第21話 ネイル-17 『狗人の焚火』

 バドウの髪は土埃に汚れ、風が吹くと束で靡いた。時に毛先がちらちらと目を隠し、邪魔くさそうで毟ってしまいたくなる。


「救出ねえ――」


 追ってきた気配は、一つだった。今も周囲を探っているが、他の気配は見つからない。

 ――鎌をかけてみるか。


「てめえ、ここまでどうやって来た」


 意味ありげに目を向ける。バドウがやってきたのとは少しずらして、海に近い方向へ。


「どうやって、とは? もちろんこの脚でだが、そういう意味ではないだろう」

「一人で?」

「ああ、それなら連れが四人居た。二人は途中で魔物――何者かに襲われ、あとの二人ははぐれてしまった」


 慌てた様子はない。むしろ落ち着きすぎな気もするが。たった今、咄嗟に考えた風には見えなかった。

 それが事実を言っているからか、予め筋書きを用意していたのか。判別をつける為に、なおも疑わしいと装った視線を送り続ける。


「そちらに何か見えるのか? 連れは金属の胸当てを着けた騎士だ。呼んでもらえれば、私が嘘を言っていないと証明してくれる」


 躊躇うことなく、呼べと言った。どこかへ仲間を伏せているなら、もう少し違う反応が見られた筈だ。

 ――嘘を言ってないか、嘘を嘘とも思わねえ大嘘吐きかだな。

 人間と嘘の吐き比べを楽しむ趣味はない。詮索はやめて、さっさとお引き取り願うことにした。


「――いや。それより、この女を連れて行こうってのか」

「もちろんだ。この方は、由緒ある侯爵家のご令嬢。既に知っているだろうが、目も不自由されている。このように文明もない場所へ長く居ては命に障る」


 何と答えようが、そもそも帰す気はなかった。問うたのは意図を聞いて「知ったことか、帰れ」と言う為だ。

 クレアはもうネイルの所有物で、手放すには持つことに飽きるとか相応の理由が必要だった。故に、クレアの意思を聞くつもりもない。

 だがバドウの主張はネイルにとって、意味の分からないものだ。思惑を置いて「こいつは何を言ってるんだ?」と考えさせられるほど。

 文明とは町にあるような家に住み、金銭での物々交換を行い、獣を飼いならして使ったり食ったりすること。

 概ねそういう認識のネイルに、その何が良いのか理解できない。「連れ帰る」と言われても、理由になっていないのだ。


「ネイル。お話の邪魔をしてすみません。わたしから言っても良いですか?」


 苛々と、収めかけた拳に力が入りかけていた。苛つきの理由は、適当なことを言って煙に巻く気かと感じたからかもしれない。あるいは他に。

 そのタイミングで、クレアが割り込んだ。ネイルやホルトが主体で話しているときは、いつも自重している彼女が。

 この男は人間の中でも特別なのか。そう思うと、なぜか別の奥のほうから苛々が湧き上がってくる。


「あん? 好きにしろ」


 だからと「駄目だ」とは言えない。

 脆弱ぜいじゃくな人間ごとき。バドウが何を言おうと何をしようと、力尽くで叩き潰せる。その誇りをなくすことは出来なかった。

 普段ならば違っていただろう。けれども正体不明の人間どもにしてやられて、間もない。


「肉を分けてくれホルト」


 脇に置いていた鹿を投げ渡し、さも会話になど興味はないと寝転がる。

 頼む相棒は、ちらとバドウに視線を送りつつ。要望を叶えるべく、数歩を離れて槍を動かし始めた。


「バドウ。お父さまは、わたしに刺客を差し向けたの。男爵家との婚姻も偽りだったと。あなたは知っていたの?」

「お聞きになられましたか。いえ、誓って私は存じませんでした」


 ホルトの他、位置を動いていない。バドウは声を潜めかけたものの、それではクレアにも聞こえにくい。ゆっくり、はきはきとした発音で話す。


「途中までは、ですが」

「途中?」

「連絡員が来たのを覚えておいででしょうか。あれが私への密命でした。お嬢さまをこの島で――亡きものにせよと」


 知らなかった計画に、途中から参加を強制された。クレアを殺す内容であったのを、バドウは悲痛な声と表情で言った。

 クレアもまた「そう……」と。互いに数拍、言葉をなくす。その沈黙を撥ね付けるように、バドウの声は一段高まった。


「そのような命令は聞けません。ですが私一人、あの船で抗ったとて結果は知れております。ですから、こっそりと船を降りました。協力者を募り、船を都合し、お嬢さまをお救いしようと」


 話の筋に、矛盾はない。ただ、バドウが真実を語っていなければ意味がない。誰かが見ていたわけでなし、言葉でだけなら好きなことが言える。


「そうだったのね。そのあと運悪く、海賊に襲われてしまったの」

「ええ、海に投げ出された者から聞きました。こんなことなら、最初からお嬢さまをお連れしていれば良かったと。後悔を致しました」


 カッ、カッ。

 硬い音が鳴る。ホルトが火打ちを使い、火を熾そうとしていた。特段に寒いでなく、何をしているやら。

 思うものの、彼のやることに口出しする気はない。


「……この狗人は、火まで操るのですか」

「ええ、そうよ。毛布もあるし、寒いなんてことはないの。ほらわたしの食べ物だって、用意してくれるの」


 捌いて枝に刺した鹿肉が、火に白い煙を上げ始めた。香ばしい匂いが漂って、焼いて食うのもまた旨いかとネイルも思う。


「あなたがわたしを想ってくれたのは、良く分かったわ。でもね、新しい場所を見つけたの。ここに居たいと思える場所を、初めて見つけたの」


 大して抑揚もなく、真顔で。口の先に嘘しか出ない人間でなくとも、信憑性を乏しく感じる。

 その代わりか、クレアの手が胸に当てられた。首を横に振り、「いいえ、貰ったの」と。


「わたしはネイルに貰ったの。この場所を。だから帰れないわ」

「そんなことが」


 魔物が人間を忌み嫌うように、人間も魔物を忌避するものだ。バドウには俄に信じられる話でない。

 そう察したのかクレアは、「それに」と続ける。


「帰るとしても、どこへ帰るの? 侯爵家から逃げ続けることができるの?」

「それは……」


 肉が焼けるまで、ついに返答はなかった。クレアの居場所は、どうやら決まったらしい。

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