第五章:来たる暗雲

第25話 クレア‐05 『宝物と塵芥』

 過去。フレド侯爵家において、来客があっても、クレアは同席を命じられなかった。

 貴族は貴族同士。あるいは有力な商人に対しても、家族構成を明らかにしている。その上で顔を見せないのは、幼い子ども。あるいは重篤な患者でもなければ、家長の不徳とされた。

 つまり対外的に、クレアは長く瀕死の重病人であったのだ。それが五年前。急に呼ばれるようになった。

 十五歳を目の前に、ようやくお披露目とは。恥ずかしいことよ、と使用人の陰口が直に耳へ入る。


「侯爵閣下も、どうすればお嬢さまが幸せに生きられるか。苦慮しておいでです」


 とは、バドウ。

 その口から、侯爵家が着々と勢力を増すありさまも時に漏れた。

 ――わたしも駒に使わなければならないほど、難しいのかしら。

 実情は忠実な執事が言うほど、好調でないのかもしれない。それを少しでも良く出来るのならば、どこへでも行こう。

 生かしてもらっている対価など、それでも返したうちに入らないけれど。

 クレアは当時、密かに誓った。


「旧帝国領の城から、怪しげな物が見つかったそうな」

「破顔の宝珠などと、女や子どもに聞かせるまやかしごとであろうに」


 ある日、共同取引に呼ばれた商人たちが言った。

 いくさをしているよその国の出来事などは、時候の挨拶代わりであろう。我こそは情報通であると示す為だ。


「そのような物に頼らねばならぬほど疲弊しているか。帝国の末裔も、だらしないものよ」

「まったくですな、はっはっは」


 そのときに、クレアの父。即ち当代のフレド侯爵は、笑い話として済ませたと記憶している。

 ただそのあとに「いや待て」と付け加えられた。


「つまり、付け入る隙があるということ。お主ら、何を売りつけに来た?」


 などとその領主の詳細や、それに纏わる物品が机上に並んだようだが。

 その場に居た商人の何人かは、以後も定期的に侯爵を訪ねてきた。込み入った話になるとすぐに退出させられるので、何の為にかは分からない。

 しかし彼らは変装でもしていたのか。訪れる度に、違う名が使われた。継母などは気付いているのかいないのか、はじめましてと答えていたが。

 声色を変えてもクレアには分かってしまう。声と体臭くらいしか、人を判別する手段がないのだ。

 聞こえる音色が多少異なったところで、染み付いた発音の癖などは同じだから。

 密かにクレアは、宝珠の話がまた出てこないかと待っていた。

 ――物語に登場する不思議な宝物が本当にあるなんて、とても素敵。

 人の意思を支配する力も実存するなら、素敵どころではないのだが。そこのところはクレアも、話半分以下に感じていたのだろう。

 だが残念ながら、宝珠の行方や使われたらしいという話も、聞くことはなかった。


「ねえ、バドウ。物語に出てくる、不思議な宝物って現実にはあり得ないのかしら」

「そんなことはありません。どの物語のどれとは存じませんが、その様な不可思議な力を持つ品々は存在します」


 どれほど乱雑に扱っても錆びつかない武具。永遠に消えることのない光を放つ剣。用いれば思う相手を振り向かせる指輪。

 そういったものなら、バドウは自分の目で見たことがあると語った。

 大して役に立たない物ばかりなのは、真に宝と呼べる物は盗難や争いに繋がるからだと。所有者が秘密にしていると言う。


「宝があってあくたがないのは、どんな品物にもよくあることです。作成者が処分しますから。しかしその反対は、あまりありません」


 なるほどと思う。使えない物しかなければ、人の口に上ることもない。真に優れた物があるから、似た物に期待をこめて手許へ残すのだ。


「作成者。そうね、作った人が居るのよね。どんな人がそんな物を作れるのかしら」

「それもはっきりと伝える資料はありません。物によっては銘の入ることもあるそうですが、名前だけでは」


 過去に存在した魔法王国。やはり物語にはよくあるけれども、実在を示す資料はない。

 ただし、と。バドウは自身の指を唇にそっと当てた。内緒の話という意味だ。


「優れた魔術師は居ました。今もこの国に魔術師が居りますけれども、起こす奇跡は桁違いです」

「その人たちが作ったのね」


 魔物の棲む迷宮の奥底。誰も到達し得ない密林の先。天空にそびえる塔の天辺。

 そんな場所に隠れ住む、孤高の魔術師。彼らが生涯をかけた研究の集大成として、一つの宝物を作り上げる。

 クレアの想像力を刺激する、魅惑的な話だった。


「お嬢さまの想像力は素晴らしいですね。それこそ、そのお話を書物にしても良いかと思いますよ」

「そんなこと――わたしは字が書けないもの」

「書ける者に言って、書かせればよろしいでしょう。今は閣下も余力を作るのにお忙しいですが、数年のうちにそれも治まります」


 字を読むことも書くことも出来ない。それに母が読んでくれた本以外のことは、何も知らない。

 そんなクレアが、他人の読むに耐える文章など考えられる筈がなかった。

 バドウもそれは知っている。だが知っているのと、実感として踏まえた言動が出来るのには隔たりがある。

 悲しく思うが、仕方のないことだ。


「お父さまが? いくつか小競り合いも抱えてらっしゃると聞いたけど。それが終わるの?」


 領地を広げたいとか、より大きな力を持ちたいとか。その終わりがくるとすれば、世界の隅々まで治めたとはならないか。

 そう感じはした。

 しかし自分は劣っていて、知識や経験が乏しい。だからそんな愚かな考えになってしまうのだと、思いをあらためる。


「終わりますとも。クレアお嬢さまも、きっとそれに関われます。不肖ながら、このバドウが保証致します」


 迷惑をかけることしかない。常々そう思うクレアに、優しい執事はまた魅力的な未来を約束してくれた。

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