第26話 ネイル-21 『各々の思惑』

「どうしてその女を大切にするんだ!」

「仲間より、人間が大切なのか!」


 ログとリーズが、ネイルを責める。間違いなく、これは現実でない。彼らはこんな流暢に喋れない。

 ――違う。オレはいつも、やりたいようにやってきた。あの女も、その一つだ。


「やりたいように出来たら、俺たちはどうでもいいのか?」

「お前がそうする為の、生け贄なのか?」


 ――違う。みんながそう出来ればいい。だからオレは、お前たちの望みも聞いたじゃねえか。


「俺はあんたに認めてもらいたかった。戦えるって」

「俺はお前に言った。その女を追い出せと」


 ――そうかもしれねえが、こうなるとは思わねえだろうが。


「ああ、そうだな。あんたは一人で何でも出来る。羨ましいぜ」

「その女だけ傍に置いて、好きにすればいい」


 ――だから言ってんだろうが。こうなるように、オレが仕向けたわけじゃねえ。


「違うね、あんたはそうしたかった。俺たちは手足を伸ばす道具でしかなかったんだ」

「その玩具おもちゃを抱えて、好きにするがいい。飽きたら次を探すんだろうがな」


 呆れたという表情の奥に、嘲りがある。二人は空と地面しかない景色の中を、遠くへ歩いていく。

 違うと何度叫んでも。名を呼んでも。振り返ることはない。


「違うって言ってんだろお!」


 目が、覚めた。

 滝の近くの岩場を背に、今朝から眠っていたのだ。夕暮れの空。茜に光って流れる川。どこにも異変は見当たらない。

 ホルトの組んだ薪が、ちょうど燃え尽きて細い煙を上げ始める。横になったまま懐を見ると、二人が並んで眠っていた。

 ホルトは狗らしく丸まって。クレアも小さく毛布に包まって。一瞬、兄妹だったかと見間違える。

 僅か高鳴っていた鼓動が、大きく吹いた鼻息と共に鎮まった。それが安堵の気持ちなのは自分でも解している。

 ただ、何に対してなのか。生き残ったホルトと原因のクレアを見ていては、またあの二人が目の前に現れそうに思えてしまう。


「さあて……」


 またあの妙な臭いがする。バドウが焚き火をしているのだろう。慣れてしまえば、大したことではない。気にせず水際へ行って、手に掬った。

 そのつもりはなかったが、手の中に小魚が。けれども口に持っていくまでに、こぼれた水と逃げてしまった。

 ――何もかも思いのままとは思ってねえよ。

 一人で何でも出来るのなら、ホルトが言ったとて仲間を迎えたりしない。いつか彼が言ったように、三つの荷を二本の腕では持てないのだ。

 ――オレはこの拳で敵をぶち殺す。お前らはそれを手伝う。そうすりゃあオレもお前らも、欲しい物が手に入る。


「その何が不満だってんだ……!」


 吐いた息で、水面が穿たれる。底が覗けようかというほど。だがそれにしたところで、滝の水勢には遠く及ばない。


「……ネイル?」


 後ろで、毛布の落ちる音がした。肩越しに振り返ると、クレアがこちらを向いている。聞いていたのだろうか。


「もう出発ですか?」

「いや。ホルトもまだ起きてねえ」


 そうですか。と、クレアは特に何を気にした様子もなく、自分の水袋を取って飲む。

 丁寧に両手を添え、こくこくと細い喉が動く。あそこにそっと爪を当てて、軽く引っ掻けば死んでしまう。弱い生き物だ。

 そうするつもりは欠片もない。そんなことをすれば、何の為に仲間は死んだのかとなる。

 そう思って――いや、と打ち消した。

 クレアの為に死んでくれと言って、望む者は一人も居ない。ネイル自身、そんな馬鹿げた頼みなどする気にもならない。

 誰もが自分の思惑を持って生きていた。それがたまたま一度に、大量に潰えただけだ。

 ――そうだ、ろくでもねえ人間のせいだ。

 仲間たちは、ただ運が悪かったと思い込むことにした。


「いやぁ、起きてるぜぇぁふぁふ」


 先のセリフから、いくらの間があったと思うのか。長い長いあくびをしつつ、ホルトが上体を起こす。

 だがさすが相棒は、すぐに跳ねて立ち上がり、そのまま川に飛び込んだ。ざぶんと浮いた水が、ネイルの頭にもかかる。座れば頭まで沈めるのが、少し羨ましい。


「さて今日は、どっちへ行くかな」


 ぶるぶると身体を震わせるのは、毛が散って邪魔くさい。それはあっちでやれと、ホルトは素直に従った。

 頭から尻尾まで、概ね乾かした彼が方向を問う。聞かれても何も当てはないが、一つだけ思いつくことはあった。


「川から離れるか。またドゥアに見つかるのは癪だ」

「そうだなぁ、そうするか。しかしあいつ、いつまで着いてくる気だ。やっていいなら、今すぐでも始末してくるんだけどなぁ」


 ネイルより数倍も鼻のいいホルトは、バドウの焚き火が気に食わないらしい。彼の居る方向へわざとらしく、ひと声唸って見せる。

 人間をひとり殺すなど簡単だ。嫌な臭いを出すとなれば、殺す理由さえ十分すぎる。

 だが殺すなと、クレアが言った。それを押して「やってこい」とは、なかなか言いにくい。


「あんな奴、いつでもやれる。放っとけ」


 その会話が聞こえた、筈はないが。すぐに臭いが消えた。こちらが動き始めると、バドウもすぐに動き出す。その監視能力は大したものだ。

 川を離れ、竜の城にも向かわない。すると残るは、南から南西方向しかなかった。そちらはより森が深いようで、また違う何かがあるかもしれない。

 棲み処に相応しい場所もだ。


「……おい、女」


 少し歩いて、ホルトは急に立ち止まった。下草の短い、木々に繁る葉が屋根になった丘だ。珍しく彼からクレアへの呼びかけ。彼女も一瞬の間を置いて、「何でしょう」と答える。


「あの男の出す臭い。知らねぇって言ったな」

「ええ。わたしは覚えにありません」

「たしかだろぅな」


 気に入らないという風に、ホルトは足下を蹴った。積もっていた落ち葉が軽く舞い上がる。

 どうした。と聞いて、視線の注がれる葉を手に取った。見た目に何もなく、鼻に近付ける。


「――なるほど、そうか」


 くさい。人間の臭いだ。しかもバドウとも全く違う。彼とクレアと、それ以外の人間がこの辺りに居る。

 偶然ではあり得ない。きっとここで、こちらを監視していたのだ。それが今朝までとは違う方向へ歩き出した為に、急遽離れた。


「まだ近くに居やがるか――?」


 夜に差し掛かった森は、静かに眠ろうとしていた。

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