただし声の重なり方が、尋常でない。岩に反響してよく分からないが、発声しているのは十でもきくまい。


「ネイル。大丈夫ですか」

「怖えか?」


 震える細い身体を、手で覆ってやった。多少なりと、声が遠ざかれば良いが。


「わ、わたしは平気です」


 到達したそこに、池があった。差し渡しはネイルの背丈で五倍ほど。岸はぐるりと崖になっていて、唯一通じる道はたくさんの石で塞がれている。

 その巨大な檻は、前屈みに二本脚で立つ蜥蜴で埋め尽くされた。数えようにも忙しく動いて、うまくいかない。きっと三十以上だ。

 身体は人間よりも大きく、ネイルには及ばない。姿が丸見えのネイルを敵と認識したのか、縦に長い瞳孔を細め、威嚇をさらに強める。

 彼らが暴れるたび、血に汚れた水が激しく舞う。


「手伝いが遅いな。捕獲は少し前に終わってしまった」


 死角になる岩場の陰から、ドゥアが姿を見せる。どうやら無事であるらしい。


「そいつは悪いな。でもまあその通り、手伝ってやる」

「ふん? 貴様からそんなセリフが出るとは、また気色が悪い」


 彼の仲間は姿を見せていない。自身も湾刀に手をかけたまま。警戒を解かぬドゥアに対して、生涯初めての頼みごとを試みる。

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