第20話 ネイル-16 『追跡する者』

 島の奥。即ち中央方向へ向かうのに、ドゥアの縄張りを横切った。何か言ってくるかと思ったが、何もなかった。

 途中、覚えのある配置で遠く囲んだ視線を感じたのが、唯一だったろう。

 そこから先も侵入に気付かなかったか、ネイルだと察知して潜んだのか。ともかく敵対する何者にも出会わなかった。

 人間とその持ち物は、かなり良質な獲物だ。その為に人間の出張でばる範囲では、強い集団ほど町と近い縄張りを持っている。そのせいとは予測がついたけれども。


「気付いてるかぁ?」


 行く方向は、ホルトに任せていた。面倒が少なくて、食うに困らない。そんな条件はホルトも同じだから。

 それ以外の細々したことは、彼が判断してくれる。あとはネイルとホルトと二人ともが、そこを気に入るか感覚的なことだけだ。


「当たり前だ」


 人間の立ち入らない付近に入ってずっと、視線が着いている。こちらを襲おうという敵意は薄い。そうなったところで、大した脅威とも思えなかった。どうにも追跡が稚拙なのだ。

 監視していることを、あえてあからさまにする者も居る。だがその場合、明確な距離や居場所を絶対に悟らせない。この誰かは、そうでなかった。

 追われた長さ。そろそろしつこいと感じ始めたのを思えば、あちらも暇潰しなどではない。それに視線の持ち主は人間だ。魔物や獣なら、子どもでももう少しましに気配を隠す。


「腹も減ったし、何か捕るか」

「そうだな。何かしてくるかもしれねぇ」


 足を戻せばすぐだが、わざわざその手間をかけるのも馬鹿馬鹿しい。油断している風を見せれば、近付いてくるだろう。

 意図が知れれば、どうでも追い払うか無視するか判断もつく。


「あの。何かあったのですか?」

「何でもねえ。何か食おうってだけだ」


 軽すぎて忘れそうになる。肩にはクレアが居るのだった。そのままでも獣を狩るくらい出来ようが、うっかり落とすかもしれない。目に付いた岩へひょいと、クレアを乗せた。


「オレが狩ってくる。待っててくれ、ホルト」

「あいよぉ」


 森の景色は、棲み処の周りと代わり映えしない。ネイルの一口にも足りぬ小動物の姿が、多少目立つくらいか。

 ホルトとクレアを置いて、二十歩ほど。小高いところから眺めると、鹿を見つけた。

 二人と離れたことで、棲み処を襲った連中が頭を過ぎる。しかしあり得ない。奴らは相当の訓練を積んでいた。気配を殺すことにかけては、怖ろしいほどに。


「とっとと戻りゃすむことか――!」


 ぐぐっと土を踏み固め、それを蹴った。赤い砲弾と化したネイルは、距離を一気に縮める。

 鹿も警戒はしていたが、遠いと思っていたのだろう。接近に気付いて、ビクッと硬直している間に頭を弾き飛ばす。

 ネイルの半身ほどもある、大きな鹿だ。

 ホルトとクレアで、脚の一本も食うだろうか。それなら残りで、十分にネイルの腹も膨れる筈だ。

 片手に引き摺って、二人のところへ戻る。追っ手の気配が近付いているけれども、狙った通りだ。

 何ぞとなれば、もう鹿を投げつけることさえできる。そこへ至って、思いもよらぬ声が上がった。


「待って! 待ってくださいホルト! その人を殺さないで!」


 仲間の女たちを庇ったのと同じような大声。あのときも焦りや怒りといった感情は見えなかったが、止めようという強い意思は分かった。

 追っ手は、クレアが守ろうとする相手。何か苛とするものを感じつつ、最後の数歩を速める。


「何ごとだ」

「いやぁ、分かんねぇ」


 窮屈そうな黒い服。その上に、なめし革の鎧を重ねた男が倒れていた。

 ホルトはその胸を踏み、槍先を突きつける。ネイルが離れたのを好機と捉えて襲い、返り討ちに遭った。そういう場面だ。

 音に敏感なクレアは、座る岩から乗り出すようにしていた。男が何か言って、それで誰だか知ったに違いない。

 放っておけば転がり落ちそうな彼女の姿勢を、まず戻させる。


「それはバドウ。わたしの世話をしてくれていた、執事なのです。殺さないでください」

「――ホルト。武器を奪え」

「えぇ、殺さなくていいのか?」


 バドウというらしい男が持っているのは、ナイフと呼んでも差し支えないくらいの短剣。それと玩具のように小さなナイフ。それだけだった。

 訝しみながらもホルトは手早く奪って、バドウもどうしたものか思案顔ながら従う。


「何の用だ」


 クレアに背中を向けるよう座らせ、後ろにホルトを立たせた。

 少しでもおかしな素振りがあれば、槍で貫くし貫かれる。互いにそれは分かっている筈だ。


「あ、ああっと……すまない、君たちは人の言葉が話せるのか」

「てめえはその、人の言葉とやらが理解できねえようだな。何の用だ、とオレは聞いたんだ」


 声を低めると、ホルトの槍が軽く背を刺した。なめし革を通したかどうかくらいの力加減だ。


「わ、私はバドウ。フレド侯爵の執事で――いや、執事だった。クレアお嬢さまを救出に来た者だ」


 執事が何かは知らない。だが人間の用いる、役割りだろうとは想像がついた。同じことをクレアも言っていたし、嘘で塗り固めるつもりではなさそうだ。


「バドウ。執事だったって……」

「申しわけありません、お嬢さま。侯爵閣下が、あのようなことをお考えとは知らず」


 悔しげにバドウは俯く。あのようなと、地面を殴りつけもした。


「何があったのか分からないけど、きっと無茶をしたのね。でもわたしは無事よ。ネイルとホルトと、仲間の人たちが助けてくれたの」

「ネイルと、ホルト? それはまさか、この魔物たちのことでしょうか」


 バドウは驚愕の顔をネイルに向ける。その勢いで、クレアに振り返ろうとはしなかった。己の立場は弁えているらしい。


「まさか、なんて。バドウ、お願いだからそんなことを言わないで。わたしの恩人なの」

「左様で……」


 受け入れた言葉と、目の前の事実が一致しない。きっとそんな思いのバドウは、ごくりと唾を飲み込んだ。

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