第六章:竜の集う園
第31話 クレア‐06 『反する条件』
抱えられたネイルの腕は、乗り心地が良いとは言えない。肩にしてもそうだが、岩で作った椅子に揺られているようで、ずっと同じ姿勢でいればあちこち痛くなる。
けれど感触はそうでも、気分は上々だ。
読んでくれる本を母が選んでいる間、ベッドに転がっていたのにも匹敵する。自身が王と認める彼が、直々にそうしてくれるのだ。当たり前だろう。
しかしそれを畏れ多いと思わない辺り、侯爵家の娘として、やはり失格らしい。
「ドゥアというお名前がないとは言いませんが、本名ではないと思います。きっとどこかの貴族ゆかりの方ですね」
たとえばクレアが、便所に行くことを憚りごとと言ったように。庶民はそもそも使わない言葉がある。
また発音も、一般には周囲の者が話すのを見て聞いて覚えるものだ。だが貴族は、その上で正しい発音を躾けられる。
大分くだけてはいたが、その片鱗がドゥアにはあった。
「元が貴族だと、どうかするのか」
「絶対ではないですが、重視するものが違うかもしれません」
あの男は用心深いから、急にこちらから手を貸すと言えば怪しむかもしれない。それを避けたとしても、また別のことで揉めるのも駄目だ。
そうならないように、どうすれば良いか。ネイルに尋ねられていた。
「庶民の多くは自分や家族の命。それから平穏な生活を求めます。でも貴族は栄達の為に、名誉と名誉ある戦いを求めます」
「えいたつ? 名誉は分かるが――」
「ええと、庶民ではどうもできない問題を解決したり。より強い敵に正々堂々と勝つ。そういった有り様を自慢したがるのです」
貴族の誇りを平易な言葉で説明すると、どうも悪口のようになった。そのつもりはなかったのだが。
しかし考えてみれば、そうなのかもしれない。貴族がより上を目指すのは、つまるところ贅沢をしたいからだ。究極がそうであれば、どう言っても下卑た行為でしかない。
「だとするとドゥアは違うな。あいつもこの島で生き残ってきた以上、正々堂々なんて寝言だと言うさ」
「そうなんですね。貴族であれば、誇りを傷付けられるのを嫌うと思ったんですが。違うかもしれません」
数日前に、クレアも出会った。もちろん姿などは分からないが、芯のある話し方をする。
そのドゥアのところへ行って、どうするのか。聞くとネイルはすぐに教えてくれた。破顔の宝珠を探す手伝いをするのだと。
手に入れた宝珠に用はなく、その見返りに人間たちと戦ってくれるよう頼むそうだ。ドゥアにとっても、島に入り込んだ者たちは邪魔になる筈だから。
「ドゥアが宝珠を使ってきたら、どうするんです?」
「さあな。それが目的じゃねえとは思うが、もしそうなったらとっとと逃げるさ」
人間という種を目の敵にはしない。そう言ってから、出てくる言葉が軽くなった。薄いのでなく、軽やかという意味で。
ネイルが戦って敵わないと、クレアには信じられない。これほど強固な身体を持って、現実に棲み処を襲った者たちは抵抗さえできなかった。
それも説明されて知ったのだが。戦いとは何ぞ、と聞かれても答えようのないクレアだが。不思議と確信があった。
「わたしが居なければ、ドゥアと協力しなくても良いとか――」
「そんなもん関係あるか。オレも鉄の鎖を繋がれりゃあ動けねえ。でけえ弓でも持ってこられりゃ、逃げるしかねえんだよ」
お互いに槍を構え、かけ声とともに一撃を繰り出す。物語にあった騎士の戦いとはそうだった。
しかし現実は、穴に落とされて網をかけられることだってある。それが出来るのは力の強弱でなく人数なのだとネイルは言う。
それでは万策尽きて、本当に逃げるしかなくなったらそれで良いのか。ホルトや仲間の仇をとれなくなるが、諦められるのか。
「ネイル。もしも――」
「ああ?」
咄嗟に聞いて、留まった。自分がなんと残酷な問いをするか、気付いたのだ。
「もしもあなたが、嬉しくて笑ってしまうとしたら。次はどんなときですか?」
「なんだ突然。そうだな――」
代わりに浮かんだのは、いつかバドウにしたのと同じ質問。侯爵家で、彼だけは信用できると思っていたのに。
裏切られてしまった。と、その言葉は思い上がりも甚だしい。心に浮かんだのを、すぐに打ち消す。
「やることが何にもねえなって、困っちまったときかな」
「困るのに、笑ってしまうんですか」
「そりゃあそうだろ。食うものがあって、邪魔なもんがなくて、寝るのにも飽きて。そうなったら笑っちまうに違いねえ」
分かるような、分からないような。それでも彼が言うなら、そうに違いない。
叶えてあげたいと思う。
――でも、邪魔なものがなくてって。
それにはクレアも含まれないだろうか。ネイルの負担であるのは間違いないのだ。
仲間でありたいが、枷となってはいけない。目の見えぬ身には両立し難い条件を、クレアは考える。
解決策は、一つしかない。その選択をせずとも良い方法を、深く深く。
答えの出ぬまま時間は過ぎ、竜の城は目の前だとネイルの声が告げた。
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