第27話 ネイル-22 『腐肉を食す』

「棲み処を襲ったのと同じ奴らかなぁ――」

「さあな。それ以外に心当たりはねえが」


 ちょっと見てくると、ホルトは静かに走った。ネイルが思いきり跳べば、一度か二度で届くくらいまで。

 強く臭いのついた場所は他に見当たらない。ここへは、かなりの時間を過ごしたと推測できる。

 するとこの先へ、逃げこむ場所があるということか。ならばこのまま進むのは、まずいかもしれない。彼もそれを確かめに行ったのだと思う。


「また、わたしの――」


 ぽつり。唇をほとんど動かさず、消え入りそうなクレアの声。


「うるせえ。オレの勝手だ」

「でもきっとこれは、父の手です。邪魔ならば、屋敷の中で殺せば誰も気付かなかったでしょうに。わたしがのこのこと、こんなところまで来たせいで」


 迷惑をかけた、と。魔物にも、その気持ちは分かる。だがそう言って、周囲の者との差し引きをゼロにするなど不可能だ。

 小鬼たちは勝手なことをよくするし、騒ぐばかりだ。けれどもその人数と強い同族意識で、たくさんの獣を相手にするときなどは助かった。

 猪人たちは言ってもすぐに忘れてしまう。物を壊すのも多い。だがその大声は、敵を広く囲むときに役立った。馬鹿力も、ネイルに次ぐそれが重要な場面など挙げればきりがない。

 蜥蜴人たち。彼らは融通がきかない。育ての親であるネイルやホルトが言っても、自身が納得しないことは絶対にしない。

 しかしその生真面目さで、よく仲間を守ってくれた。彼らが居なければ、もっと早くに縄張りを失っていただろう。

 誰もが偏っていて、迷惑をかけた。

 誰もが誰かを、助けていた。

 ――ああ、いい仲間だった。

 仲間たちとの記憶が、脳裏を駆ける。いつ、どこで、どんな場面だったか覚えていないことも。

 何に笑い、何に怒ったのか、まるで覚えていない。それでもその時間は、たしかにあったのだ。


「ネイル?」


 大した間ではなかった筈だ。とはいえ、いつも急かすように話すネイルが返答をしなかった。

 不審に思ったのだろう。失われた表情の代わりに、頰にクレアの手が触れる。


「うるせえってんだよ。妙な臭いのする肉を食って、腹が痛えってのはある。だがな、そいつはオレが食おうと思ったからだ。肉が腐ってたせいじゃねえ」

「わたしは――腐ったお肉、ということでしょうか」

「そういうことじゃねえ!」


 言葉を一つずつ噛みしめるように、クレアは頷いていた。次いで出た声がそれで、間髪入れず怒声を発してしまう。


「お前が腐ってようが、毒を持ってようが、肩に乗せてんのはオレだ」

「――そうですね。二度も同じことを言わせてしまいました」


 納得したようなことを言って、裏でどう感じているのか。

 彼女には、表情がない。偽りの感情を見越して、推測することさえ出来ない。


「すまねぇ、分からなかった」

「お前の鼻でもか。奴らどうやって――」

「いやぁ、何だか臭いがぼけちまってよぉ」


 戻ってきたホルトは、青々とした葉を千切って鼻に擦りつける。何度か見覚えのある光景だが、どうして突然に。


「調子が悪いのか」

「山を越えた辺りからかなぁ。鼻だけなんだよ」

「ふん」


 前にあったときは、鼻だけでなく身体全体がだるいと言っていた。ネイルから見ても、動きの切れが損なわれて見えた。

 ――今だけ特別、ってことは。


「あの煙か!」


 言い終わる前に後ろへ向きを変え、地面を蹴った。そこだけ嵐が訪れたように、落ち葉が高く舞い上がる。

 ネイルには自覚がない。鼻の利くホルトだけが不調になる理由は、それしか思い付かなかった。

 やはり人間など、害にしかならない。バドウの焚いていた煙に、何かそういう効果があったのだ。

 決めつけて、怒りが脳天を突き抜ける。

 ――どこまでオレを。どこまで仲間を傷付ければ気が済むんだ人間!


「どこへ行きやがった!」


 つい先刻まで、変わらず離れて着いていた筈だ。監視していたらしい人間の臭いを見つけて、それからは意識していなかったかもしれない。

 その短い時間で、バドウは気配を消した。昼間に火を焚いていたところまで戻っても、何も残っていない。どこに火があったかさえ、一見しては分からないほど。


「うまく逃げやがって」

「バドウまで――」


 やはりあの男だけは、クレアも信用していたようだ。どうしてそうなるのか聞く気にもならず、すると舌打ちするしかない。

 ともかく。監視に勘付いた途端、これだけ迅速に動くのだ。のんびりとしていてはまずい。

 ホルトと話して、すぐにでも隠れ場所を探さなくては。それでやり過ごそうというのでなく、反撃の機会を伺う為に。

 こちらの行動は全て見られていて、あちらのことは人数さえ知れない。一人では身動きできぬ、クレアも居る。さすがにそれは分が悪い。


「――急ぎすぎちまったか」


 戻った道をまた折り返したが、追ってくるホルトとなかなか出会わなかった。

 走る速度はホルトも相当だ。並の人間など相手にもならない。しかしネイルの全力疾走には劣る。

 そのせいだ。

 相棒の姿が見えないのは、自分が一人で行き過ぎてしまったからだ。

 この凹凸を越えれば。この大木を曲がれば。きっと会える。

 ぼんやりとした不安が、闇に潜む蛇のように鎌首をもたげ始めた。

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